急

 瞼を開けると、白地に黒い歪な点が浮かんでいる天井が飛び込んできた。保健室の天井だ。


「伊津野さん。入っていいかな?」


 保健室の先生が、静かにカーテンを開けて入ってくる。先生は私に「今朝から体調悪かったの?」とか「今は倒れたときよりマシ?」って聞いたあと、体温計を渡してカーテンの向こうに消えた。


 思ったより大事になってしまったな。脇にはさんだ金属の冷たさが、一瞬だけ叶の死から気をそらさせてくれた。




 正午くらいに、父さんが顔を真っ青にして迎えに来た。先生と父さんが何かを話してるのが耳に入ってきたけど、内容は覚えてない。


 結局私は早退することになって、荷物を抱えたまま助手席から校舎を眺めていた。家に着くまでの間、お父さんは私に5、6個質問してきたけど、何を聞かれたか、何を答えたかはさっぱり記憶にない。


 


 それから数日も経たずに、私は叶の葬式に参列することになった。少し早めに起きて、洗面所で髪を巻く。肩にかかった髪の毛を取って、外ハネにして



 ……あれ、なんで親友の葬式に行くのに髪巻いてんの?人を死に追いやっておいて、いつも通りオシャレしようとしてるんだ。


 コテの電源を落として、鏡を見た。薄情な女がこっちを見ている。叶が死んでから、今まで叶に向けてた感情が全部帰ってきたみたい。


 洗面所の電気を消したあと、少し皺になったブレザーを羽織って、私は家を出た。





 木魚の音とお坊さんの低い声のせいで、私は瞼が重くなった。


 舌を噛んで、太ももをつねって、気合で目を覚ます。眠気から逃れるために、周りの様子を監察していると、居眠りしている男子が二人いた。一人は頭をくらくら揺らしている、もう一人はぐったり項垂れて動かない。


 私も傍から見たらあんなふうに見えてんのかな


 そんなことを考えていると、


「智奈ちゃん、そろそろ焼香行かないと」


 みゆきが隣から声をかけてきた。


「あ、そうだね。教えてくれてありがとう」


 私はパイプ椅子から立ち上がって列に並んで前に進む。


 焼香台への列に並んでいるとき、私は横目で他の参列者を見た。一周回ってウザく思えるくらい泣きじゃくる女の子。その子の肩を擦り続ける女の子。片目から涙を一筋落として、血が出そうなほど唇を強く噛んでいる叶の担任。


 短い付き合いなのによく泣けるなあ。


 私は前の人の見様見真似で焼香を落として、自分の席に戻ろうとした。


 そのとき、見つけてしまった。

叶のお母さんとお父さんを。黒い着物に身を包んだお母さんは右手で遺影を抱えている。隣に座るお父さんは、お母さんの空いた左手を包むように握っていた。二人は泣きもせず怒りもせず、前を向いている。


 私があんなこと言わなきゃ、こんな光景見なくて済んだのかな。


 席に戻って、現実にならなかった『もしも』について考え続けてる内に、葬式は終わった。



 式場を彷徨ってると、いろんな保護者や同級生達の噂話が聞こえてきた。もしあの人達の言っている事が正しいなら、叶は学校に行ったフリをして、親が仕事で出ていったのを確認してから家に戻り自室で首を吊ったらしい。


 部屋の隅を見ると、居眠りをしていた男子達が先生に叱られている。そこだけきり取れば、学校の中の空気が流れている。


 みんな今は悲しんでるけど、5日も経たずに日常に戻るんだろうな。実際、お母さんが死んだ時の私がそうだったから。


 なんとなく、叱られているその子を見続けていたら


「智奈ちゃん」


 落ち着いた優しい女の人の声に呼び止められた。


「叶の、お母さん」


 叶のお母さんの目元は赤くて、顔周りの毛がクシャクシャだったけど美しかった。


「急に呼び止めごめんなさいね。どうしても渡しておきたい物があるの」


 そう言って、お母さんは懐から淡いピンクの便箋を出す。


『智奈へ』


 便箋にはそう書かれていた。


「遺書……ですか」


「私にはわからないわ。中身は見てないから」


 お母さんは私の手に、便箋を優しく包ませた。


「今まで仲良くしてくれてありがとう。こんなことになってしまって、ごめんなさい」


 お母さんは私の手をきゅっと包んだあと、旦那さんのところへ戻っていった。


 本当に謝らないといけないのは私なのに。


 雨に打たれながら家に帰ったあと、私はその便箋を引き出しの奥に入れて鍵を閉めた。そして私自身も、自分の部屋に閉じこもった。


 

