若き本屋の寄り道のこと

奈賀井 猫(kidd)

若き本屋の寄り道のこと

「おれに運転任せてていいのかよ」

「僕より上手だもの。船もバイクも操縦できるしね」

助手席の青年は大きく伸びをした。

「それに、君が来た道を戻ることもないだろうから」

運転席の青年はフンと不満げに同意して、黙ってしまった。助手席の青年は窓の外に目をやった。

海岸沿いのひび割れたアスファルトの道。右手に眩しい海、左手に枯れ木を冠した山と廃墟を見つつ、古いライトバンは走っていく。道は大きく右に曲がり始め、その先に大きな橋と建物の集まりらしきものがかすんで見えた。助手席の青年は運転席側へ身を乗り出した。

「ジューゾー! 町だ!」

「うわっ! 危ねえ」

ジューゾーと呼ばれた運転席の青年は相手の身体をうまく躱して運転を続ける。

「お前じっとしてろ、死にてえのか」

「そんなことより、町だぞ。ようやく文明にありつける。まずは着るものをなんとかしたいな。ボロボロだ」

助手席の青年はシャツの裾を両手で引いて見下ろした。細い胴体を包む灰色と白のまだらのシャツはよく見れば煤やほこりで染まっており、もとは白いシャツだったとわかる。短く刈った髪も砂埃を浴びているようだ。運転席の青年は進行方法を見据えたまま応じた。

「まず服か」

「君と違って文明人なんでね」

「チッ」

「君の服も何とかしなきゃな?」

「え?」

「島じゃその格好でも良かったかもしれないけど、オブセは無理」

運転席の青年が着るTシャツは肩や胸の生地がところどころ裂けている。黒と灰色のまだら模様は、これまた黒い生地が埃で汚れたものであった。青年は片手で前髪をかき上げた。幼さの残る日焼けした顔が見え、ふたたび髪に隠れる。

「怖えな都会……」

助手席の青年はそのつぶやきを聞いたのか聞いていないのか。嬉しそうに独りごちる。

「あー、風呂に入りたいし、ベッドで寝たい。マトモなもの食べたい」

「野営がキツいのはわかる」

「だろ?」

町はさきほどよりだいぶ近づいていた。


「モータープール」と錆びた看板を掲げた駐車場に車を停める。その後は路肩にハンガーラックを雑に並べた古着屋で着替えを買った。

「町に入る前に運転代わればよかった……狭い……」

運転席の青年は深いため息をついた。ビルにはさまれた視界の悪い道路、路肩にせり出した商店や屋台、それを避けて車道を歩く人々。その間を縫って狭い駐車場に車を停めるのは大変な苦労であったようだ。助手席の青年は笑っている。

「代わるわけないじゃないか。君のことは運転手として雇ったんだから。ほら、荷物持って、半分」

「島でしか運転したことなかったのに」

「それでも僕より上手いのさ。頼りにしてるよ、ジューゾー」

ジューゾーと呼ばれた青年は、ひとこと、「テキトー野郎だな」と毒づいて押し黙った。

「そろそろ僕のことも名前覚えてくれないかな?」

「……コヨウヌシ?」

「ミノダ・カイ。カイでいい。言ってるだろ?」

ジューゾーはそれについては返事をしなかった。カイが目の前のビルに入っていったからだ。ジューゾーは一度立ち止まって看板の文字を見た。「ビジネスホテル」とある。ジューゾーはカイの後を追ってホテルに入った。

「遅いよ、ジューゾー!」

カイはフロントのカウンターで、情報パネルに何か書き込んでいた。

「ほらここ、名前書いて」

カイはジューゾーにペンを握らせた。ジューゾーは記入欄にペン先を乗せかけて、一瞬固まった。

「名前」

カイに促され、ジューゾーは書類に四十万十三と記入し、ペンを置いた。

「フリガナ、忘れてる」

カイに指摘され、ジューゾーは小さい字でシトマ・ジュウゾウと書き足した。

エレベーターで階を上がり、室内に入る。古いが掃除の行き届いた室内に、清潔なベッドが二つ。カイは自分の荷物を部屋の隅に置いた。その間ジューゾーはドアの前で立ち尽くしていた。

