第37話「警察」
【4日目・潤視点】
ついに、その時が来た。
獣の唸り声のような低俗な罵声が鼓膜を引き裂いた。私は反射的に振り向くことはせず、隣に座っていた恵の肩を抱き寄せ、そのまま立ち上がった。彼女の身体が細かく震えているのが分かった。その震えが怒りなのか、恐怖なのか、あるいはその両方なのかは分からなかったが、今この瞬間に私がすべきことはただ一つだった。彼女を背後に隠すこと。
闇の中から歩み出てきた男の輪郭が、街灯の下で完全に露わになった。書類の中で、恵と詩彩の証言の中でしか存在しなかった「伊藤直樹」という名の実体。醜く、卑劣で、自分の失敗を他人のせいにする寄生虫。手に持ったレンガは、彼の貧弱な論理と暴力性を同時に証明しているようだった。
これが初対面だった。私は彼を観察した。怒りに歪んだ顔、充血した目、そして相手を破壊しようとする原始的な殺意。法廷で相対する計算された犯罪者とは異なる種類の人間だった。いや、人間と呼ぶことすらできない存在だった。
感情はなかった。怒りでも恐怖でもない。目の前の相手を法律家として、そして一人の人間として分析していた。あの男は恵と詩彩の人生を蝕み、そして今は私の命まで狙っている。その全ての行為の動機は、歪んだ所有欲と自己憐憫だけだ。
💭潤|「罠は成功した。あとは詩彩が決定的な証拠を押さえる。それまで時間を稼ぐだけだ。」
私は背後にいる恵が不安にならないよう、できるだけ穏やかで低い声を発した。その声は伊藤直樹ではなく、ただ彼女だけに向けられていた。
💬潤|「恵ちゃん、大丈夫だ。僕の後ろにいなさい。」
そして視線を向け、初めて伊藤直樹と真正面から向き合った。彼の目に映っているのは恐怖でも動揺でもない。ただ目の前の虫を見るような、冷たく無機質な視線だった。
💬潤|「あなたが伊藤直樹か。」
私の落ち着いた声に、直樹の顔がさらに醜く歪んだ。彼は私が怯えるか、少なくとも動揺すると思っていたのだろう。
💬直樹|「このクソ野郎が……死にてえのか!恵!今すぐその男の後ろから離れろ!」
彼の狂気じみた叫びにも私は微動だにしなかった。むしろ一歩、彼へと近づいた。恵を完全に背後へ隠したまま。
💬潤|「暴行、脅迫、そして二度の殺人未遂。今あなたが手にしているレンガは、その全ての犯罪の最後の証拠になる。愚かだな、寄生虫。」
私の言葉に直樹の理性が完全に切れるのが分かった。彼はレンガを持つ手を振り上げ、今にも私に飛びかかろうとした。その瞬間だった。
公園の別の闇の中から、もう一つの影が現れた。私たちと直樹の対峙を見ていた、しかし完全に予想外の人物だった。
💬詩彩|「そこまでだ、このクズ野郎。」
直樹の背後から響いた冷たい声。詩彩だった。彼女の手にはスマートフォンが握られており、画面には録画中を示す赤い点がはっきりと灯っていた。
💬詩彩|「お前が正午からずっとこの二人を尾行していたの、全部見てた。そして今、弁護士先生をレンガで攻撃しようとしているこの瞬間。それが今までのお前の殺人未遂の決定的証拠だ。終わりだよ、直樹。」
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【4日目・直樹視点】
クソ。すべて完璧だった。あのクソみたいな弁護士を叩き潰し、浮気した恵を再び俺の女に戻すための完璧な計画だった。恵のあのクソ女が、あの男の横でうろついているのを見た瞬間、血が逆流した。子持ちのくせに、離婚して何日も経っていないくせに、もう別の男の腕に抱かれようとしているのか?しかもよりによって、竹山潤、あのクソ野郎に?
俺の女だった。いや、今でも俺の女だ。俺が一時的に捨ててやっただけで、恵は俺のものだ。離婚届に判を押していても、あの女の身体も心も全部俺の所有物であるべきだった。なのにあの弁護士野郎がそれを奪った。俺のものを盗んだ。許せるわけがない。
レンガを握る手に力が入る。あの男の生意気な顔にこれを叩き込めば、すべて元に戻るはずだった。だがその時、背後から声がした。詩彩。俺の最後の女であり、俺を理解し、傷を癒してくれる唯一の女だと信じていた詩彩の声だった。
💭直樹|「……何だ?詩彩……お前なんでそこにいる?なんであいつらの味方をして俺にそんなことを言う?」
頭が真っ白になった。詩彩は俺を慰めてくれる女だった。俺が恵のせいでどれだけ苦しんでいるか、世の中がどれだけ俺に不公平か、すべて聞いてくれていた女だ。その彼女が今、俺を「クソ野郎」と呼び、あの弁護士と組んで俺を追い詰めている。
彼女の手にあるスマートフォンの赤い光が、まるで悪魔の目のように光っていた。尾行?録画?このすべてが……最初から仕組まれた罠だったのか?あの弁護士が俺の女たちを全部たぶらかして、俺を陥れるために仕組んだと考えた瞬間、怒りより先に裏切られた感覚が全身を締めつけた。
💬直樹|「……詩彩?お前……今何を言ってるんだ。俺が何をしたっていうんだ?殺人未遂だなんて、そんな馬鹿なこと言うな!」
声が勝手に震えた。冷静なふりをしようとしたが、状況が最悪に転がっていることを本能的に理解していた。恵は弁護士の背後に隠れて俺を軽蔑する目で見ている。詩彩は俺を犯罪者のように扱い、追い詰めている。俺の女たちが、全員俺を裏切った。
いや、裏切ったのはあいつらじゃない。あいつらをそうさせたのは竹山潤、あのクソ弁護士だ。
💭直樹|「あいつさえいなければ……あいつさえ現れなければ、恵も詩彩もずっと俺の女だったはずだ。全部あいつが壊した!」
その瞬間、遠くの公園入口からパトカーのサイレンのような音が聞こえた気がした。詩彩が……警察まで呼んだのか?手に持ったレンガの感触が急に冷たく重く感じられる。もう本当に、後戻りできないという恐怖が背筋を這い上がってきた。
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