第3話 息継ぎの美学

 十一月から十二月にかけて、僕がフタバと過ごす時間は、目に見えて増えていった。


 僕たちは、決まった曜日や時間に会うような規則的な関係ではなかった。どちらからともなく突発的なメッセージが送られ、それに返事をして、お互いの気が向けば会う、という極めて緩やかな形を取っていた。フタバからの連絡はいつも突然で、「今夜、もし特に予定がなければ、少し歩きませんか」というような、短い打診が多かった。僕は仕事帰りに彼女の住む駅へ向かうこともあれば、彼女が都心まで出てきて、ビルの隙間にある小さな喫茶店で待ち合わせることもあった。


 ある雨の降る夜、フタバは僕に、新しい録音のコレクションをいくつか聴かせてくれた。


 彼女は最近、建物の解体現場の音を集中的に録っているのだという。古い商業ビルや、主を失った木造家屋が、重機によって壊されていく時の音。コンクリートが砕かれ、内部の鉄骨が悲鳴を上げて切断される音。粉塵が舞うノイズの中に、それまで密閉されていた空間が突然外気と触れ合う、その瞬間に生まれる空洞の音。


「なんで、わざわざそういう破壊の音を録るんですか」

 

 僕は、イヤホンから流れる激しい金属音を聴きながら尋ねた。


「消えるものの音だからです」

 

 フタバは、雨粒が窓ガラスを打つ様子を眺めながら答えた。


「建物が壊される時、それまでその場所に積み重なっていた、人々の時間も一緒に壊れているんだと思います。でも、音は空気を振動させて、どこまでも広がっていく。記録してしまえば、建物がなくなっても、その振動だけは残せるでしょう? 残るのは音だけで、もとの建物は二度と戻らないんだけれど」


「なんだか、切ないですね。消えていく証明のようで」


「消えたことの証明、というよりは」


  彼女は少し首を傾け、僕の言葉を訂正するように言った。


「そこに確かに何かがあったということへの、証言みたいなものだと思っています。存在したことの証明、と言い換えてもいいかもしれません」


 消えたことの証明ではなく、存在したことの証明。その僅かなニュアンスの区別が、彼女にとっては世界を維持するための極めて大切な楔なのだろう、と僕は思った。


 彼女が編集した解体現場の録音を聴き進めていくと、激しいドリルの音や、金属が地面に落ちる衝撃音の合間に、ときおり奇妙な空白が挟まれていることに気づいた。それはすべての音が途絶え、ただ遠くの街鳴りだけが微かに聞こえる、数秒間の静寂だった。フタバはそれを「息継ぎ」と呼んだ。


「この、何も音がしない時間は?」


「機械が止まる一瞬です。作業員の方が次の合図を出すために手を挙げたり、重機のオペレーターが息を整えたりする、次の作業に移る前のほんの僅かな間。私はその、何かが終わって、まだ次が始まっていない、宙吊りになった空白の時間がたまらなく好きなんです。だから、その空白だけを集めた編集版も作っているんですよ」


 確かに、彼女の言う通りだった。機械音の暴力的な響きの合間に訪れるその沈黙には、独特の質量があった。それは単なる音の不在ではなく、次の瞬間に向けて世界が深く息を吸い込んでいるような、張り詰めた気配を孕んでいた。


 フタバは、こうした話を、普通の日常会話の続きとしてごく自然にしてきた。まるで鼻歌を歌うように、気負うこともなく、深刻ぶることもなく。


 彼女と過ごす時間は、僕の普段の生活とは、明らかに質の違う空気が流れていた。

 僕の仕事は、言葉を扱うようでいて、実のところ言葉から最も遠い場所にあった。求められるのは、独自の視点や美しい情緒ではなく、誰にとってもわかりやすく、効率的で、最大公約数的な正確さだけだった。そのような乾燥した記号を毎日大量に生産していると、自分の内側にある本物の言葉が、少しずつ磨耗して消えていくような恐怖があった。


 しかしフタバの、独自の目盛りで測られた話し方は、僕の心の中にこびりついたその乾燥した砂を、一時的に優しく洗い流してくれるのだった。

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