「ジューゾー、島にだってベッドとバスルームくらいあっただろう。さっさとシャワー浴びて着替えてこい」

カイは買ったばかりの着替えをジューゾーに投げ渡した。ジューゾーは着替えを受け取ってバスルームに入る。その背中にカイが声をかけた。

「使い方わかるか?」

「石鹸忘れた」

「ダメそうだな」

カイがひと通り説明する。カーテンはバスタブの中に入れること。湯の出しかた。壁に取り付けられたボトルは片方が頭を、もう片方は全身を洗うもの。

説明を終えたカイがバスルームから出て行ったあと、ジューゾーはバスルームの壁に取り付けられたボトルの文字を読み、シャンプーではないほうを使って頭を含む全身を洗い、頭から湯を浴びた。柔らかいタオルで髪と身体を拭いて、買った服を着てバスルームを出る。濃いグリーンの柔らかい生地のTシャツと、カーキ色のカーゴパンツを身に付けた姿を洗面台の鏡で見て、ジューゾーは複雑な表情だった。

カイがシャワーを浴びているあいだ、ジューゾーはベッドでうつぶせに寝転がっていた。疲労からの眠気が襲ってくる。慣れないスプリングの振動がそれを妨げる。

ジューゾーはカイの荷物の一番上にリーダー端末を見つけると、起き上がり端末を取ってベッドに戻った。

何度か試行錯誤するうちに、端末の表示部に映像が映し出された。緑の草原を行く牛の列。うつぶせに寝たまま、ジューゾーは顔だけ横に向けて映像を眺めた。

「お待たせ。なにか食べに行こう。それとも少し休むかい?」

シャワーと着替えを済ませたカイがジューゾーに声をかける。こちらは白いシャツに黒のスラックス。ジューゾーが億劫そうに顔を上げると、代わりに腹の虫が返事をした。


「ここからまた長距離の運転になる。用意したいものがいろいろあるぞ。食糧、小型コンロ、燃料、車のバッテリの予備もあるといいな。それから……」

屋台の前、二人は車道に出された簡素なイスとテーブルに陣取っている。カイは右手で箸を持って麺をすすり、その合間に左手に持ったリーダー端末を見ている。

「君の個人用端末……は、ちゃんとしたとこで買いたいなあ、オブセに戻ってからにしよう。あと、これだけ大きな町なら、本屋がある。ぜひ行きたい」

「懲りねえなあんた」

「アソ環礁では本当に残念なことをしたよ。まあ、命あっての物種ってやつかね」

ジューゾーはカイの話を聞きながら、けげんな顔でドンブリの中を見ている。ジューゾーは警戒心をあらわにしながら汁の部分を一口すすった。一瞬目を見開き、麺に箸をつける。

カイはジューゾーの様子を見て微笑んだ。

「なかなか悪くないよな」

「なんだろう。魚じゃないな、この味」

ジューゾーは顎に手を当て、ドンブリの中を見つめている。

「さあ? 香辛料もいろいろ入ってるみたいだし」

「ここは人が多いけど賄えてるんだな。食い物もそれ以外も、それこそ売るほどある」

ジューゾーは通りを見渡す。様々な商店が軒を並べ、行きかう人々の服の生地は裂けておらず、背の高い建物が通りを囲むように密集している。

カイが応じた。

「ちゃんと人の行き来とまともな商取引があれば、いろんなものが流通するようになるってことさ」

「ふうん……」

ジューゾーは空返事をして、麺をすすり始めた。

と、通りの先で大きな声がした。ガシャンとものが崩れる音と短い悲鳴。二人がその方向に目をやると、コート姿の、眼鏡をかけた痩せた男が転がるように走ってくるところだった。

「待てコラァ!」

その後ろから追いついた白いジャケットの男が、コートの男を蹴り飛ばした。コートの男はカイとジューゾーの席に向かって転がってくる。ジューゾーは即座にドンブリを持って立ち上がった。残ったカイのドンブリごとイスとテーブルがなぎ倒される。コートの男の手から薄いカバンが落ち、路上を滑った。

コートの男はその場に転がって呻いている。ヒッとおびえた声が漏れた。追いついた白ジャケットの男が、コートの男の前に立ちはだかる。

「手間ァかけさせよって」

白ジャケットの男はコートの男の襟首を掴んだ。ジューゾーはドンブリを持ったまま二人に歩み寄った。

「待てよ、おっさん」

「アァ!?」

「先に俺らのメシの邪魔したこと、謝ってくんない?」

ジューゾーは左手に持ったドンブリの汁を一口飲む。

「食っとるやん」

「テーブル吹っ飛ばしたろーがよ、ドンブリごと」

「知るかクソガキ。大人は忙しいんじゃ」

男は路上に落ちたカイのドンブリを蹴飛ばし、再びコートの男に向き直った。

「カイ」

ジューゾーはドンブリをカイに渡した。

「控えめにね」

ジューゾーは無言で白ジャケットの男の脇腹に真横から拳を打ち込んだ。今度は男が転がる番だった。路上に広がった麺と汁の上を転がり、ジャケットの背中に具の野菜をくっつけたままうずくまる。ジューゾーは男の襟をつかんで体を起こさせ、喉に手をかけた。カイが叫ぶ。

