第3話 マローラ・ソワレ
翌朝。
クラウス・レイドは本気で後悔していた。
「……寝不足のあとに訓練とか、殺す気かよ……」
第25班兵舎の廊下を歩きながら、小さくぼやく。
結局ほとんど眠れなかった。
戦場の臭いはまだ鼻の奥に残っているし、深夜に見た“死神”の姿も頭から離れない。
そんな状態で、朝一番にスイから叩き起こされた。
『準備して。研究区画へ』
それだけ言われた。
訓練場ではないらしい。
「研究区画……?」
戦闘部隊に配属されたはずなのに、なぜ研究施設へ行くのか。
嫌な予感しかしない。
案内表示に従って地下ブロックへ降りると、空気が変わった。
油と薬品の匂いが混ざっていた。
壁際には分解された装備、燃料カートリッジ、焦げた金属片。兵士よりも整備兵の方が多い。
戦闘班の施設というより、工場か実験場だ。
「来たか、新入り」
声がした。
整備台の上に、白衣の女が座っていた。
濃紺の髪を肩のあたりで流し、左右で色の違う瞳が、クラウスをまっすぐ見る。
いや、顔を見ているのではない。
呼吸、重心、腕の使い方、歩幅。
全部を値踏みするような目だった。
「お前がクラウス・レイドだな」
「そうだけど……あんたは?」
「マローラ・ソワレ」
女はにやりと笑った。
「第25班付き研究者。技術顧問。装備管理。あと、上層部どもの尻拭い係だ」
「最後だけ急に嫌そうだな」
「実際嫌なんだよ」
マローラは整備台から軽く降りる。
動きは雑に見えるのに、隙がない。
「昨日、砲塔に大剣ぶち当てた馬鹿だろ、お前」
「初対面で馬鹿呼ばわりかよ」
「安心しろ。悪い馬鹿じゃねえ」
「褒めてんのか、それ」
「半分な」
マローラはクラウスの右腕を掴んだ。
強くはない。
だが、逃げる前に捕まれていた。
「筋の使い方が雑。踏み込みも雑。けど、反応は悪くない。死に急ぎじゃなく、死に場所を間違えるタイプだ」
「やっぱ褒めてねぇだろ」
「俺が褒める時はもっと高い。ありがたく思え」
「何様だよ」
マローラは胸を張った。
「俺を誰だと思ってやがる? 全知全能のマローラ様だぜ?」
即答だった。
クラウスは思わず黙る。
冗談なのか本気なのか分からない。
だが、周囲の整備兵たちは誰も笑わなかった。
訂正もしない。
それが、逆に怖かった。
「マローラ」
低い声。
振り返ると、スイ・アイルが入口に立っていた。
黒いジャケット姿。
昨日と同じ、感情の薄い目。
「検査と訓練説明だけ。余計なことはしないで」
「余計なことをしない俺なんざ、ただの美人研究者だろ」
クラウスは吹き出した。
「自分で言うんだ」
「事実確認だ」
スイは声色を変えずに続ける。
「壊さないで」
「お前は俺を何だと思ってる?」
「加減を忘れる人」
「ひでぇな」
「事実」
マローラは肩をすくめた。
スイはそれ以上言わない。
けれど、クラウスには少し意外だった。
スイが、普通に会話している。
冷たいのは変わらない。
だが、マローラ相手にはわずかに呼吸が違う。
遠慮ではない。
警戒でもない。
慣れ、に近い。
「さて、新入り」
マローラは整備台から一対の金属ユニットを持ち上げた。
「こいつがお前の命綱だ」
「アクセルブーツか」
「正式名称は標準戦術加速ユニット。長い。ダサい。だから現場じゃだいたいアクセルブーツで通ってる」
マローラはユニットを軽く叩いた。
「支給コンバットブーツに外付けする加速補助装備だ。靴そのものじゃねえ。ここ間違えると整備兵に怒鳴られる」
「そんなに大事か?」
「大事だ。壊れた時、靴ごと替えるのとユニットだけ替えるのじゃ生存率が違う」
言い方は軽い。
内容は笑えない。
「ここが燃料カートリッジ」
マローラは側面の筒状部品を指で弾く。
「有限だ。噴かしすぎると逃げる足が消える。逃げる足が消えると、まあ食われる」
「分かりやすいな」
「戦場は分かりやすい方がいい。難しく考えてる間に死ぬ」
マローラはユニットを床に置き、片足で踏む。
「加速装備って聞くと、馬鹿は速く走る道具だと思う。違う。これは姿勢制御、踏み込み補助、緊急回避、着地衝撃の殺し込み。全部込みだ」
「殺し込み?」
「着地の衝撃を受け流すことだ。飛ぶだけなら馬鹿でもできる。降りられねぇ奴から死ぬ」
クラウスは昨日の戦場を思い出した。
スイの動き。
一歩で消えて、次の瞬間には敵の死角にいる。
あれは速さだけではない。
止まり方まで含めて異常だった。
「少佐は、あれを普通にやってんのか?」
クラウスが聞くと、マローラは楽しそうに笑った。
「いい目をしてるじゃねえか」
「マローラ」