────

 まさか自分がこんな形で引きこもりになるとは。


 5月の中旬、父が仕事で居なくなった家。私は無心でテレビと睨み合っていた。この時間帯の番組はどれもつまらないけれど、私に何も考えさせないでいてくれる。


 体が液体になって、意識ごとソファーと一体化しかけていたとき


ピーンポーン

「智奈ちゃーん。いるかなぁ?」


 先生の声で、私の体は固形に戻る。居留守で誤魔化そうかと考えたけれど、せっかく仕事の合間を縫って来てくれた先生を追い返すのは可哀想だと思った。


 昨日風呂に入っておいて良かった。


 私はドアを開けて先生を迎える。ドアを開けて外の景色を見るのは8日間ぶりだ。先生は私を見て肩をビクっとさせたあと、「お邪魔しまーす」と玄関の中に入ってきた。


「……ドアは開けたままにしとこうか。最近外の空気吸ってないでしょ?」


 私と先生は、並んで玄関に座った。


「ご飯ちゃんと食べてる?」


「一応」


 先生は小さく頷いて、空を見上げる。その横顔が私の中で、春休みの叶と重なった。気がつけば、私の口は勝手に動いていた。


「先生、叶は私が殺しました」


 一瞬、黒い瞳を見開いたあと、先生はすぐにいつもの顔に戻る。


「どうしてそう思うのかな」


「4月30日に、叶に死ねって言ったんです」


 慎重に言葉を選んだ。少しでも間違えたら泣いてしまうから。


「でもホントに死んで欲しかったわけじゃなくて、信じてもらえないだろうけど。一瞬だけ目の前から消えて欲しかっただけで」


 あの日の感情が形を変えて蘇っていく。


「ずっと、叶が自殺するって言う度に引き留めてました。きっと叶は引き留められたくて言ってたと、思うから」


 ホームに立っていた叶の顔が、鮮明に浮かぶ。


「でも、どうやって引き留めるのが正しいかわからなくて。実際、お母さんには何を言っても届かなかったし」


 久しぶりに、お母さんの姿が思い出された。遺影と違ってやつれたお母さんの姿が。


「それが、よくなかったんでしょうか。私が楽するために、しょうもない引き留め方ばかり、してたから、ここまで長引いたのかな」


 先生が私の背中に手を当てている。


「叶に、どれだけウザがられても私は、寂しくなるから、死なないで、今死ぬのは早すぎるって、本音をぶつけるべき、だったんですか」


 不自然に言葉が途切れている。繋げようとしたら他の部分が切れてしまう。


「私、どうすれば良かったか、わかってたのに」


 言葉が溢れてつっかえて、話せなくなった。見えるもの全てが歪んで揺らいで、鼻の奥がつんと痛い。先生は私が落ち着くまで、ずっと背中を擦り続けた。


 私が少し落ち着いた頃、先生は背中から離した手を床に置いた。


「確かに、死ねって言ったのは良くなかったかもね」


 柔らかくて重い声に、私は少し救われた気がした。


「でも、原垣さんを殺したのは智奈ちゃんだけじゃない。原垣さんのご両親、友達、私達先生。みんな原垣さんを救えなかった」


 その言葉には納得いかなかった。だって背中を押したのは確実に私だったから。


「でも、直接死ねって言ったのは私です」


 先生は私の手を強く握って言った。


「背中を押してしまったのは智奈ちゃんかもしれない。でも背中を押して落ちるとこまで追い詰めてしまったのは智奈ちゃんだけじゃないよ」


 先生の目からは、いつもの頼りないフニャフニャの瞼が消えていて、小さな光が灯っていた。


「智奈ちゃんはまだ子供。一人の人生を背負えるほど貴方は大きくない」


 私は何も言い返せずに、俯くしかなかった。布団をかけるように、先生の優しい声が覆いかぶさってくる。


「智奈ちゃん、約束しない?」


「約束?」


 先生は小指を出して、私の小指を包んだ。


「一人きりで誰かを救おうとしない。今の智奈ちゃんは誰かを救おうとすると一緒に落っこちゃうから」


 眉毛をハの字にして、先生は続けた。


「もし原垣さんみたいに苦しんでる人がいたら、私や友達、お父さんに伝えて欲しい。一人で抱え込まないで」


 元気だった頃のお母さんみたいに、先生はふわりと微笑んだ。


「お願い」


 私は黙って、小指を曲げた。


「ありがとう」


 先生は小指を解いて、静かに笑った。ふと、革靴の音が聞こえてくる。


「……父さんが帰ってきた。今日は水曜だから昼間で帰って来るんだ」


 二人で外に出ると、父さんが口をあんぐり開けていた。




 急遽、私と父さんと先生の三者面談が始まった。仕事から帰ってきたばかりのお父さんは汗だくで、椅子に座る姿が何処かぎこちない。


「智奈ちゃん。さっき私に話したこと、お父さんにも説明できるかな」


 先生に聞かれて、私は全て説明した。今度は泣かずに落ち着いて話せた。


「智奈、おまえ……ずっと一人で」


 父さんは机の下で強く拳を握りしめた。


「私は不甲斐ない父親ですね。仕事に必死で娘の事を何も見れていなかった」


「父さんのせいじゃないよ。私が話すの面倒くさがっただけ」


 静かに黙ったまま先生は私達を見守っている。


「これからは全部話すよ。楽しかったことも辛かったことも」



 それから私は部屋に戻るように言われて、先生は父さんと2人きりで話をしていた。ドア越しに聞き耳を立てたけど、残念ながら何も聞こえない。


「智奈、もう出てきていいぞ。先生帰るって」


 私は父さんと一緒に、先生を玄関で見送った。


「先生、私来週から学校行きます」


「分かった。もし辛くなったら帰っていいからね」


 大きく手を振って、先生は帰って行った。

ドアを閉めて、父さんは私に言った。


「智奈、父さんは絶対お前より先に死なないからな」


 その宣言がおかしくて、私はフフっと笑ってしまった。


「何歳まで生きるつもりなんだよ」


 そのときの父さんの表情を、私は暫く忘れないと思う。




 久しぶりに父さんと夕飯を食べた。父さんの作った味の濃い焼きそばは、私に生きる活力を確かに与えてくれた。


 お腹いっぱいで眠くなって、自室に向かう。ちょうど、引き出しの鍵穴と目が合った。


 そういえば、叶の手紙。まだ読んでないな。


 私は鍵を開けて便箋を取り出す。


『智奈へ』


 叶らしい、小さくて整った文字。例えこの手紙に込められた思いが愛情でも懺悔でも恨みでも、今の私なら受け止められる。


 深く息を吸って吐いたあと、私は便箋を空けて、中の手紙を開いた。

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〈企画用〉死ぬなら五月に死んでくれ 多田見 里史 @Hitei_131

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