「ストーップ!」

「あっ」

ジューゾーは慌てて白ジャケットの男から手を離した。男は野菜をくっつけた背中を丸めて走り去った。

「大丈夫ですか」

カイはドンブリをジューゾーに返し、コートの男に手を差し伸べた。コートの男は狼狽えた声を上げ、よろめきながら走り去った。カイはカバンを拾い上げコートの男を追おうとしたが、立ち止まった。

「行っちゃった」

カイとジューゾーは顔を見合わせ、残されたカバンに目を落とした。

「落とし主のわかるもの、ないかな」

カイはためらうことなくカバンを開ける。ジューゾーは屋台から新しい箸を持ってきて、ドンブリの中の麺をすすった。

カバンの中には色あせた紙製のバインダーが一冊と、カードが一枚入っていた。カードには店の名前と住所が書かれている。カイはバインダーのほうは改めずにカバンを閉じた。

「やったぜジューゾー、本屋に行く用事ができた。しかもいまどき紙のショップカードを出す店だ。コンテンツ屋じゃない、紙の本の店だよ」

カイは嬉しそうにカードを眺めた。

カイのリーダー端末で店の場所はすぐに分かった。屋台からそう遠くない雑然とした通りの奥にその店はあった。間口の狭いタイル張りのビルの、扉のガラス窓の向こうに木製の本棚が見える。いちばん奥には店番のカウンターがあるようだ。客が一人、立ち読みをしている。

「二十世紀後半の個人商店を思わせる作りだね。けっこう歴史のある店かもしれないぞ」

カイは上機嫌で店の扉を開け、ジューゾーは無表情でその後に続いた。店番カウンターには痩せた眼鏡の男が一人座っている。男はうな垂れてため息をついている。

「あの、すいません。ちょっと伺いたいことが――」

カイはカウンターの男に声をかけた。男は顔を上げ、カイの姿を上から下まで眺めて叫んだ。

「ああーッ! 私のカバン!」


「わ、わざわざありがとうございます」

痩せた眼鏡の男はおどおどした態度で二人に頭を下げた。

「いやあ、僕らもこんなにすぐ落とし主が見つかるとは思ってなくて。良かったです」

カイが話している間、ジューゾーは売り場を周って本棚を眺めている。店内の壁を埋め、通路を仕切る本棚には紙の本が詰め込まれている。入りきらない本がカウンターの脇に積み上げられている。

「僕ら、この街には来たばかりで。こんなところで紙の本屋さんに出会うとは」

カイはポケットからリーダー端末を取り出した。

「いまちょっと名刺を切らしておりまして。本屋の流儀に反しますが、よろしいでしょうか」

痩せた男もまた机の下から端末を取り出した。両者の間で、数秒にも満たない電子的な名刺交換が行われた。

「コウダさん。この店の看板と同じ名前ですね。時代を感じるたたずまいのお店だ」

カイは端末で男の名前を確認し、店内を見渡して言った。コウダもまた、眼鏡をずらして端末のデータを確認する。

「ふむ、ミノダ・カイさん。同業でいらっしゃる」

「うちは遺構をめぐるタイプの本屋でして」

カイが言うとコウダは驚いた顔をした。

「本当にそういうかたいらっしゃるんですねえ」

「今回も遺構調査の帰りなんですよ」

「どうでした?」

「いやあ空振りです、ははは」

カイが朗らかに笑う。ジューゾーが店内を一周して戻ってきた。

「すげえな。本がたくさんある……」

「よく見ときなよ。こういうのいまどきなかなかないぞ。……彼はシトマ、新人です。まだ名刺も作っていませんもので――」

カイがコウダにジューゾーを紹介したので、ジューゾーは軽く頭を下げた。コウダは目を細めた。

「これはこれは。気に入ったものはありそうですか?」

「山の……写真の本が」

ジューゾーはそれだけ言って視線をそらした。それから眉間にしわを寄せて、店の入口のほうを見た。視線の先には、先刻から立ち読みをしている客がいる。客は立ち読みをやめ、店を出るところだ。ジューゾーは足早に客を追いかけた。