スイの声が低くなる。
「はいはい。余計なことは言わねぇよ」
マローラは両手を上げた。
だが、口は止まらない。
「ただ一つだけ言うなら、スイは装備に振り回されてねぇ。装備を身体の一部として扱ってる」
「それ、普通はできないのか?」
「できるわけねぇだろ」
マローラは即答した。
「加速は便利じゃない。身体に無理を押しつける暴力だ。脚、膝、腰、視界、内臓、判断速度。全部が追いつかなきゃ、敵より先に自分が壊れる」
「……怖ぇ装備だな」
「怖がれ。怖がって使う奴の方が長生きする」
マローラはそこで、クラウスの顔を見た。
左右で色の違う瞳が、急に深くなる。
「昨日の戦場、怖かったか?」
クラウスは一瞬黙った。
軽口で流そうとして、やめる。
「怖かった」
「よし」
「よし?」
「怖いものを怖いと言えるうちは、まだ戻れる」
その言葉だけ、妙に重かった。
クラウスは返せなかった。
マローラはすぐにいつもの顔へ戻る。
「で、こいつを履いて死なねぇために、今から基礎訓練だ」
「結局訓練かよ」
「当然だろ。説明だけで強くなれるなら、俺は今頃世界を救ってる」
「救ってねぇのか?」
「救ってやってる途中だ」
さらりと言った。
冗談のようで、冗談に聞こえなかった。
スイは何も言わない。
ただ、マローラを見ていた。
その沈黙が、妙に引っかかる。
「まずは装着」
マローラが指を鳴らすと、整備兵がコンバットブーツを持ってきた。
「履け、新入り」
「はいはい」
クラウスがブーツに足を通す。
重い。
普通の軍靴より、足首の固定が強い。
さらにユニットを取り付けると、脚全体が装備に掴まれたような感覚になった。
「違和感あるだろ」
「ああ。足が別物みてぇだ」
「その感覚を忘れるな。慣れたと思った時が一番危ない」
マローラはしゃがみ込み、接続部を確認する。
その手つきは早く、正確だった。
口は悪い。
態度も悪い。
だが、装備に触れる時だけ、妙に丁寧だ。
「スイ」
「何」
「新人、初回出力は三割でいいな」
「二割」
「慎重だな」
「昨日の動きなら三割で転ぶ」
「だとよ、新入り。少佐殿の温情に感謝しろ」
「今の温情なのか?」
「第25班基準ではな」
クラウスは顔をしかめた。
マローラは楽しそうに笑う。
「じゃあ、まず一歩だ」
「一歩?」
「そう。一歩だけ前に出ろ。噴射は短く。踏み込みと同時。上体を置いていくな。膝を殺すな。腰を逃がすな」
「注文多すぎんだろ」
「死に方を減らしてやってんだ。感謝しろ」
クラウスは息を吐く。
右足に力を込めた。
踵のユニットが低く唸る。
次の瞬間、身体が前へ飛んだ。
「うおっ!?」
景色が揺れる。
足が地面を捉えたと思った瞬間、勢いを殺しきれず身体が傾く。
転ぶ。
そう思った時、襟首を掴まれた。
スイだった。
いつの間にか横にいる。
「上体が遅い」
「……助かった」
「次は転んで覚えて」
「助けてくれねぇのかよ」
「毎回は無理」
冷たい。
けれど、正しい。
マローラが手を叩いた。
「いいじゃねぇか。初回で頭から行かなかっただけ上出来だ」
「これで上出来なのかよ」
「第25班の新人はな、初日にだいたい転ぶ。派手に。綺麗に。たまに折れる」
「聞きたくなかった」
「聞け。知らないと死ぬ」
マローラの声音が少しだけ落ちた。
「この装備はな、新入り。英雄になるための道具じゃねぇ。帰るための道具だ」
クラウスは足元を見る。
重い金属。
燃料。
噴射口。
昨日、自分を戦場に立たせたもの。
そして、間違えれば自分を殺すもの。
「帰るため、か」
「そうだ」
マローラはスイを見る。
「こいつらは帰るために戦ってる。敵を倒すのは、その途中にあるだけだ」
スイは答えなかった。
だが、否定もしなかった。
クラウスはその沈黙を覚えておくことにした。
「で、次」
マローラが笑う。
「今のを十回」
「は?」
「十回だ。終わったら横移動。次に停止。次に転倒受け身。最後に吐く」
「最後おかしいだろ」
「第25班へようこそ、クラウス・レイド」
マローラは白衣のポケットに手を突っ込み、悪魔みたいに笑った。
「ここじゃ、死なない程度じゃ足りねぇ。戻れるまで叩き込む」
スイが短く告げる。
「始めて」
クラウスは呻いた。
「……マジで棺桶じゃねぇか、ここ」
マローラが笑う。
スイは笑わない。
けれど、クラウスが一歩目を踏み込む瞬間、その視線だけは確かにこちらを見ていた。
冷たく。
厳しく。
決して、見捨てない距離で。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます