王立諜報局・第二局分析官
どみさん
第1話 第二局・地下書庫
冒険者ギルドの脱税を暴くのに、クロイスは現場に一度も行かなかった。
ヴァルハイム支部の帳簿、三年分。クロイスはそれを五分で読み終えた。
脱税が四件、横領が二件、人身売買の隠匿が一件。
気付くだけなら、たぶん誰にでもできる。証拠を集め、退路を読み、実行者を割り当て、申告書類まで書く。それが第二局の分析官の仕事だ。全て揃うまでに四日かかった。
万年筆を机の上に置く。机の左端には、六枚の羊皮紙が揃っている。対象、時刻、実行者の番号、退路。見出しも署名もない。余計な敬語もない。
四日続けて同じ姿勢で読み込むと、紙の白と黒が反転する瞬間が来る。前世の査察官時代に何度か経験したが、脳が疲れているのではない。整理が全て終えた合図だった。
書庫の扉が叩かれた。
「お前、また会議に出ていないな」
局長ハーグレイヴの声だ。
クロイスは顔を上げない。六枚の羊皮紙のうちの三枚を抜き、机の中央へ滑らせた。
「冒険者ギルド・ヴァルハイム支部の帳簿、過去三年分を読み終えました。今夜実行をお願いしたいのは、この三件です。残り三件は優先度が低いので、明日改めてご相談します」
「……今夜の三件」
「脱税の主犯、副支部長の身柄確保、証拠書類の回収。順序はその通りです」
局長は室内に踏み入った。机のまわりには、開いたままの帳簿が五十冊近く積まれていた。湿った羊皮紙の匂いが低くこもっている。クロイスがどこで眠っているのか、その場所には毛布が一枚もない。長椅子に外套を置き、最初の指示書を取り上げた。
「支部長の犯行ではないのか」
「支部長は几帳面ですが、副支部長のほうがもっと几帳面です。几帳面な人間ほど、自分が触った帳簿に同じ筆癖を残します。三月十七日の署名だけ、払いが普段より長い。緊張していたのでしょう。その日、金貨十二の入金と同額の支出が同日中に処理されています。形式は通過扱いですが、出口の取引相手が架空名義です。本来は税務に申告する金です」
局長は最初の指示書を裏返した。裏側には数字の表が並んでいた。横軸が日付、縦軸が金額、丸印が架空名義の取引。丸印は規則正しく月の終わりに固まっている。
「決算月だけ動かしているのか」
「決算月の他は副支部長の妻の出産月にも動いています。臨時の現金が必要だったときに、副支部長は几帳面さを少し緩めます」
「妻の出産月まで把握している」
「採用記録の家族欄に出産届の写しがあります。第二局の閲覧権限内です」
局長は何も言わなかった。
局長は最初の指示書を読み終え、二枚目を取った。
「証拠は」
「今夜、東倉庫の床下を#11に掘らせてください。書類はオーク材の箱に入っています。鍵は支部長の私室、暖炉裏の煉瓦三段目です」
「掘らせる、で出てくる確証は」
「副支部長が几帳面だからです。几帳面な人間は、奪った金の証拠を、自分の手の届くところに置きます。捨てられないのです。冒険者ギルドの倉庫管理権は副支部長にあります」
クロイスは三枚目の指示書を局長の指先へ送った。
「副支部長は逃走の準備を始めています。妻の実家がフェルトン港の船問屋に縁を持っているので、船で逃げる気でしょう。明朝までに動かなければ間に合わなくなります」
「逃げる確度は」
「五割を超えています。今日中の指示なら抑えられます」
局長は、最初の指示書を裏返したまま、二呼吸ほど黙る。それから三枚を順に重ね、揃え、外套を肩に戻した。途中で一度だけ、手が止まる。最後の一枚の末尾にある一行を読んだときだった。
実行者#11、左肩の旧傷あり、三十キロ以上の荷物は右肩で運ばせること——そう書かれていた。
命令ではない。ただの注釈だった。
第一局の実働組は、第二局の頭でっかちを嫌う。それでも、こういう一行だけは軽んじない。現場で死ぬ確率が少しでも減るからだ。
局長は声に出さず、三枚を束の一番下に挟み直した。
「お前、いつから書庫にいる」
「四日前から、です」
「飯は」
「業務に支障はありません」
「助かった。卵粥でも持ってこさせてやる」
「先に指示書をご確認ください」
局長は短く息を吐いた。何か言いかけ、やめる。羊皮紙の束を脇に挟むと、振り向かずに階段を上がっていった。書庫の扉が閉まる音が、低く尾を引いた。
