[1話読み切]ラストメモリア 日常編
りえまる・ラストメモリア連載中
異世界に来たはいいけど、洗濯とお風呂どうするの?
ユノは、ふと思い出したように聞いた。
「ミユ、洗濯はちゃんとできてる?」
「洗濯?」
ミユは顔を上げた。
数日前、ミユはナギサの村に迷い込んだ。
ナギサの村は、湖のそばにある小さな村だ。
住んでいる人は十人ほどしかいない。
魔法があって、ギルドがあって、森の向こうには近づきすぎない方がいい場所もある。
そのギルドを任されているユノは、今のミユにとって一番聞きやすい相手だった。
まだ分からないことだらけだった。
ただ、家はある。
トイレもある。
シャワーらしきものも、なんとなく使えている。
だから最初は、それで十分だと思っていた。
思っていたのだけれど。
「うん。サヴィルさんにもらった服もあるし、やり方分かるかなって。」
サヴィルは、村で服を仕立てている人だ。
ミユが今着ている服も、その人が用意してくれたものだった。
「あ、それなら大丈夫。」
ミユは少し得意げに言った。
「シャワーで洗って、部屋に干してる。」
ユノの手が止まった。
「……部屋に?」
「うん。」
「シャワーで?」
「うん。」
「乾いた?」
「…ちょっと湿ってる。」
「だよね。」
「……違った…?」
ミユは思わず身を乗り出した。
「いや、なんかあってるのかな?とは思ったの! 部屋がちょっと湿っぽいし、服も微妙に乾ききらないし!」
「そうだね。あまりおすすめはしないかな?」
「やっぱり!」
ユノは困ったように笑った。
「少しだけなら部屋に干してもいいけど、濡れた服をそのままずっと干すと匂いが残るし、部屋も湿るよ。」
「今考えると…最悪じゃん。」
ミユはがっくり肩を落とした。
魔法がある。
ギルドがある。
森の向こうには危ない場所がある。
そんな世界に来たのに、生乾き臭に悩まされている。
「じゃあ、…どうすればいいの?」
「ギルドの裏手に洗い場があるから、一緒にやってみる?」
「え、うん!今?」
「うん。聞くだけより、一回やった方が早いと思う。」
「なんか、生活の授業みたいになってきたね。」
「ふふ、そうかもね。」
ユノは少しだけ笑って、カウンターの上の紙をまとめた。
「サヴィルさんの服なら、洗い方も少し気をつけた方がいいしね。」
「やっぱり?変な洗い方したら傷むかな?」
「うん。布によっては形が崩れたり、手触りが変わったりすることもあるから。」
「それは嫌だ。」
ミユは袖をつまんだ。
この服は、けっこう気に入っている。
動きやすいし、窮屈じゃないし、何より、ちゃんと自分の服という感じがする。
せっかくなら、長く着たい。
「お願い。今すぐ覚えたい!」
「うん。じゃあ、洗うもの持ってきて。」
「はい。」
返事をしてから、ミユは少しだけ固まった。
「……下着もだよね?」
「うん。もちろん。」
急に現実感が増した。
*
ミユは一度家に戻って、洗いたい服と下着を布に包んで持ってきた。
それを抱えてギルドに戻ると、ユノはもう裏口の方で待っていた。
「こっち。」
ギルドの裏手に出ると、そこには思っていたよりちゃんとした洗い場があった。
屋根のついた小さな場所。
石でできた流し台のような台。
水桶。
洗い板。
布を絞る場所。
横には干し紐が張ってあり、奥には目隠し用の布がかかった一角もある。
「わ、しっかりしてる。」
ミユは思わず声を漏らした。
「私の家にもこういうの欲しいな。」
「家で干すなら、あとで簡単な紐くらいは用意できるよ。」
「ほんと?」
「うん。でも、慣れるまではこっちに干しに来てもいいよ。水の使い方も、干し方も、一緒に覚えた方が安心だし。」
「助かる……。部屋に湿った服ぶら下げる生活から卒業したい。」
「そうだね。」
ユノは少し笑って、慣れた手つきで水桶を寄せた。
「普通の服はここで洗っていいよ。洗った水は下の溝に流れるけど、すぐ湖に行くわけじゃないから。」
「え、湖に行かないんだ?」
「砂利と炭と水草を通すところがあるの。全部きれいにできるわけじゃないけど、軽い汚れならそこでだいぶ落ちる。」
「そっか、湖を汚さないように?」
「そうだね。」
ユノは頷いた。
「何でも流していいわけじゃないよ。」
「注意しないとね。」
「うん。血とか、強い薬剤とか、薬草の残りとか、森の変な泥とか。そういうものは普通の洗い場では流さない。」
「魔法とか侵食域だけじゃなくて、生活の覚えることも多いね。」
ミユは布包みを石台の上に置いた。
ユノはその中から服を一枚取り出して、縫い目や布の厚さを見た。
「サヴィルさんの服は、強くごしごししすぎない方がいいかな。一旦全部じゃなくて、気になるところと、下着だね。」
「分かった。どうしたらいい?」
「汚れが強いところだけ先に落として、全体は押し洗いする感じ。」