「なあ、あんた」

客の肩に手をかけると、客は逃れるように激しく身をよじらせた。その拍子に、客の服の裾から数冊のハードカバー本が落ちた。ジューゾーが落下した本に気を取られた隙に、客は店を走り出てしまった。

「ジューゾー、お手柄!」

カイは親指を立てて見せた。ジューゾーは店先から通りを見まわしていた。

「なんだ、ありゃあ……」

「あれは最近この街に出来た、ならず者の集まりとでも言いますか、その一員かと思います。初めて見る顔でしたが」

コウダによると、この街にはいくつかのならず者のグループがある。それぞれが独自に収入源を確保しようと動いており、しばしばトラブルを起こす。歓楽街で店を開いたり、屋台に縄張りの使用料を請求したり、薬物を売ったり。その中で最近できたのが、蛇腹を名乗る若い構成員が多いグループだ。先ほどコウダを追いかけていた男もその一員だという。

「なんでも、彼らのリーダーはもとアソ環礁の海賊だとか」

カイとジューゾーは顔を見合わせた。

「アソ環礁の?」

「ええ、それが本当だとしたら、荒事を得意とした、非情な人物ということになるでしょう」

「アソ環礁の海賊は軍の空爆作戦で壊滅した、と……」

「その噂はこの街でもよく聞きます。生き残り、ということなのでしょうか。話を戻しましょう。彼らが新しい稼ぎとして関心を持ち始めたのが紙の本、つまり本屋なのです」

ここ最近、街の同業者たちの間でも、店の周囲をうろつき様子をうかがう蛇腹の者たちの姿が見られるようになったという。

「少し前までは、とにかく数をそろえて、安く買って高く売ろうとしていたようですが。最近では店の警備や本の取引の仲介をさせろと。さっきの万引きもそのためのいやがらせでしょう」

「うーん。旧時代の遺品、確かに高価な品物ですけど。正直、そんなに動きのある品物ではないし、必要なものが的確に仕入れられる保証もないし。需要が小さすぎるし読めないし。しのぎとしてはイマイチというか……」

カイは首を傾げた。

「このご時世、本屋のお客様といえばコンテンツ企業か好事家か。好事家には金に糸目付けないタイプも居るのかもしれないけど……ならず者が企画書持ってコンテンツ企業にVR化のご提案に行くわけでもないでしょうし。店の主人を追いかけ回すほどの動機があるというのは、よくわからないな」

コウダは首を横に振った。

「彼らが目を付けたのはすでに動いている企画なんです」

「動いている企画?」

「とあるコンテンツ企業で、旧時代の有名小説のVR本を出すという話がありまして」

その話とは、コンテンツ企業がその小説の改版された各バージョンを求めているということだった。新しい版が出るたびに、作家は作品を少しずつ改稿していった。版ごとの比較によって作家の思考過程を追う、というのが企画の骨子であるという。

「それは面白そうだ!」

カイは身を乗り出した。

「ですが有名小説なら当時ペーパーバックが大量に出回ったのでは? 残っている物も多いはずだ。その中の一冊に、高い値がつくとは思えない。作家の思考を追うのだって、校正を経た完成稿では正直意味が――あ」

カイはそこで口をつぐんだ。

「どうしたんだよ」

ジューゾーがカイの顔を覗き込む。カイは押し黙っている。ごくりとその喉が動いた。

「生原稿が……この店に?」

カイが小声で言うと、コウダは小さく頷いた。

「うわー! 見たい! っていうかジューゾーに見せたい! あっいやこんな時に出していただかなくてもいいです危ないから!」

ジューゾーはカイの言葉に小声で応じた。

「ゲンコウ? って何だ」

「そこからか! そうだよな教えてないもん! ……すいませんコウダさん、お話、続けてもらっても?」

ある大手コンテンツ企業が旧時代のある人気小説の版の違うものを探しているという話が街の本屋たちにもたらされた。コウダは企業の担当者に連絡を取った。原稿のコピーを安価に貸し出す用意があると。

