第5話 ずれの可視化
クリスマスが近づき、街が派手なイルミネーションと騒がしい音楽で満たされるようになる頃、フタバの様子に少しずつ、変化が見え始めた。あきらかに、元気がなくなっているように見えたのだ。
会って話しているとき、彼女の意識がふっと、僕の目の前から遠ざかってしまう瞬間が何度もあった。会話の途中で言葉が途切れるというよりも、彼女の身体だけがそこに残され、彼女の本質がどこか遠い別の場所へと行ってしまうような、そんな掴みどころのない不在感だった。
「最近、体調はどう?」
僕が心配して尋ねても、彼女は「まあまあかな」という短い答えを返すだけで、それ以上は語ろうとしなかった。彼女の内側の深い部分に踏み込んでいけるだけの言葉を、僕は持っていなかった。僕はただの、都合のいい散歩の同行者に過ぎないのではないか、という不安が、僕の胸を掠めていった。
何が起きているのかが分からないまま、十二月は慌ただしく過ぎ去り、新しい年を迎えた。
正月の前後、フタバからの連絡は目に見えて少なくなった。一月の半ば、久しぶりに彼女の住む古いアパートを訪ねたとき、部屋の片隅に、見慣れない大きな布製のカーゴバッグが置かれているのが目に入った。中には、綺麗に折りたたまれた冬物の服がいくつか詰め込まれているようだった。
「どこか、遠くへ帰省でもするんですか」
「今年も、どこにも帰らないと思います」
フタバは、ストーブの上に置かれた薬缶から立ち上る湯気を見つめながら、静かに言った。
「私には、帰るべき実家という場所がないんです。母は私が小さい頃に病気で亡くなっていて、父とは、もう何年も連絡を取っていませんから。あ、暗い話にしたいわけじゃないんです、本当に。単純に、そういう状況だというだけです」
「じゃあ、そのバッグは……?」
聞きかけようとして、僕は口を閉ざした。それ以上聞いてはいけないという、冷たい直感が働いたからだ。
二月に入ると、フタバは少しだけ元の調子を取り戻したように見えた。一月の末の風のない夜、僕たちは久しぶりに、彼女のアパートの近くを流れる川沿いの道を一緒に歩いた。夜空は驚くほど澄み渡っており、冬の星座たちが、鋭い光を放ちながら頭上に張り付いていた。
「星を見ていると」
フタバは、川面の反射を見つめながらぽつりと言った。
「遠いものと、近いものの区別が、だんだんつかなくなってきませんか。あの星とあの星、どちらがどれくらい遠いのか、見た目だけじゃ全然わからない。でも、それが本当は正しい感覚なのかもしれないって、最近思うんです。私たちが普段、距離感や大きさとして認識しているものって、だいぶ恣意的なものですから」
「恣意的、ですか」
「ええ。自分の都合に合わせて、勝手に意味や距離を与えているだけなんです。ある星が本当に遠くて暗いのか、それとも、近くてたまたま明るいのか、ただ見ただけでは判別できない。なのに、私たちは見た目の明るさだけで、勝手に距離を測ってしまうでしょう?」
「そういうことは、普段あまり意識しないですね」
僕は正直に答えた。僕にとって星は、ただそこにある背景に過ぎなかった。
「意識しないことの方が多いですよね」
彼女は歩みを止め、川の向こう側の、暗い対岸へと視線を移した。
「でも、一度考え始めると、当たり前だと思っていた世界のバランスが、全部揺らいでいってしまうんです。……あなたは怖くなりませんか? 自分が信じていた当たり前の世界が、急に怪しくなっていく感じ」
「少し怖い気もするけれど、でも、どこか面白い気もします」
「そうですね。面白い、という気持ちの方が、確かに大きいかもしれません」
フタバは微かに笑った。
「でも、たまに、どうしようもなく怖くなるんです。自分の感覚が、どこまで本当に信頼できるものなのか、ということが」
僕たちはそれ以上、その話を深めようとはしなかった。ただ、冷たい川風に吹かれながら、静かに歩みを進めた。頭上の冬の星々は、どこまでも冷酷に、完璧な位置から動くことはなかった。
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