第8話「あいている席」
街道の先に砂煙が立っているのが見えた。
最初は風かと思ったが、違う。
一定の方向に流れ、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。
ハルトは目を細める。
やがてその正体がはっきりしてくる。
キャラバンだ。
しかも、かなり大きい。
先頭の馬車が見え、その後ろにも同じような荷馬車が連なっている。
数は一つや二つではない。
視界に入るだけでも十台以上、さらにその後ろにも続いているのが分かる。
……多くないか。
思わずそう感じる。
自分たちのキャラバンが十台だったことを考えると、それを明らかに上回っている。
やがて距離が詰まり、全体像が見えてくる。
荷馬車は二十台以上。
護衛の人数も、それに比例して多い。
前方だけでなく、左右にも広く展開しているのが分かる。
自分たちとは、明らかに規模が違う。
その瞬間、前方からダンテの声が飛ぶ。
「道を空けろ!」
短い指示に合わせて、キャラバン全体がわずかに位置をずらす。
馬車同士の間隔が広がり、すれ違うための道が作られていく。
それに合わせて、ハルトも自分の馬車の位置を微調整する。
近づいてくるキャラバンを、改めて観察する。
護衛の動きが違う。
人数が多いだけではない。
配置が広く、前後だけでなく、斜めにも展開している。
騎乗している者の数も多く、周囲を回るように動いているのが見える。
……徹底してるな。
そう感じた。
自分たちのキャラバンも整っていると思っていたが、それとは別の“密度”がある。
無駄がないというより、余裕があるように見える。
やがて、先頭同士がすれ違う。
御者同士が軽く視線を交わし、そのまま何事もなく通り過ぎていく。
特別な挨拶もない。
ただ、それぞれが自分の仕事をしているだけだ。
ハルトの横を、護衛の一人が通り過ぎる。
騎乗したまま、こちらを一瞥し、それ以上は何もせずに進んでいく。
その視線には警戒はあるが、敵意はない。
すれ違いは、あっという間だった。
長い列が途切れ、再び街道に静けさが戻る。
だが、さっきまでとは違う。
ハルトはそのまま前を見ながら、頭の中で今の光景を整理する。
同じキャラバンでも、ここまで違うものなのか。
運ぶ荷物の量、護衛の数、動き方。
すべてが変わる。
……規模が上がると、ああなるのか。
そう考えたとき、ふと横に気配が並ぶ。
トーマスだ。
すれ違いの間も位置を変えながら周囲を見ていたが、今は元の位置に戻ってきている。
特に乱れた様子もなく、呼吸一つ変わっていない。
ハルトはその横顔を見ながら、口を開く。
「さっきの、だいぶ違いましたね。護衛の動きも、違って見えました」
トーマスは一瞬だけ視線を寄越し、それから前へと戻す。
「運ぶ物が違えば、守り方も変わる」
淡々とした説明だった。
だが、その言葉で腑に落ちる。
同じことをしているようで、まったく同じではない。
状況に合わせて変わる。
それは、自分のやっている作業とも似ている。
ハルトは小さくうなずき、続けて口を開く。
「昨日の話なんですけど」
トーマスは前を見たまま、わずかに返す。
「冒険者の話か」
「はい。さっきの、あれだけの規模でもまとまって動けるんですね」
さっきの光景を思い浮かべながらの問いだった。
トーマスは少しだけ間を置き、前方と左右を確認してから答える。
「それぞれやることが決まっているから、簡単に崩れたりはしない」
言い切るというより、当たり前のことを述べるような口調だった。
ハルトは小さくうなずく。
確かに、あの規模でも混乱している様子はなかった。
だが、それは偶然ではなく、最初からそうなるように組まれているということか。
「護衛も多かったですけど、あれって全部同じところがやってるんですか」
ふと思った疑問をそのまま口にする。
トーマスはわずかに視線を寄越し、それから前へ戻す。
「全部ではないな」
短く否定し、そのまま続ける。
「基本は決まったところが請ける。今回みたいにな」
それ以上説明しなくても分かるだろう、という言い方だった。
ハルトは一瞬だけ考え、それから言葉を返す。
「トーマスさんのところがやってるってことですか」
「そうなるな」
あっさりと認める。
「ダンテとは長い。ああいう規模じゃない限りは、こっちでまとめて見る」
その言葉で、今までの流れが繋がる。
ただの護衛ではない。
継続して任されている仕事だ。
ハルトはさらに踏み込む。
「じゃあ、さっきみたいに大きくなると……」
トーマスは軽くうなずく。
「足りない分は増やす」
簡潔だが、それだけでは終わらない。
「うちだけで回せない規模なら、ギルドを通して人を入れる。条件を出して、合う連中を呼ぶ」
言葉は短いが、内容は具体的だった。
ハルトはその意味を考える。
元々の軸があって、それを基準に足していく。
最初から寄せ集めではなく、中心があって、その外側を組む。
だから崩れないのか。
「その増えた人たちは、ずっと一緒に動くんですか」
「仕事が終われば解散だ。次も同じになるとは限らない」
トーマスは淡々と答える。
「継続して組む場合もあるが、基本はその場限りだ」
ハルトは小さく息を吐く。
思っていたよりも流動的だ。
固定されたチームを中心に、仕事ごとに組み替わる。
「じゃあ、最初から全部任されるわけじゃないんですね」
「ないな」
即答だった。
「任せる側も、誰に何をやらせるかは決めている。できることをやらせる。それだけだ」
その言い方で、ハルトは理解する。
自由ではあるが、好き勝手ではない。
むしろ最初から枠がある。