「貸すのか、売るんじゃなくて」

「企業側は公開する権利を限定的にだけ持つようにして、そのかわり比較的安く資料を提供する、ということですかね。安くと言っても結構な額なのでしょうけど」

ジューゾーとカイがコウダに問うと、コウダは頷いた。

「私は企業の担当者との商談のために、原稿を持って街の一番大きなホテルに向かったのです」

蛇腹の一員と思われる白いジャケットの男が原稿の入ったコウダのカバンを奪おうと現れたのは、その途中のことだ。そのあとのことはカイとジューゾーも知るところである。

「なるほど、彼ら――蛇腹の目的は商談の妨害と、原稿を奪うこと? 買い手がつくのがわかっているから、原稿そのものを盗りに来たと」

「今日の商談とやらはどうするんだ」

「一旦キャンセルしました。担当者は明日の昼までホテルに滞在しているので、それまでに商談をまとめなければなりません」

コウダはカイとジューゾーを見た。

「会ったばかりでナンですが、あの。それまでお二人に護衛をお願いできませんでしょうか?」

カイとジューゾーは顔を見合わせた。

「原稿が蛇腹の手に渡れば、コンテンツ企業は蛇腹と取引することになります。きっと法外な要求がある。VR本の企画は大きく変更することになるでしょう。それに前例を作ればわれわれ紙の本屋の商取引にも、なにがしかの影響が出るはずです」

「ジューゾー、どうする?」

「構わない。コヨウヌシがやれといえば、やる」

「ふむ。――コウダさん、報酬はどうなります? 相手はもとアソ環礁の海賊というお話ですが」

「申し上げにくいことですが、多くは出せません。うちも古いばかりの零細で……」

カイとコウダは俯いてしばらく黙っていたが、カイは不意に顔を上げた。

「そうだ、こうしましょう。商談が無事に済んだら、店の本をください。僕とジューゾーに、一冊ずつ」

「稀覯本以外なら」

「はは、見抜かれてしまいました。それで構いませんよ」

カイとコウダは握手を交わした。


外では日が水平線に半分ほど沈んで、街並みに明かりがともり始めた。ビルの窓、巨大なサイネージ、原色のネオン看板。ジューゾーはそれを見上げていた。

「昼間より眩しく感じる」

「あの島、こういうの一切なかったもんな。ジューゾー、コウダさんの護衛、できそうか」

「いまになって聞くな。やるしかねえんだろ」

コウダの前にジューゾーが立ち、後ろにカイが立つ。コウダはあの薄いカバンに肩掛けベルトをつけ、肩から斜めに下げていた。

「この近くのホテルに僕らの車がありますんで、それで移動するのが良いでしょう」

カイの説明に、ジューゾーが口をはさむ。

「運転は誰がするんだよ」

「僕がやろう。君はコウダさんと並んで座ってくれ」

人が多く、視界の悪い通りを三人の男が無言で歩いていく。車道にはみ出た屋台やテーブルをよけながら歩くこと五分ほど。「モータープール」の錆びた看板が見えた。駐車場の手前でジューゾーが立ち止まった。

「車はやめよう」

「どうした?」

「先回りされてる……走れ!」

ジューゾーは二人を急かして、来た道を戻ろうとした。駐車場に停められた車の陰から、ガラの悪い服装をした男たちが走り出て来た。戻る道の先からも似た服装の男たちが走ってくる。三人はすぐに囲まれ、立ち止まらざるを得ない。

コウダに向かってタックルで突っ込んできた最初の一人を皮切りに、囲んでいた男たちが一斉に向かってきた。ジューゾーはタックルしてきた相手をコウダとの間に割り込んで止め、その胸に膝蹴りを入れて振りほどいた。左右から向かってくる別の男たちは、片方を掴んでもう片方に向けて突き飛ばす。別の方向から来た一人に、カイが腕を振り回して抵抗している。ジュウゾーは走り寄ってその顔面に拳を叩きこんだ。

コウダが叫び声をあげた。ジューゾーが振り向くと数人の男に捕まりそうになっている。

「これを!」

コウダはカバンを肩から外し、投げた。不意を突かれた男たちが手を伸ばすが、わずかに遅い。カバンはカイの腕の中に落下した。コウダが叫んだ。

「逃げて!」

ジューゾーは目の前の男たちに蹴りと拳をくれながら退路を拓く。カイはカバンを抱えて、その後について走る。やがて二人を追ってくる姿は減りはじめ、二人は狭く暗い路地裏に逃げ込んでどうにか追っ手を撒くことができたのだった。

「ハア、ハア……」

カイはカバンを肩にかけ、その場にしゃがみこんだ。ジューゾーは立ったまま呼吸を整えている。額には大きな擦り傷ができている。今日買ったばかりのグリーンのTシャツも、さっそく泥と血で汚れてしまっている。それはカイの白いシャツも同じことだった。

