第23話 事務的な宣告

 数日の間、僕は生きながら死んでいるような時間を過ごした。


 スマートフォンの画面に『既読』の文字がつくのを待ち続け、部屋の窓から遠い川の反射をただじっと見つめるだけの時間。仕事は完全に手につかず、デスクの前でただ無意味にキーボードを叩き続けた。上司は僕のその異様な崩壊ぶりに気づいていたが、やはり何も言わず、夕刻になると静かに僕の背中を押して会社から帰らせてくれた。


 失踪から七十二時間が経過したとき、僕は意を決して、最寄りの警察署へと向かった。


 応対した刑事は、三十代後半ほどの、袖口の伸びきったチャコールグレーのウールセーターを着た男性だった。長年のデスクワークの蓄積によるものだろうか、肘のあたりだけが机との摩擦によって妙に薄くなり、署内の蛍光灯の下で滑らかに光を反射している。


 彼は僕の話を、手帳に万年筆で静かに書き留めていった。七日前に彼女が遭ったひったくり被害の件、その時の骨折の傷、地上の時間と僕の記憶の目盛りのズレ、そしてあの地下道で忽然と姿を消してしまったこと。


 彼は、周辺の防犯カメラや目撃情報をあって見ようと約束してくれた。


 そして1週間後、僕はふたたび彼と面談した。


 窓の外は、漂白したような陽の光が漂う、曇りとも薄曇りとも言えない天気だった。彼は、ペンだこのできた指をさすりながら、じっと僕を見た。そして、何かを悟ったような表情で口を開いた。


「立ち去ったことは、本人の意思である可能性があります」


 刑事は、万年筆のキャップを閉めながら、極めて丁寧な、しかし冷徹なトーンで告げた。


「本人の意思、ですか」


「ええ。外傷による精神的なショック、あるいは新しい環境への不適応。親族との連絡も途絶えているとなると、自らすべての人間関係を断ち切って、別の場所に身を隠してしまうケースは少なくありません。事件性を疑うだけの、客観的な証拠が、今のところ地下道の防犯カメラからも見つかっていないんですよ。彼女が角を曲がったあと、別の非常口から地上へ出た可能性が一番高い」


 丁寧な言い方だったが、その内容は明確だった。警察にとって、彼女は「次元の段差に落ちた神秘の存在」などではなく、単に「自発的に失踪を選んだ一人の成人女性」という記号に過ぎないのだ。


……そうかもしれない、と僕は思った。


 フタバは、自分の中に生まれたあの「透明になっていく感じ」に耐えかねて、僕にすら告げずに、行くべき場所を見つけて黙って行ってしまったのかもしれない。僕という不完全な存在を、この縮んでいく世界に残したまま。


 でも、もしそうだとしたら、あの最後の眼差しの説明がつかない。


 あの地下の店の出口の向こう側から、扉のガラスを通して僕に向けられた、あの深く、諦めを含んだ強い視線。あれは僕を拒絶するためのものではなかった。何かを、世界でいちばん大切な何かを、僕に伝えようとしていたはずだ。


 その答えは、彼女の存在と共に、あの地下道の奥へと消えてしまった。

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