第2話
朝の教室は少しうるさい。
眠そうな声。机を引く音。購買へ走る男子。
スマホを隠す気のない連中。
平和だな、と結城恒一は思う。
窓際の一番後ろ。指定席。
結城は机に突っ伏したまま、
ぼんやり周囲の音を聞いていた。
異世界にいた頃、
朝はもっと騒がしかった。
怒号、点呼、鎧の擦れる音。
あと、
泣き声。
「……結城さん今日いる」
「レアじゃん」
「生存確認成功」
失礼な声が聞こえる。結城は片手だけ上げた。
クラスメイトが笑う。これでも少しは馴染んでいるらしい。本人にはよくわからない。
「おはようございます、先輩」
横から声。七瀬みのり。
茶髪。
小柄。
朝から元気。
結城は薄く目を開ける。
「んー……」
「また寝不足ですか?」
「まあ」
夢見が悪かった。
みのりは鞄を置きながら、
じっと結城を見る。
「先輩って、なんで毎日そんな眠そうなんですか」
「眠いから」
「小学生みたいな答え……」
結城は少し笑った。自分でもそう思う。
*
昨夜の夢を思い出す。
雪だった。
白い平原。血だけがやけに赤い。
若い兵士がいた。顔は思い出せない。
だが、最後の言葉だけは覚えている。
『生き残ってください、隊長』
そのあと、何かが爆発した。
結城だけが生き残った。
いつもの夢だった。
*
一時間目。
現代文。
教師の声を聞きながら、結城は半分眠っていた。この世界の授業は平和だ。
覚えられなくても、前線送りにはならない。
素晴らしい。
カツン。
小さな音。
結城の目が開く。前方。誰かの消しゴムが転がっていた。
結城はぼんやり見たあと、足先で軽く止める。
「お、サンキュー結城さん」
前の男子が笑う。
「ん」
また伏せる。
数秒後。
みのりが小声で言った。
「先輩って地味に優しいですよね」
「そうか?」
「なんか自然にやりますよね、そういうの」
結城は少し考える。昔はもっと当たり前だった。怪我人を運ぶ。眠れないやつの代わりに見張る。倒れたやつを引きずってでも帰る。
やらないと死ぬからだ。
「癖みたいなもんだ」
「またそれ」
みのりが少し笑う。
*
三時間目。
体育、持久走。
グラウンドには不満の声が広がっていた。
「だる……」
「帰りたい……」
結城は準備運動をしながら空を見る。
曇り。風が強い。雨の匂いがする。
「結城ー、ちゃんと走れよー」
体育教師が言う。
「善処する」
「毎回それだなお前」
走り始める。
結城は集団の後方を、一定の速度で走った。
速くもない。遅くもない。ただ、全く乱れない。
呼吸も、視線も、足運びも。
みのりが隣に来る。
「先輩、疲れないんですか……」
「んー?」
結城は少し考えた。
昔、吹雪の中を三日歩いた。
眠った仲間から順番に死んでいった。
だから、歩き続けた。止まると終わるから。
「これくらいなら」
「絶対普通じゃないですって……」
みのりは息を切らしながら言う。
結城はちらりと周囲を見る。
遅れている女子がいた。呼吸が乱れている。
結城は自然に速度を落とした。
「無理すんな」
それだけ言う。遅れていた女子が、
少し驚いた顔をした。
*
昼休み。
屋上。
結城はフェンスにもたれ、
コンビニのおにぎりを食べていた。
鮭。うまい。異世界では高級品だった。
「……またここですか」
みのりが来た。
弁当箱を抱えている。
「静かだからな」
「友達と食べたりしないんですか?」
結城は少し考えた。
昔はいた。
焚火を囲んで、酒を飲んで、くだらないことで笑った。
でも、もうずっと昔だ。
「一人は楽だぞ」
みのりは少し黙った。
風が吹く。
フェンスが軋む。
「……先輩って」
みのりが小さく言う。
「時々、すごく遠く見てますよね」
結城は空を見る。静かな空だった。
何も飛んでいない、何も落ちてこない。
それなのに。
時々、何かが来る気がして眠れない夜がある。
「……昔の夢を見るだけだ」
「怖い夢ですか?」
結城は少し考える。
怖い、というより忘れられない夢だ。
「まあ」
それだけ答えて、
結城はおにぎりを食べた。
みのりはそれ以上聞かなかった。
ただ隣で、
同じ空を見上げていた。
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