仮面広報の幼馴染は、俺の異動(タイムリミット)に気づかない――ふりをしている。
@yuuki_mattari
第1章 第1話:他人のフリは、完璧な敬語から
「――以上が、来季の採用計画における広報部との連携案になります。人事部からは、インターンシップ特設サイトの全面リニューアルに伴い、広報部きってのエースである千歳(ちとせ)さんにメインビジュアルおよびインタビューの監修をお願いしたいと考えておりますが、いかがでしょうか」
会議室の大型モニターに映し出された資料をレーザーポインターで指し示しながら、俺――人事部員である相馬 蓮(そうま れん)は、淀みのないトーンで声を響かせた。
プロジェクターの白い光が、机を挟んで向かい側に座る女性の端正な横顔を照らし出している。
広報部主任、如月 千歳(きさらぎ ちとせ)。
社内では「我が社の看板」「歩く企業イメージ」などと称される、誰もが認める才色兼備の広報部員だ。今日も隙のないネイビーのテーラードジャケットを着こなし、髪は上品なハーフアップにまとめられている。
千歳は俺の提案を聞き終えると、手にしていたペンを置き、非の打ち所がない完璧な「ビジネススマイル」を浮かべた。
「ご提案ありがとうございます、人事部の相馬さん。非常に魅力的な企画ですね。我が社の魅力を学生の皆様に正しく、かつ魅力的に伝えるためにも、広報部として全力でバックアップさせていただきます。ただ、スケジュール感について一点だけ。インタビューの撮影時期ですが、広報部の繁忙期である中間決算の発表と重なっております。できれば、一週間ほど前倒しにしていただけると助かるのですが……調整は可能でしょうか?」
「……ご指摘ありがとうございます、如月さん。確かにその通りですね。こちらの配慮が不足しておりました。撮影スケジュールを1週間前倒しにする方向で、制作会社とすぐに調整に入ります。追って、修正したタイムラインを共有いたします」
「恐れ入ります。相馬さんはいつも仕事が早くて助かります。それでは、詳細な仕様書をお待ちしておりますね」
千歳はそう言って、コクリと丁寧に頭を下げた。
その一連の動作、声のトーン、目線の配り方に至るまで、非難する隙などどこにもない。「仕事ができる優秀な広報部員」と「真面目で堅実な人事部員」の、極めて模範的な業務連絡の風景がそこにはあった。
「では、本日のミーティングは以上とさせていただきます。お疲れ様でした」
「お疲れ様でした」
二人の間で交わされる、凛としたビジネス敬語。
会議室に同席していた広報部の後輩や、人事部の同僚たちが「さすが、この二人の会議はスムーズに進んで気持ちがいいな」とでも言いたげな表情で資料を片付け始める。
誰一人として、気づいていない。
俺たちが、家が隣同士で育った「完全なる幼馴染」であることも。
今さっき、絵に描いたような他人のフリをして頭を下げ合っていた千歳が、俺のマンションの部屋の「合鍵」をポーチに忍ばせていることも。
(……相変わらず、会社でのこいつの『仮面』は分厚いな)
ノートパソコンを閉じながら、俺は内心で息を吐いた。
千歳が席を立ち、後輩を連れて会議室を出ていく。その背中はどこまでも凛々しく、社内の男たちの視線を無自覚に集めている。
俺は「人事部員としての顔」を崩さないよう、感情を完璧にコントロールしながら、彼女の後ろ姿を見送った。
会社の中での俺たちは、徹底して「相馬さん」であり「如月さん」だ。
社内恋愛の噂がすぐに広まるこの会社で、余計な邪推をされたくないという実利的な理由もあるが、何より「幼馴染であること」を公表すると、お互いの仕事にやりにくさが出る。だからこそ、この「他人のフリ」は、二人が社会人になってから自然と作り上げた鉄のルールだった。
仕事を終え、時計の針が20時を回った頃、俺は一足先に会社を出た。
最寄り駅までの道を一人で歩き、満員電車に揺られ、自宅のあるマンションへと帰る。
コンビニで買った缶ビールと、適当な惣菜が入った袋を下げて、自分の部屋のドアを開ける。
明かりの消えた静かな部屋。スーツの上着を脱ぎ、ネクタイを緩めてソファに体を預けた。
「……疲れた」
人事の仕事は「人を見る」ことだ。社内の人間関係、各社員の適性、不満、モチベーション。常にアンテナを張り巡らせ、他人の心を観察し続ける仕事は、思った以上に精神を摩耗する。
そんな中、俺にとって唯一、すべての防壁を解いて「素」に戻れる時間が、これから始まるはずだった。
パチリ、と静かな部屋にスマートフォンのバイブレーションが響く。
画面を見ると、メッセージアプリに1通の通知が届いていた。
『おつかれ。今、駅着いた。10分後に凸(とつ)るから、なんか冷たい飲み物用意しといて』
送り主の名前は『千歳』。
さっきまで会議室で「お疲れ様でした、相馬さん」と優雅に微笑んでいた女からの、あまりにもぶっきらぼうな生存報告。
俺は小さく口角を上げると、タイピングを始めた。
『了解。冷えたビールならある。鍵はかかってるから、自分で開けて入れ』
返信を送り、スマートフォンの画面を伏せる。
首を左右に振って、カチカチに固まった肩の凝りをほぐした。
さあ、ここからは「仮面」を脱ぐ時間だ。
社内の誰も知らない、俺たちの本物の日常が、ガチャリと音を立てて近づいてきていた。
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