「しくじった。これは……クビか」

ジューゾーは苦々しい顔をしていた。カイは息切れしたまま答えた。

「まさか……なんで? ゲホッ、ジューゾー、いないと、困る……」

「護衛する相手を敵に渡してしまった」

「一回や、二回の、失敗……気にする、なよ……」

カイの呼吸が整うまで、ジューゾーはしばらく黙っていた。

「クビには早すぎるよジューゾー。カバンは無事だし、商談の相手はまだホテルにいる。まだ何も事態は動いてない」

「あの人は?」

「それはたぶん……そろそろ」

カイのポケットの中で、リーダー端末が呼び出し音を鳴らした。カイは即座に、スピーカーモードで端末を起動した。ジューゾーにも聞こえる音量で相手の声が聞こえてくる。

「よう、あんちゃん達」

「……どうも」

カイは緊張した声音で通話に出た。

「薄情だなあ、本だけ持って逃げてくなんてなあ」

「コウダさんは?」

「今んとこなんもしてねえよ。そんなことより、だ。取引しねえか?」

「人質交換ですか」

「話が早くて助かる。街の入口にデカい橋があるだろ。そのたもとに古い倉庫がある。そこまで原稿とやらを持ってこい。そしたらコイツは返してやる。下手な真似をすると、人質がどうなるか、説明するまでもねえ。じゃあな」

「ちょっと待て、コウダさんの声を――」

通話は切れた。

ジューゾーは無表情にカイを見た。

「まともな取引をする気はねえと思うんだけど。ゲンコウを盗られて、アガリはあいつらのものだ」

「でも、行かなきゃだめだよ、ジューゾー」

カイは真面目な顔でジューゾーに言った。

「あの人が海に浮かんじまうから?」

「まあ、手っ取り早く言えばそうなるね」

カイはカバンを軽く手で叩き、泥を落とした。

「ジューゾー、僕はゲンコウが何かって話をきみに説明してなかった」

「いま!?」

「原稿というのは、紙の本になる前、本の中身を作者が書き上げたものだ。ただ書けばいいってわけじゃないぞ。書いた後は推敲――何度も細部を確認しては考えて、修正して確認して、を繰り返すんだ。これが終わると組版と校正を経て……これはあとで詳しくやろう。とにかく、そこには本の作者が何度も考えた過程が残っている。紙に書かれた文章に、消したり書き足したりした跡が残っている」

ジューゾーはおとなしくカイの話を聞いている。

「だから、この本を借りようとしているコンテンツ企業にとっては、とても重要な品になるんだ。それに、いま紙の本屋が何をしているかわかるかい」

「コンテンツ屋に売るんだろ。そんで端末で見たり聞いたりできるようになる」

「紙の本は端末で見るVR本の原料になる。リーダー端末なんて優れた技術があるというのに、誰も完全新作を作らないんだ。大戦以降、本当の意味で新しい本は世に出ていない」

ジューゾーは首をかしげている。

「食うや食わずの時代が長すぎたんだ。誰も物語の作り方を覚えていないのさ。だから――」

カイはジューゾーを見た。

「だから、昔の作家の思考を追うという発想には、僕はとても心惹かれるんだ。旧時代から原稿とあの店を守ってきた、コウダさんとそれに連なる人たちにもね」

ジューゾーは少しの間黙っていた。

「お前があの人を助けたいということはわかった。ゲンコウを奴らに渡す気もないってこともな。じゃあ、おれがいねえと駄目だな」

「わかってくれるかい」

「おれは……お前と最初に会ったときに見た写真の本で、島の外にはおれの知らないものがたくさんあるって知った。さっきの店にも、写真の本だけを集めた棚があった」

「気に入った?」

「まあな」

「じゃあ、行こう。まずは車だ」

二人は路地裏を出て、駐車場に向かって歩き出した。空には月が出ていたが、その光は街の明かりに紛れて目立たなかった。


目的の古い倉庫はすぐ見つかった。橋のたもとは街はずれといってもいい位置になる。放棄された古いビルの間でその倉庫だけが明かりをともす様子は、ひときわ目立っていた。倉庫のわきに車を停め、カイとジューゾーは小さく開いている大きな鉄扉をくぐった。

「本当に来たな!」

広い空間の一番奥に、後ろに多数のならず者たちを従えた男が立っている。日に焼けた肌に立派な体格、余裕のある仕草が、この男が首領だろうと示していた。男は暗いつつじ色のスーツを着て、腰にカタナを下げている。