「押し洗い……急に女子力が必要になった。」
「ふふ、そうだね。」
ユノは布を水に浸して、手のひらでやさしく押した。
「布をこすり合わせると、傷みやすいものもあるから。」
「へえ……。」
ミユも真似をした。
押す。
水がじわっと布に入る。
「おお。なんか、ちゃんと洗ってる感じがする。」
「そう?」
「今までシャワーで流して終わりだったし。」
「うん。…ちょっと湿ってたみたいだしね。」
「それは忘れて!」
ユノは小さく笑った。
「下着はこっちの目隠しがある場所に干せるよ。外からは見えにくいようにしてあるから。」
「助かります……。」
ミユは頷いた。
服。
タオル。
それから、干された下着。
たぶん、ユノのものだ。
……おっきい。
そう思ってしまってから、自分の顔が少し熱くなるのを感じた。
いや、今のは違う。
違わないけど、違う。
生活用品として見ただけ。
そういうことにした。
「ミユ?」
「うん?なに?」
「下着は、ちゃんと風が通るところに干してね。湿ったままだと良くないから。」
「……はい。」
ユノはいつも通りだった。
気づいていないのか。
気づいた上で流してくれているのか。
どちらかは分からなかった。
分からなかったけれど、ミユはそれ以上そちらを見ないことにした。
「今後はね、シャワーで全部洗うのはおすすめしないよ。」
「なんで?水は出るのに。」
「水は出るけど、シャワーは服を洗うための場所じゃないから洗いにくいし、お湯は勝手に出てるわけじゃないからね。」
ミユの手が止まった。
「……あ。」
「家のシャワー、使えてるでしょ?」
「うん。それはほんとに助かってる。」
それは本当だった。
知らない村に来て、家があって、トイレがあって、シャワーまで使えた。
それだけで、かなり救われていた。
正直、どういう仕組みで水が出ているのかまでは、あまり考えていなかった。
「あれも、勝手に動いてるわけじゃないの。」
「……だよね。」
「水を見てる人がいる。詰まりがないか確認する人もいる。お湯を使うなら、薪を割って、火を見て、水を温める人がいる。」
「……そっか。」
ミユは少しだけ黙った。
「あってよかった、って思ってた。」
「うん。」
「でも、そのための仕事があるんだ。」
ユノは静かに頷いた。
「あるよ。毎日使うものだからね。」
ミユは自分の手元の服を見た。
水を含んだ布は、思ったより重い。
ただ洗うだけなのに、手間がある。
水を使う。
干す。
乾かす。
それだけのことなのに、ちゃんと場所があって、決まりがあって、誰かの仕事と繋がっている。
「水は湖から来てるの?」
「うん。正確には、湖につながる取水場からかな。そのままじゃなくて、砂利や炭を通して、使える状態にしてる。だから、喉が渇いたからって、湖の水をそのまま飲もうとはしないようにね。」
「……そんなことすると思われてる?」
「普段の湖が危ないって意味じゃないよ。でも、飲むなら汲んで管理してある水にして。特に大雨のあととか、森の方で何かあったあとは避けてほしいの。そういう時はテオさんから『今日は水を飲まないで』って共有が来ることもあるよ。」
テオは、湖で魚を釣っている人だ。
釣った魚は宿屋の食事に出ることもあるし、村の食卓にも回る。
「そこにもテオさん出てくるんだ。」
「水のことだからね。普段は取水場とろ過場で整えるけど、必要な時はクラウスさんの浄水剤を使うこともあるよ。」
クラウスは、村の道具屋だ。
薬草や油、布や瓶のような、生活に必要なものを扱っている。
「そんなものまであるの?」
「小さい村だからね。生活に必要なものは、だいたい誰かが見てる。だから、喉が渇いた時も、そこにある水を勝手に飲むんじゃなくて、飲んでいい水か聞いてね。」
「はい。」
「慣れたら見分けはつくけど、最初は聞いた方がいいね。」
ミユは真顔で頷いた。
水が出る。
お湯が使える。
服が洗える。
それだけで助かると思っていたけれど、そこにもちゃんと決まりがある。
当たり前のように使えているものほど、知らないままではまずいらしい。
「薪は、誰が割ってるの?」
「テオさんやガレスさん、ダリオさんがまとめて割ってくれることが多いかな。」
ガレスは武器屋で、ダリオは農家の人だ。
テオも含めて、三人とも力仕事には慣れていそうだった。
「薪割り、…なんかすごそう。」
ユノは少し笑った。
「お湯はヘレナさんが見てくれることが多いよ。宿で使う分もあるからね。テオさんが手伝うこともあるし、ギルドで使う時は私も見る。」
「じゃあ私、今まで何も考えずにお湯使ってた……。」
「最初はそれでいいんだよ。」
「いいの?」
「うん。来たばかりで全部は無理だから。でも、これからこの村で暮らすなら、少しずつ覚えていこうね。」
「薪割りとか?」
