第15話 「見ててくれた、でしょ」
誰も、口を開かなかった。
蛍光灯が、ジ、と鳴っている。安物の、事務所の、頭の上の音。同接が四十八だったころから、ずっとそこで鳴っていた音だ。
テーブルの上に、三つの封筒。
俺は、まだ、手を伸ばせずにいた。
受け取れば、こいつらは、いなくなる。
突き返せば、こいつらの覚悟を、踏みにじることになる。
どっちもできなくて、ただ、座っていた。
数字なら、一秒で答えを出せる男が。指一本、動かせなかった。
わかってしまった。
みおが、なぜ、あれをやったのか。
俺が、伸ばしたからだ。
同接四十八を、五万にした。登録者を、数十万にした。「底辺の下剋上」だと業界が騒ぐところまで、この四人を、押し上げた。
押し上げて、どうなる。
大きくなれば、声がかかる。良い案件が来る。もっと大きな箱から、引き抜きの話が来る。
——みおのところに、来ていたみたいに。
四人は、いずれ、散る。
数字が伸びるというのは、そういうことだ。俺が、いちばんよく知っていた。前の会社で、俺は、伸びていく数字の先で、全部を失った男だ。
みおは、それを、止めようとした。
いちばん小さなこの部屋で、四人のまま、終わらせようとした。
燃やして。壊して。留めるために。
俺が、火をつけたんだ。
みおが恐れていた未来を、俺が、数字で、毎日せっせと組み立てていた。みおの寂しさに、俺が、燃料をくべ続けていた。
みおを追い詰めたのは、ノヴァじゃない。九条でもない。
俺だ。
読めてしまう。
全部、終わってから、こんなに正確に、読めてしまう。
この目が、心底、嫌だった。
「……ばかみたい」
怜だった。
立ったまま、自分が押し出した封筒を見ている。令嬢の声でも、死神の声でもない。ただの、二十歳の声だった。
「わたし、いちばんに手を挙げたのに。みんなを庇うつもりで、いちばん高いところから、飛び降りたつもりだったのに」
怜の指が、テーブルの縁を、白くなるほど握っていた。
「その足場、最初から、みおが外してた」
みおは、何も言わなかった。
「怜ちゃん」
うたが、止めた。
止めたけれど、その先の言葉を、うた自身も持っていなかった。みおのほうを見て、口を、何度か、開きかけて。
「みおちゃん。どうして、わたしたちに、言ってくれなかったの」
責めては、いなかった。
ただ、年上の、いちばん柔らかいところが、剥き出しになった声だった。寂しがりの声だった。
みおは、笑った。
また、あの、笑顔のかたちをした、別のなにかで。
「言ったら……止められちゃうでしょ?」
ね、と、みおが、小さく首をかしげた。
いつもの、配信のときの、あざとい角度で。けれど、その角度の奥が、空っぽだった。
「あたしね、ずっと、こわかったんだ。みんなが、どんどん上手になって、もっといい場所に行っちゃうの。怜ちゃんも、うたちゃんも……みんな、あたしより、ずっと、遠くまで行けるから」
みおの手が、テーブルの上で、三つ目の封筒を、そっと撫でた。
「だから、ここで……四人で、おしまいにしたかったの。誰も、帰さないで。誰も、いなくならないで」
それから、みおは、俺を見た。
「久遠さんは、ずっと、数字、見ててくれたでしょ」
声が、急に、やわらかくなった。
「あたしの配信の、リピート率とか。何時に、誰が、何回来てくれてるかとか。……あたしのこと、数字で、ちゃんと、見ててくれた。いちばん近くで」
みおの目が、潤んでいた。それは、たぶん、この夜で、初めての、本物の涙だった。
「だから、もう、いいの。じゅうぶん見てもらえたから。これ以上、大きくならなくて、いい。ね? 四人で、ここで、おしまいにしよ?」
俺は、三つの封筒を、見た。
ここで、頷けば。
みおの願いどおり、四人で、ここで終われば。みおは、もう、誰も失わずに済む。散らずに済む。
みおが、半年、ずっと欲しかったものを。
俺は、頷くだけで、やれる。
俺は、封筒に、手を伸ばした。
三つを、まとめて、掴んだ。
そして、握りつぶした。
「……受理しない」
声が、掠れた。
「お前らを切るくらいなら、事務所ごと、潰す。俺が、潰す」
怜が、息を呑んだ。うたの目が、見開かれた。
「数字なんか、」
言いかけて、俺は、みおを見た。
みおの、笑顔のかたちが、ほどけかけていた。
あの、剥がれない笑顔が。「数字、見ててくれたでしょ」と言った、その口が。
わかった。
今、俺が言おうとしている言葉が、こいつの、いちばん触れてほしくないところに、まっすぐ届くことが。
みおにとって、俺の数字は、鎖じゃなかった。
見つけてもらえた、という、証だった。
その証を、俺は今から、いらない、と言う。
みおの目が、言っていた。
やめて。それだけは、言わないで。
言うしか、なかった。
「数字なんか、どうでもよかった」
みおの手が、震えた。
「俺は、お前ら四人と、ここに居たかっただけだ。それだけだったんだ。最初から」
蛍光灯が、ジ、と鳴った。
あの打ち上げの夜と、同じ場所で。同じ明るさで。
四人は、まだ、帰らなかった。
みおだけが、いちばん欲しかったはずの言葉を、いちばん残酷な刃にされて、そこに、座っていた。
俺が、刺した。
みおの寂しさを、半年読み違えた俺が。
今度は、読めたうえで、刺した。
数字は、語らない。
だから俺は、語らなければならなかった。
たとえ、それが、この子を、もう一度、ひとりにする言葉でも。
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