ボンネット

鳳閣

ボンネット

 雨が風で窓に叩きつけられ、楽器のような音がずっとなっている。先ほどまで少し窓が開いていた場所は、水に濡れて少し暗い色になっている。


 「気をつけ、礼、ありがとうございましたー」


 外を見ていたらいつの間にか帰りの会は終わっていて、俺以外は全員立って最後の挨拶をしていた。朝降っていた雨は少しだったが、昼頃から急に大降りになったせいで体育が中止になり、午後の授業を鬱々と受けていたせいか、ずっと心ここに在らずという感じな気がする。


 「ソウ、さっさと帰って公園で遊ぼうぜ」


 机の縁をなぞりながらぼうっとしていたら、後ろから頭を叩かれると同時の恭介がいつもの遊びの誘いをしてくる。


 「お前バカかよ。外クソ雨だぞ」


 外を指差しながら首を後ろに向けながら答える。

 流石に今日ぐらい降っていると、俺でも外で遊ぶのはやめておきたい。それに今日雨の中遊んで明日の学童のドッヂボール大会に出られない方が俺としては嫌だ。

 というわけで、今日は家でテキトーにテレビでも見ながら時間を潰しておきたい。


 「まぁいいや、帰るか」


 教室の後ろの方のランドセルを肩にかけて扉を足で開け、そのまま階段を駆け降りて校舎の入り口に着く。ザァザァと大粒の雨が、目の前の地面に穴を開けそうな勢いで空から落ちてくる。

 当然のように俺も恭介も傘を持っておらず、ランドセルを頭の上に乗せて走り出す構えを取る。


 「よーいどんで校門まで勝負な」


 「お、やろうぜ」


 「よーい、どん!」


 恭介の合図に合わせて、二人で校舎を飛び出す、と同時に恭介は頭の上に乗せていたランドセルを背中に背負い、校庭を全速力で駆け抜けていく。ランドセルで雨を凌いでいる俺の服が一瞬でびっしょりと濡れたのだから、恭介は髪も一瞬でぐっしょりになっているはずだ。


 「そんじゃ俺先帰って公園行くわ!」


 先に校門に着いた恭介は、そのまま雨の中を走り抜けていく。俺はというと、ランドセルを頭に乗せたままゆっくり帰る。途中で大きな水たまりを見つけては跳び込んで、足を濡らしてはそのまま大手を振って歩いていく。

 通学路の途中にある学童の前を過ぎて周りを見ると、いつも気になっていたアパートの駐車場の地面が濡れていないのに気がついた。

 なんとなくイタズラをしてやろうと思い、その濡れ切ったズボンと靴で、グシャグシャと音を立てながらその駐車場の中に入っていく。そのまま濡れた足をブンブンと振ると駐車場の地面と車に水がかかる。

 それだけでも満足ではあるのだが、何かもう一つしてやりたくなった俺は埃とカビで汚くなったボンネットの車の前に移動した。目の前のボンネットが自由帳のように思え、指をそのカビだらけの自由帳の上に置き、指を引いて文字を書いていく。

 バカだのカスだの、そんな悪口を書き切った俺は先ほど以上の満足感が得られた。


 「あれ、ソウじゃん、何してるの?」


 歩道側から女子の声がした。見てみればクラスの女子が仲良く相合傘をしながら帰っている。イタズラを見られるのはいつも通りなのだから困ることは特にないと思うが、何か言っておいた方がいい気がした。


 「お前らに関係ないだろ、言うなよ!」


 そう答えると、いつも通りとでもいった感じでまた歩き出していく。

 俺もこれ以上ボンネットの上に書くのも面倒くさくなり、駐車場のすぐそこに置いたランドセルを背負い、雨も少し弱くなっていたのもあり、家に向かって走って帰った。






 「今日こそは公園来いよ? 晴れてるんだし」


 「今日は学童のドッヂボール大会あるから、悪い」


 昨日の大雨とは違い、今日は燦々と太陽が窓を照り付けていた。こんな日こそ外で遊びたいが、流石にずっと楽しみにしていたドッヂボール大会に出ないなんてことはできない。


 「チェ、なら俺は今日も先帰るわ。じゃあな」


 恭介はそれだけ言うと教室をいつものように飛び出して帰っていく。

 俺も学童に行く前にランドセルだけ家に置いて行こうと思い、ランドセルを背負ってからそのまま学校を出て、小走りで帰路についた。




 家についてランドセルを置き、そのまま家を飛び出そうとすると、母親に腕を掴まれた。

 驚いて母親を見ると、泣いた跡があり、そしてリビングの方には壊れた受話器が見えた。


 「何? 今から学童行くんだけど」


 「いいから行くよ」


 母親からの返事はあまりにも冷淡で、そして静かに怒っているような、そんな気がした。母親はつかんだ腕を離すことなく、大股で学校の方に向かって歩き出した。腕を掴む力はとにかく強く、今にも腕が潰れてしまいそうである。

 ズンズンと進んでいき、毎朝学校に行く時に見る景色が、今だけは何か別の世界のもののような気もした。

 小学生の俺にとっては速すぎるペースで歩き、最終的に昨日の駐車場の前で母親は止まった。昨日書いた悪口はまだはっきりと読めるくらいに残っている。

 母親はそれを一瞥だけすると、そのアパートの階段を登り、二○三号室のチャイムを鳴らした。扉を開けて出てきたのは無精髭を蓄え、ヨレヨレの服に身を包んだ、いかにも悪人にしか見えない大男だった。

 その男が見えた瞬間に母親は頭を下げて、泣きそうな声で何かを言おうとした。何かを言おうとしたのだが、一言目が口から出てくる前に、男の平手が母親の頬を叩きつけた。

 体勢を崩し、塀に頭をぶつけ、ぶつけたところからは血が流れ出していた。

 男は何も言わず、またもう一発平手を振り上げた。

 俺は何が起きているのかわからないまま、ただその場から逃げ出したい一心で、階段を転げるように駆け降りると、気づけばボンネットの前に立っていた。母親を助けるということはもはや考えることができなかった。

 昨日はあれほど雨で濡れていた地面が、今日は一日中陽が照り続けていたのだろう、完全に乾き、体から流れ落ちていく汗も地面を濡らしてすぐに乾いていく。

 俺は必死になってそのボンネットの上を服で拭って文字を消そうとした。じりじりと太陽に焼かれたボンネットの鉄板が、手のひらや腕に火傷しそうなほど熱い。

 視界がどんどんぼやけ、文字が消えたのか、それともまだあるのかわからなかった。

 背後からは学童の体育館で歓声が上がるのが聞こえた気がした。それがずっと楽しみにしていたドッヂボール大会のものだとは気づきもしなかった。ただ、遠くで何かが喚いている雑音にしか聞こえなかった。

 俺の頭の中は、手のひらを焼く鉄板の熱さと、2階から聞こえる鈍い音だけで満たされていた。

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ボンネット 鳳閣 @_Houkaku_

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