「うん。薪割りとか、湯沸かしとか、水を使う時の決まりとか。時間を見つけて教えるから。」
「ユノが?」
「うん。危ないところは、できる人にも頼むけどね。」
「急に怖い。」
「だから教えるの。」
ユノの声は柔らかかった。
外から風が入ってきて、洗い場の目隠し布が小さく揺れる。
ミユは水を含んだ服をもう一度押した。
「この村、住むだけで覚えること多くない?」
「そうだね。住むって、そういうことだからね。」
「ぐうの音も出ない。」
ミユは何度か、湖の方を見ているテオの姿を見かけていた。
魚を釣るだけではなく、湖を見て、水の変化を拾う人。
少しだけ、その意味が分かってきた気がした。
「思ったより、村の水っていろんな人が見てるんだね。」
ミユは真顔で言った。
ユノは少しだけ笑った。
「だから、村の人とちゃんと話してね。聞いてないと困ることもあるから。分からないことは聞いていい。むしろ、聞いて。」
ミユは少しだけ頷いた。
分からないことを聞く。
それは当たり前のようで、意外と難しい。
こんなこと聞いていいのか。
こんなことで困っていると思われないか。
そう考えて、流してしまうことはある。
でも、この村では、流す方が危ないのかもしれない。
水も。
洗濯も。
トイレも。
シャワーも。
何となく使えるから大丈夫、ではない。
「じゃあ、トイレは?」
ミユは少し声を落とした。
「何気なく使ってるんだけど、あれも何かやらないといけないことある?」
「あるよ。でも、難しいことじゃない。変なものを流さないこと。水場に繋がってるところとは別だから、勝手に洗剤とか薬剤を入れないこと。あと、匂いや詰まりが気になったら放っておかずに言うこと。」
「分かった。…でも、今まで何も考えずに使ってたなあ。」
「最初はそれでいいよ。これから覚えればいい。」
ユノはそう言って、洗った服を軽く絞った。
ミユも真似して絞ろうとした。
「……固い。」
「反対側持とうか?」
「お願いします。」
二人で布を絞ると、水が細く落ちた。
ミユはそれを見ながら、ふと思い出した。
「じゃあ、シャンプーとかは?」
「それなら道具屋さんにあるよ。クラウスさんのところ。ただ、買うならミユの報酬から払ってね。」
「…はい!」
「何を買えばいいかは教えるよ。それと、水に流していいものかどうかは、クラウスさんに聞いてね。私も大体は分かるけど、薬剤や油は物によるから。分からないまま使わないこと。」
「はい。」
「いい匂いがするものでも、湖にそのまま流していいとは限らないよ。」
「魚にとっては、いい匂いじゃないかもしれないってこと?」
「そういうこと。」
「魚基準、また来た。」
「魚も村の一部だからね。」
ユノは当然のように言った。
ミユは少しだけ黙った。
魚も村の一部。
そんな言い方を、元の町で聞いたことはなかった気がする。
でも、この村ではたぶん、本当にそうなのだ。
湖があって。
魚がいて。
テオがそれを見て。
ヘレナが食事を作って。
クラウスが道具を売って。
ユノがギルドで人の流れを見ている。
そこに、ミユも少しずつ入っていく。
服を洗うだけなのに。
話が大きい。
「生活って、思ったより全部繋がってるんだね。」
「うん。」
「シャワーと洗濯の話だったはずなのに。」
「そこから繋がることもあるよ。」
「この村、油断できない。」
「そうかな?」
「そうだよ。洗濯から村の仕組みまで来たんだけど。」
「大事なことだからね。」
ユノは洗った服を広げ、干し紐にかけた。
「サヴィルさんの服は、形を整えて干してね。肩のところとか、裾とか。変な形で乾くかも。」
「それは嫌だ。」
ミユは慌てて布を整えた。
サヴィルが作ってくれた服。
自分のために用意された服。
それを雑に扱うのは、嫌だった。
「下着は?」
「こっち。」
ユノは目隠しの布の内側を示した。
「ちゃんと風が通るようにして、重ならないように干す。人目が気になるなら、布をかける位置を調整していいよ。」
「助かる……。」
ミユは言われた通りに干した。
思ったより気を使う。
初日の湿った部屋干しとは違う。
ちゃんとした場所に、ちゃんと干されている。
それだけなのに、不思議と安心した。
「……洗濯した。私、ちょっと村で暮らしてる感ある。」
ユノはやわらかく笑った。
「ふふ、そうだね。」
その言葉が、思ったより嬉しかった。
ミユは干された服を見た。
風が通って、布が少しだけ揺れる。
「……ユノ。」
「うん?」
「昨日シャワーで流して部屋に干したやつ、洗い直していい?」
「うん。そうしようか。」
魔法より先に。
剣より先に。
まず、洗濯だった。
ミユはそう思いながら、もう一度水桶の前に立った。
*
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