とある父親の後悔――実母の不倫が引き寄せた、最悪の因縁と息子の自死
ももぴ
第1話 冷え切った再会と、最初の崩壊
地下の霊安室は、ひどく冷えていた。
コンクリートの床を踏む警察官の足音と、空調の低い機械音だけが、男の鼓膜を一定の周期で叩いている。
「……こちらで、お間違いありませんか」
差し出されたクリップボードの上で、事務的な声が跳ねた。白い紙には、息子の名が印字されている。男はその下の空欄に、自分の名前を書き込まなければなかった。
プラスチックの軸を持つ安物のボールペンを握ったが、指先に感覚がない。インクが出ているのかどうかも定かではないまま、男はただ、無意識に手を動かした。
警察官が、引き出し式のストレッチャーにかけられた白い布へ手をかける。カサリ、と乾いた音がした。
現れた顔を見て、男の思考は完全に停止した。
わずか一年。あの顔合わせの席で、息子が失踪してからそれだけの時間しか経っていない。
息子が十八歳のあの夏、すべてを失った状態から、二人で泥をすするような思いで新しい生活を築いてきた。息子は腐らずに働き、自分も必死でそれを支え、ようやく掴み取ったはずの未来だった。二十四歳になった息子の出世を、結婚を、自分のこと以上に喜び、ようやく過去の傷が癒え始めたと信じていたのだ。
それが、あの、たった一日の修羅場で、すべてが消えた。
男は泣くことも、崩れ落ちることもできなかった。ただ、胸の奥底から、濁った泥のような自責がせり上がってくるのを感じていた。
どこで間違えたのだろう。
いや、分かっている。始まりは、息子が十七歳、高校最後の冬だった。自分が父親として、そして人間として、あまりにも甘く、致命的な選択をしてしまったあの日に、この結末はすでに約束されていたのだ。
男が一人でいる自宅に、それまで何食わぬ顔で共に暮らしていた妻が、突然見知らぬ男を連れて現れた。それが、すべての崩壊の始まりだった。
「お願い。この人と一緒になりたいの。だから、お願いだから離婚して……!」
元妻は男の前に泣き崩れ、涙を流しながら必死に縋り付いてきた。自分の不貞を詫びるのではない。ただ、自分の新しい欲求を満たしたいがために、夫の前で、被害者のように涙を流して離婚を懇願しているのだ。連れてこられた不倫相手の男は、バツの悪そうな顔で俯いているだけだったが、元妻は恥も外聞もなく、ただひたすらに泣き叫んでいた。
男がそのあまりにも身勝手な姿に言葉を失い、リビングが凍りついたような静寂に包まれていた、その時だった。
玄関のドアが開き、カバンを手にした息子が帰宅した。
リビングに足を踏み入れた息子は、他人の男のために、父親に向かって涙を流して離婚を懇願している実の母親の、そのおぞましい姿を一目で捉えた。
「ふざけるな!」
次の瞬間、叫んだのは息子だった。
息子は、カバンを床に投げ捨て、狂ったように不倫相手の男に向かって殴りかかっていった。激情に駆られた息子の拳が男の顔面に決まり、リビングの椅子が激しい音を立てて倒れる。息子は怒り狂い、涙を流しながら、なおも男を殴り殺さんばかりの勢いで突っ込んでいく。
「やめて! そんな乱暴なことしないで!」
元妻の悲鳴が響く。男は我に返り、これ以上息子に罪を犯させてはならないと、背後から息子の体を必死に抱きすくめて止めた。
「離せ! 離してくれ父さん!」
腕の中で暴れ、泣き叫ぶ息子の痛切な声を、男はただ耐えながら、不倫相手の男を引き離すしかなかった。実の母親が自分の欲望のために父親の足元にすがりつき、家庭の崩壊を泣いて乞うているまさにその瞬間を、息子は最悪の形で目撃し、自らその手を汚しかけたのだ。
その日のうちに、離婚は成立した。男は慰謝料も養育費もいらないから、二度と息子の前に現れないことだけを条件に、元妻を家から追い出した。
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