最終話 零(ゼロ)の静寂


 雪が止んだ。


 森を覆っていたのは、命の気配さえも凍らせる、完璧な沈黙だった。


 かつて水路と呼ばれた場所には、氷と油が混ざり合い、黒く濁った鏡のような大地が広がっている。その氷の下には、かつて世界を動かしていた船の残骸が、錆びついた墓標のように沈んでいる。


 老ライオンは、吹雪の中で膝を折ったまま、かつて自分の爪を立てた領土を見つめていた。


その手には何も握られていない。


彼が守ろうとした「威厳」も、彼が従えようとした「秩序」も、今はただの凍りついた肉塊となって雪に埋もれている。


彼が最後に求めたのは、力ではなく、ただ暖かな陽だまりだった。しかし、それを奪ったのは、他ならぬ自分自身が始めた争いだった。



 チーターもまた、水路の入り口で動かなくなっていた。彼は最後まで「通行権」という名の境界線にしがみついていた。

彼にとって水路は生命線であり、存在意義だった。だが、彼が閉ざしたのは、他でもない自分の未来への門だったのだ。

凍りついた瞳には、自分一人だけが生き残る世界を夢見た、そのあまりに愚かな希望が、哀れな残像として焼き付いている。



 キツネやイヌ、そしてネコたちが暮らしていた村も、今はもう、雪山の一部に過ぎない。


 ネコの村の洞穴では、長老が小さなラジオを抱きしめたまま眠りについていた。


電池は切れて久しい。そこには、かつて人々が「より便利に、より豊かに」と追い求めた文明の残滓が、無意味なガラクタとして転がっている。


 オオカミさえも、森の奥で力尽きていた。彼は誰よりも先に、誰かを出し抜くことの不毛さに気づいていたはずだった。


だが、気づいたときには、すでに奪うべき相手は誰もいなくなっていた。彼は勝利の味を知ることなく、ただ「空っぽ」の森を支配して死んでいったのだ。


 空には、冷たい月が浮かんでいる。


 その光は、この森で起きた殺戮も、争いも、飢えも、すべてを等しく照らしている。


 森には、もう誰も居ない。


 息をするものも、咆哮するものも、計算する者も、争う者も。


 ただ、風が吹き抜ける音が、まるで森が深い溜息をついているかのように響く。


 あの水路を巡って、何が奪い合われたのか。


 なぜ、あれほどまでに必死に、明日を、来月を、未来を確保しようとしたのか。


 答えは、誰にもわからない。いや、そもそも最初から答えなどなかったのだ。


 文明という高度な仕組みを回すために、彼らは互いを喰らい、環境を削り、最後には自分たちの足元にある大地すら冷え切らせてしまった。そのあまりの愚かさと、それによってもたらされたあまりに静かな結末。


 雪原に残されたのは、ただ一つの真実だけ。


 「分かち合う」ことを忘れ、「奪い合う」ことの果てにたどり着いたのは、誰もが平等に消え去るという、空虚な「ゼロ」の世界だった。


 月光の下で、凍りついた森が青白く光る。


 歴史という長い物語のページが、風によって一枚、また一枚と、何もない闇の中へとめくられていった。




◇◆◇◆


これで物語は幕を閉じます。


争いの果てには誰もいなくなり、かつて人々が切望した「未来」も「豊かさ」も、すべてが歴史の塵となって消え去りました。


これが、現実に成らないことを願います。

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