「ミノダさん! シトマさん!」

首領のすぐ横に、ロープで縛られたコウダが立っていた。

「コウダさん!」

カイはコウダに駆け寄ろうとした。

「おっと、先に原稿だぜ、あんちゃん」

首領はコウダを先に歩かせ、その後ろについて近づいてきた。二人はカイとジューゾーから数メートルのところで立ち止まった。

カイは歯噛みして、肩からカバンを外した。中から古いバインダーを取り出す。

「そうそう、それだ。投げてよこしな」

「いけません!」

コウダが叫ぶ。

「その前に、いいですか?」

カイはバインダーを手に持ったまま、首領に言った。

「なんだ」

「バインダーひとつに、大げさじゃないかと思って」

「それだけのカネを生むんだよ、こいつは。はやくよこしな」

首領はカタナを抜いてコウダに振り下ろした。ヒェッ、とコウダが声を上げ、何歩か前に出てうつぶせに倒れる。

「コウダさん!」

コウダを縛っていたロープが斬れ、その下の衣服に血がにじみ始める。

「安心しろ、死んじゃいねえ。ただ、悠長にしている暇が無くなっただけよ」

カイはコウダに駆け寄った。まわりに控える子分たちが品のない笑いを漏らした。

「なんてことを」

カイはバインダーを首領に渡した。

「そうそう、それでいい。ああ、それから。お前。うちの者がずいぶんと世話になったらしいな」

首領はジューゾーを指さした。片手にバインダーを持ち、カタナを抜いたままゆっくりと歩み寄る。

「アソの海賊はナメてきた相手に容赦しねえ。小僧。目か、耳か、鼻か。選びな」

「ま、待ってください。本屋の目を傷つけるのは」

カイはコウダのそばに付いたまま叫んだ。

「情けをかけてやろうってんだ、命は取っておいていいぜ」

「あんた、アソの海賊なのか」

ジュウゾーが口を開いた。

「アソの海賊は、肩に旧時代の情報パターンが入れ墨してあると聞くが……あんたにもあるのか? 最期に見せてくれよ」

「本屋ってのは、こんな時にも何かを読みたがる。変な連中だぜ」

首領はジャケットを脱ぎ捨てるとシャツのボタンを開け、そこから左腕を出して肩を見せた。

「これが正真正銘の、非道で知られたアソの証よ」

左肩には、いくつもの点と線を組み合わせた複雑な図形が小さく刻まれていた。

「これで満足か。じゃあ、目で見る世界にさよならを言いな」

首領はジューゾーの前に立ち、カタナを横に構え、水平に薙いだ。

正確には、薙ごうとした。首領の動きより早く、ジューゾーが動いた。その場で反り返って、カタナを喉から紙一重のところでよける。片脚を勢いよく上げて、首領の手首を蹴る。

カタナが首領の手から落ちる。ジューゾーは素早くカタナを拾う。

「小僧!」

控えていた子分の一人が何か叫んで、予備のカタナを首領に投げた。それを受け取った首領はバインダーを床に落とし、すぐに抜刀した。

「後悔するぞ。アソの海賊が最も得意とする武器が、カタナだ」

首領はジューゾーに向かって勢いよく踏み込み、上段から斜めにカタナを振り下ろす。ジューゾーはそれを躱し、突きを繰り出す。首領は刀身でその切っ先をそらす。

何度か切り結び、躱すことを続けているうちに、ジューゾーのTシャツがところどころ斬れはじめる。その下には浅い傷が赤く覗いている。首領のカタナをぎりぎりでよけ、Tシャツの右袖が裂ける。それまで勢いよく押していた首領が、突然間合いを取った。

「それは、なんだ? 小僧」

袖が裂けてあらわになったジューゾーの右肩には、首領とよく似た、しかしもっと精緻な図形が刻まれていた。その下には漢数字。四〇〇〇一三。

「おれは四〇〇〇一三号。名前なんて上等なもんはねえ。自分で焼いた島に帰る気もねえ。番号を言えよ、同胞」

ジューゾーからは表情と呼べるものが全くなくなっていた。ジューゾーはカタナを片手で持って、首領に向けた。

「まあ、右肩についてんのが本物なんだけどよ。こういうのを、古い言葉で『肩が赤い』って言うんだろ」

ジューゾーの言葉を聞いたカイは、ちょっと違う、とつぶやいた。

首領は後退りして子分たちのそばまで逃れた。

「う、撃て! 撃て!」

子分たちは慌てて拳銃を構え、ジューゾーに向かって一斉に発砲した。カイは即座にその場へ伏せた。

ジューゾーはカタナを振るう。その速度はカイの目では追うことができない。ただわかることは、子分たちの一斉砲火をジューゾーがカタナで捌いているということだ。床に伏しているカイとコウダのところには流れ弾すら飛んでこない。

