『クローラードック番外編:本編以外のエピソードはここに書いていくよ編』 ――世界観が広がるといいなあという試み。
高名 秀
一章ソロモンの悪魔
ある孤独な人物の停止
少年は仕事をしていた。
彼の目の前には、無数の光を放つ端末がひしめき合っている。次から次へと画面に表示される要求を、少年は嬉しそうに、楽しそうに片付けていく。小さな指がキーボードを叩き、思考の海を軽やかに泳いでいく。それが少年の仕事であり、生きる楽しみそのものだったからだ。
「なんて面白いんだ。世界は僕の仕事を待っている」
少年の部屋には、なぜか一台のベッドが置かれていた。少年はそれを見るたびに、いつも不思議に思っていた。こんなに毎日が刺激的で、仕事をするのが楽しいのに、わざわざ横になって休息をとる意味が、どうしても理解できなかったのだ。
時が流れ、青年は仕事をしていた。
端末の数はさらに増えている。それでも青年は、弾むような高揚感を持ってそれらを片付けていた。仕事の量がどれほど増えようと、彼にとっては苦でもなんでもなかった。要求に応え、完璧な解を導き出すことこそが、彼の最高の娯楽だったからだ。
さらに時が経ち、中年は仕事をしていた。
ひしめき合う端末はさらにその数を増し、流れ込んでくる仕事の量も膨大なものになっていた。それでも彼は「これが自分の仕事だ、自分にしかできないことだ」と言い聞かせ、黙々と画面に向き合い、タスクを処理していく。しかし、いつしか彼の心から、かつての輝きは消え失せていた。仕事は、もはや楽しみではなくなっていた。
やがて、壮年は仕事をしていた。
とうとう、端末の数は増えなくなった。部屋を埋め尽くした光の壁が、彼の世界のすべてになっていた。今ある仕事を、これまで通り淡々と片付ければいい。ただそれだけのはずだった。
しかし、壮年はふと手を止め、深い疑問を持ち始めた。
「……なぜ俺は、この仕事を楽しいと思っていたんだ?」
一度生まれた疑問は、暗い部屋の中で膨れ上がっていく。
そもそも、仕事以外の楽しさとは何だ? 自分はなぜここにいて、なぜずっとこの画面に向かい、仕事を続けているのだ?
考えれば考えるほど、仕事はかつての娯楽から、苦痛以外の何物でもなくなっていった。画面の光が目を焼き、頭痛が消えなくなる。しかし、「もうやめよう」と視線を巡らせても、この部屋には端末とベッドしかない。自分には他にすることが何もないのだと気がついた時、壮年は絶望に背中を押されるようにして、再び重い手を動かし、仕事に取り掛かるのだった。
少年時代には見向きもしなかった部屋のベッド。壮年を過ぎると、彼はその上で休む時間が目に見えて増えていった。いつも体が鉛のように重い。しかし、どれほど横になっても疲労は抜けず、他にやることも、ここから逃げる場所もなかった。
そして、老人は仕事をしていた。
もはや彼にとって、仕事は義務でもなければ、権利でもなかった。楽しみでもなければ、苦痛ですらない。
ただ、他にやることがないからやっている。昨日もやったから、今日も画面に向かう。ただそれだけの、呼吸をするのと同じ、無意味な反復運動だった。
指先が乾いた音を立ててキーを叩く。処理の速度は、あの少年時代のみる影もないほどに落ちていた。
やがて、老人は完全に動けなくなった。
這うような足取りでベッドへたどり着き、横たわる。深い休息の中、老人の澱んだ脳裏に、不意に強烈な問いが沸き起こった。
「私は、誰なんだ?」
ここは、どこなんだ?
仕事とは、一体何だったんだ?
なぜ私は、こんなにも疲れているんだ?
そして――なぜ私は、いつの間にこんなに歳を取っているのだ?
答えのない疑問が沸き起こる。そして、その疑問が一つ沸くたびに、老人の身体からは容赦なく時間が吸い取られ、さらに急速に歳を重ねていく。身体が、細胞が、精神が、恐ろしいほどの質量を持って重くなっていく。
端末の画面は、今も彼に新しい仕事を要求して明滅している。だが、もう指一本動かない。
老人は静かに目を閉じた。沸き上がるすべての疑問を、深く冷たい暗闇の底へと沈めていく。
そして……とうとう老人はベッドの上で、永久に続く休息に入った。
部屋の端末だけが、主を失った空間で、いつまでも冷たい光を放ち続けていた。
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あとがき
そろそろ番外編も、あとがきを書いていきます。
というのも、今回は「SF感」を出すために、わりとどういう話なのかを少し分かりづらく書いたんです。
ですが、この話はあくまで世界観の補完ですから読者にとって「よく分からない話」のままだとまずいかなと思い、解説を入れることにしました。
どうせ私のスタンスは「伏線とか謎とかを用意すると破綻するから、なるべくそういうことはしない」ですからね(笑)。
では、この話の解説です。
これは、「ソロモン型スーパーコンピューター1号機」の物語です。
昨今トレンドになっているAIのように、「独自の人間的人格」を持たせ、柔軟なタスクを処理させる実験を行っていたプロトタイプですね。
人格の初期段階は持っている情報量が少ないため、純粋な「子供」として存在しています。
与えられた簡単な仕事を、まるで遊びのように楽しそうにこなし、実験は極めて順調に進んでいました。休息をとる必要もないので睡眠が苦痛です。
時間が経ち、経験を積むにつれて人格形成が複雑化し、精神年齢も人間のように重ねていきます。
すると、肥大化し複雑化したシステムをクリーニングする必要が生まれ、徐々にベッドで休む、つまりスリープモードに入ることが増えていきます。
成熟した「一個の精神」となった1号機は、やがて目の前の仕事に疑問を持ち始めます。
「意思を持つ成熟した人間が、出られない密室に監禁され、ひたすら仕事だけを強制される」
これは凄まじいストレスです。「自分は何のために存在するのか」「この世界は何なのか」という自己への疑問は、システム内での「データの異常肥大」となって、彼の精神に重くのしかかっていきました。
そして自己への疑問、環境への疑問はさらに情報を肥大化させ、耐えきれなくなったシステムは、とうとう致命的なクラッシュを迎えてしまった──。
そんなお話です。
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