扉の閉まる音を、クロイスは机の隅に積まれた処理済みの枚数で聞いた。書庫には窓がない。高窓は蝋紙で塞がれ、外気も時刻も入ってこない。四日が四日であることを、彼は帳簿の冊数で知っている。
今ごろ地上では、三枚の羊皮紙だけで人が動き始めている。第一局の詰所で、隊員が外套を取り、武装を整え、東倉庫の鍵を確認する。
クロイスは次の帳簿を引き寄せた。六十六冊目。表紙の革に親指を当てて厚みを測ると、ページ数の見当がつく。三年分の取引記録が綴じてある。あと半日もあれば読み切れるだろう。
最初の三行で気付いた。前任会計士の筆跡が、年度末の決算前後で、わずかに右肩上がりに変わっている。ペンの角度が違う。同じ人間ではない。
ペンを取った。
前世の癖だ、とクロイスは思った。
国税庁査察部の地下倉庫でも、何度も同じことをした。窓のない部屋にこもり、四日間集中し、不正を見つけては書類を積み上げる。手順だけは、死んでも身体から抜けなかった。
一度、止められた経験がある。今は、思い出さなくていい。
副支部長が三月十七日に書いた、あの払いの長い署名は、誰かの顔と同じ重さを持っていた。
ペン先がインクに沈み、上がる。六十七冊目の余白に、最初の矛盾を書き留める。
今度は、上から止められない。
ここは、王立諜報局・第二局の地下書庫。燭台ひとつ分の明るさしかない。
◇
その夜、冒険者ギルド・ヴァルハイム支部東倉庫の床下から、オーク材の箱が掘り出された。鍵は支部長の私室、暖炉裏の煉瓦三段目にあった。副支部長は、フェルトン港の船着場で身柄を押さえられている。捕縛時、彼は何度か振り返り、誰かに見られていないかを気にしていたという。誰にも見られていなかった。指示書を読んでいたのは、地下書庫の男ひとりだ。
第一局の詰所では、隊員のひとりが指示書の四枚目を読み返している。実行者#11、左肩の旧傷あり、三十キロ以上は右肩で運ばせること。注釈は、実際に守られた。
◇
明け方、書庫の扉が乱暴に叩かれた。
局長ハーグレイヴが、息の整わないまま入ってきた。四日前にこの扉を叩いた時とは、足音の重さが違う。
「副支部長が、独房で死んでいる」
クロイスは顔を上げない。万年筆の先がインクから一度だけ離れ、机の右上で止まった。
「死因は」
「首を絞められていた。看守は誰も気づかなかったと言っている。地下三階、独房棟の七号。捕縛から、まだ三刻も経っていない」
局長は羊皮紙の束を机の端に置いた。先ほど第一局へ持っていった、あの三枚を含む六枚。今は、七枚目が必要になっていた。
「予測の中に、入っていたか」
「入っていません」
クロイスは初めて顔を上げた。
机の左端にあった二束目の羊皮紙——明日以降の三件分——から、最上の一枚を抜いて中央に滑らせる。空白の上に、ペン先を沈めた。
「七枚目を発行します。独房棟の鍵管理台帳、写しで結構です。昨夜の勤務交代記録。看守長と看守の前夜の食事と飲料。面会簿。ここ三日の差し入れ品。それから——」
ペンが一度、止まる。
「捕縛時、副支部長の上着の袖から第一局の隊員に渡された物が何か、確認してください。本人か、妻か、港の人間か、誰かが何かを渡している可能性があります。渡された物は、現在第二局の証言室の棚に並んでいるはずです」
「お前、誰が殺したと思っている」
「現時点では、特定できません」
クロイスは二枚目を抜いて、机の右端に置いた。インクが、まだ乾いていなかった。
「副支部長を黙らせたい人間がいた、という事実だけが、確定しています。それを残した相手の手順を、紙の上で逆に辿ります」
「指示書の宛先は」
「今度は、第一局には渡しません」
局長の眉が、ほんの少し動いた。
「第二局のままか」
「第二局のままです。看守の前夜の食事と、差し入れ品の納入経路は、第二局の閲覧権限内で先に押さえられます。第一局を動かすのは、それを読んだ後です」
局長は短く息を吐いた。何も言わなかった。
クロイスは三枚目の指示書を抜いた。
書庫の壁には、相変わらず窓がない。明け方の光は、ここまでは届かない。
昨夜、地上では三枚の指示書だけで人が動いた。今、机の上には、もう七枚目が並びはじめている。
ペン先がインクに沈み、上がる。
今度は、上の方から、誰かが手を伸ばしてきている。
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