やがて子分たちの弾は尽き、銃火の嵐がおさまった。子分たちはめいめいその場に固まっていた。ジューゾーは床を蹴って首領のもとへ飛び込み、カタナを首領に突きつけた。

「アソの海賊が最も得意とする武器が、カタナだ」

首領は視線をさまよわせる。子分たちは首領とジューゾーから距離を取り始めた。

「あんた詳しいな。じゃあこれからどうなるかも判ってるな」

ジューゾーは無表情で言い、カタナの切っ先を首領の喉に当てた。切っ先がわずかに肌へ食い込み、血が一筋垂れていく。

「情けをかけてやる。すぱっと苦痛なく――」

「ジューゾー、ストップ」

カイは立ち上がってジューゾーの横に立った。

「君はうちの運転手のシトマ・ジューゾーだ。海賊の真似事をする必要はない」

ジューゾーはカタナを納め、カイは落ちているバインダーを拾い上げた。首領は腰を抜かしてへたり込み、ついでに失禁した。

「帰ろう。コウダさんを医者に連れて行かなくちゃ」

ジューゾーはカタナをその場に捨てた。ジューゾーはコウダを抱え上げ、カイの後に続いて倉庫を出た。


コウダの傷は浅いものだった。医者の手で縫い合わせ、包帯を巻いて、それで終わり。コウダは商談相手に連絡し、商談はコウダの店で行われることになった。

三人が店に戻ってきたころには、すっかり夜が明けて街の明かりは消え、あるいは目立たなくなっていた。コウダは、カイとジューゾーに頭を下げた。

「ありがとうございます、これで安心して商談にのぞめます」

「あんたにけがを負わせてしまった。すまん」

ジューゾーとコウダは互いに何度も頭を下げていた。横からカイが口をはさんだ。

「あの。コウダさん。実はお願いがありまして」

「なんでしょう」

「バインダーの中身、見せてもらってもいいでしょうか」

「かまいませんよ」

「どれどれ……」

カイは嬉しそうにバインダーを開いた。

「あっ?」

バインダーの中には銀色の円盤が一枚、不織布のホルダーに入れられて挟まっていた。コウダが説明する。

「あの作家は原稿をパソコンで作っていたんです。初版完成稿と、初稿からの変更履歴がそこに、すべて入っていますよ」

「なるほど、バージョン管理ツールで変更履歴を逐一残していれば、推敲の過程を追うことができる。僕はてっきり原稿用紙か何かだと……」

カイは眉尻を下げて笑った。

「これ、読める機械、お店にあります?」

「それが、先日壊れてしまいました。旧時代からの骨董品ですからね、むしろよくもってくれたと」

「おれにもわかるように説明してくれ」

ジューゾーは不満げだ。

「つまり、僕らに原稿は読めないってこと」

「そうか……」

ジューゾーは肩を落とした。

「え、気になってたの、ジューゾー?」

「そりゃあ、まあ。少しは」

ジューゾーはバツの悪そうな顔をした。カイはにやにや笑っていた。コウダは店番のカウンターに座って、背中の痛みに一瞬顔をしかめ、それから苦笑いした。

「約束です。一冊選んでいってくださいよ」

カイとジューゾーは本棚の中身を検め始めた。

やがて見舞いの菓子折を持ったスーツ姿の男が店に現れた。カイとジューゾーはコウダにいとまを告げて店を出た。


人が増え始めた狭い通りを、二人は疲れた顔で歩く。

ジューゾーはコウダからもらった本を抱えている。大判の風景写真集だ。

「君、風景写真好きだよな」

「いつか実際に行ってみたい」

「そうか」

カイは眉尻を下げて笑った。旧時代の美しい自然の風景が、その本には収められている。そのほとんどはとうの昔に失われたものなのだ。カイはそれをジューゾーにどう教えるか迷って、結局黙った。

「お前は何貰ったんだよ」

「僕? 昔の辞書。読むのに必要だからね。いいものを頂いたよ」

カイは片手に持った分厚い本をジューゾーに見せた。

「そんなの読んで、眠くならないのか?」

ジューゾーは胡乱なものを見る目でカイを見た。眠い。その単語でカイは本来の予定を思い出した。

「そういえば本来は宿で一晩ぐっすり、の予定だったんだな……ジューゾー、また服がビリビリじゃないか」

「おれは悪くない、これはしょうがない」

「服が破れる星のもとにでもいるのかい?」

カイとジューゾーはホテルを目指す前に、まずは手近な服屋を目指した。


《了》

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