第16話 初回案件

「あんた、そんな丸腰で行く気かい」


 マルタが小屋の奥から、どさりと重い音を立てて机に何かを置いた。出発の身支度を整えていたシオンが、その音に驚いたように肩を揺らして足を止める。

 木製の机の上に置かれていたのは、洗練された騎士の剣でも、手入れの行き届いた軍用の得物でもなかった。薬草の硬い根を叩き切ったり、太い薪を力任せに割ったりするのに長年使われてきた、ずんぐりと重い鉄の大鉈だった。


 ジンは黙ってそれを手に取った。五指をかけ、片手で持ち上げる。見た目以上の重量が手首にかかった。ジンは何度か軽く上下に振り、その刃の風切り音を確かめる。


「……重心が前に寄りすぎている。刃も厚い。素人が振れば遠心力に振り回されて、自分の足を切るな」


「文句があるなら置いてきな。最初からそいつは人殺しの道具じゃなくて、ただの開墾用さ」


「いや」


 ジンは低く呟くと、籠に丸められていた古いボロ布を一枚手に取った。それを細長く裂き、木柄にキチキチと等間隔で固く巻きつけていく。無骨な鉄塊に、確かな持ち手が形成されていった。


「これでいい。叩けば骨は折れる。刃が鈍いなら、質量で潰せばいいだけだ」


 ジンの目が、一瞬にして冷徹な兵士のものに切り替わっていた。

 マルタの村から南へ続く街道は、北の集落への道とは全く異なる表情を持っていた。湿った泥と冷たい霧ではなく、乾燥した赤土が果てしなくむき出しになっている。からりと乾いた強い風が吹き抜けるたびに、細かい砂埃が舞い上がった。


「ジンさん、右腕の調子はどうですか」


「問題ない」

 ジンは前を向いたまま、短く答えた。


「無理はしないでくださいね。今回の目的は、あくまで倉庫に眠っている荷物を確保することですから」


「分かっている。任務の優先順位は、物資の保全が第一。敵の排除は第二だ」


 一時間ほど赤土の道を歩き続けると、街道の脇、なだらかな傾斜のふもとに、頑丈な石造りの平屋が見えてきた。窓は小さく、鉄の格子が嵌められている。

 建物の周囲には、人影どころか、羽虫の羽音一つなかった。

 正面の重厚な両開き扉の前に立つ。木製の扉は、内側から何か巨大な力で押し出されたように、中央の合わせ目が不自然に歪み、わずかな隙間が開いていた。


 ジンが左手で錆びた取っ手を掴み、ゆっくりと扉を引き開けた。

 ギィ、と錆びた蝶番が耳障りな悲鳴を上げる。


 開け放たれた倉庫の内部は薄暗く、街道の光が差し込んだ床に、うっすらと埃が舞っているのが見えるだけだった。

 ジンは細く息を吐き出し、一歩、暗がりの石畳へと踏み込んだ。シオンがそのすぐ後ろ、ジンの背中の遮蔽に入るようにして続く。


 コツ、と二人の靴音が、無人の空間に小さく響いた。

 その刹那だった。


 暗闇の奥から、空間そのものを引き裂くようなすさまじい風切り音と共に、巨大な質量が猛烈な勢いで、二人の視界へ突っ込んできた。


「シオン、下がれ!」

 ジンは考えるよりも先に動いていた。左手でシオンの細い身体を後ろへ突き飛ばすと同時に、腰から大鉈を抜き放ち、両手で斜めに構えて正面の空間を遮る。


 ガキィン!!!


 激しい金属音が至近距離で鼓膜を刺し、ジンの両腕に、肉を激しく震わせるほどの衝撃が走った。


 砂埃を巻き上げて転がり停止したのは、一台の荷車だった。荷台には塩の袋や布の束、薬草の箱が山積みにされている。馬はいない。それを引く御者の姿もない。

 床に転がった荷車は、ただの、投げつけられた物として、そこに静止しているはずだった。


 ――ガッ!!


 予兆は、何もなかった。

 車輪が回りだす摩擦音も、木製の車体が軋む前触れすらも、何一つとしてなかった。ただの木と鉄の塊として転がっていたはずの荷車が、静止状態から一瞬にしてトップスピードに達したのだ。


 鉄輪で補強された梶棒が、ジンの脇腹の無防備な隙をめがけて、鋭い槍のように突き込まれる。


 兵士としての生存本能だけで、ジンは辛うじて大鉈の腹をその軌道に滑り込ませた。だが、体勢が完全に崩れていた。


 ジンは石畳の上を強引に何メートルも横滑りさせられ、倉庫の壁際に立つ頑丈な石造りの支柱に背中を強く叩きつけられた。


 しかし、荷車は攻撃の手を緩めない。車輪を狂ったように回転させ、壁際に追い詰めたジンの身体をそのまま圧殺しようと、なおも狂暴なまでの圧力をかけてきた。


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