「……思ってたのと違いますね」
思わず口に出る。
もっと単純に、強ければどうにかなる仕事だと思っていた。
だが実際は違う。
役割があり、枠があり、その中で動く。
トーマスはその言葉に軽く返す。
「そんなものだ」
特に否定も肯定もしない。
ただ、現実はそうだと示すだけだ。
ハルトは視線を前に戻す。
さっきのキャラバン、自分たちの隊列、そしてトーマスの言葉。
全部が繋がってくる。
最初から席があるわけじゃない。
その感覚だけが、はっきりと残った。
───
日が傾き、街道の先に宿場町の輪郭が見えてくる。
キャラバンは自然と速度を落とし、そのまま流れるように中へ入っていった。
往路でも通った場所だが、今は配置や動きが頭に入っている分、ただの通過とは違って見える。
すでにいくつかの隊が停泊しており、馬の世話や荷の調整があちこちで行われている。
規模も構成もそれぞれ違うが、やっていること自体は似ている。
ハルトは自分の馬車を所定の位置に寄せ、全体を一度だけ見てから手を止める。
大きく崩れている箇所はない。
細かい調整は必要だが、急ぐほどでもない。
周囲も同じ判断なのか、慌ただしさはない。
移動中とは違い、どこか余裕のある空気が流れていた。
やがて日が落ち、町の灯りが少しずつ増えていく。
その頃には大まかな作業も一段落し、人の動きも落ち着いてくる。
「来い」
背後から短く声がかかる。
振り返るとダンテが立っていた。
説明はないが、用件は分かる。
ハルトは軽くうなずき、そのまま後をついていく。
案内された先には簡素な机と椅子が並べられており、トーマスがすでに席についていた。
周囲にも同じように食事を取っている者たちがいる。
ハルトも空いている席に腰を下ろす。
出されたのは煮込みとパン。
特別なものではないが、温かさがありがたい。
しばらくは三人とも無言のまま食事を進める。
外からは別のキャラバンの話し声や、馬の足音が断続的に聞こえてくる。
完全に静かなわけではないが、騒がしさとも違う。
仕事の合間の音だ。
やがて、ダンテが口を開く。
「悪くねぇな」
それだけだった。
誰に向けた言葉かは分からないが、ハルトは自然と自分のことだと理解する。
過剰な評価ではない。
ただ、今の働きに問題はないという確認だ。
ハルトは軽くうなずき、パンを口に運ぶ。
少し間が空き、ダンテはスープを一口飲んでから続ける。
「お前、このままうちにいれば普通に稼げるぞ」
唐突ではあったが、昼間の流れを考えれば不自然ではない。
ハルトは手を止めずに、その言葉を受け止める。
確かに、その通りだ。
仕事はある。
流れもできている。
無理に変える必要はない。
ダンテは続ける。
「荷も扱えるし、余計なこともしねぇ。こっちとしては楽だ」
言い方はいつも通りだが、評価としては十分だった。
ハルトは少しだけ視線を落とし、それから前に戻す。
否定する理由はない。
むしろ、合理的な選択だと思う。
その横で、トーマスが口を開く。
「キャラバンの方が安定しているのは事実だ」
淡々とした言い方だった。
「仕事は切れねぇし、役割もはっきりしている」
それ以上は言わない。
だが、その一言で十分だった。
安定している。
それは間違いない。
ハルトは二人の言葉を聞きながら、静かに食事を続ける。
頭の中では、昼間の光景が残っていた。
規模の違うキャラバン。
配置の違い。
動きの違い。
同じ運ぶ仕事でも、やり方はいくらでも変わる。
そして、その中に入るには――
ハルトはスープを一口飲み、ゆっくりと息を吐いた。
まだ、結論は出ていない。
食事を続けながら、ハルトは二人の言葉を頭の中で整理していく。
キャラバンに残れば仕事は途切れず、やるべきこともすでに理解できている以上、無理に環境を変える理由はないと分かっているのに、昼間に見た光景――規模の違う隊列と、役割ごとに分かれた動きが、どうしても頭から離れなかった。
同じ街道を進んでいるはずなのに、あそこではまったく別の仕事が動いていたように見えたし、ただ荷を運ぶという行為一つを取っても、その意味や重さが違っているように感じられる。
そんなことを考えていると、近くで足音が止まり、落ち着いた声が静かに割り込んできた。
「トーマスさん。川に魚いるんだけど、ちょっと釣ってきていい?」
顔を上げると、作業着姿の女が立っている。
歳は16前後といった所か。
肩でまとめた髪に無駄のない身なりで、護衛というよりは現場の実務を担っている側の人間だと一目で分かる。
トーマスは顔を上げると、特に考える様子もなく短く答えた。
「ああいいぞ。ケガはするなよ」
「はい」
素直に返事をした女は、そのまま踵を返して歩き出す。
余計な会話はなく、やることだけを済ませて動く、その無駄のなさが印象に残る。
そのやり取りを横で見ていたダンテが、軽く笑いながら声を投げる。
「ベッキー、俺の分も釣ってこいよ」
冗談とも本気ともつかない調子だったが、女は振り返ることなく片手を軽く上げるだけで応じ、そのまま暗くなりかけた町の外れへと消えていく。
ほんの一瞬の出来事だったが、張り詰めていた空気がわずかに緩んだ気がした。
ハルトはその背中を見送りながら、視線をトーマスに戻す。
「あの人は……」
「レベッカだ。うちの兵站の見習いだ」
簡潔な説明だったが、それで十分だった。
兵站――運ぶことと、管理すること。
自分のやっていることと近い部分があるからこそ、その違いもはっきりと見えてくる。
そのとき、トーマスが静かに言葉を続ける。
「うちにはレベッカがいるから、冒険者をやるなら他のパーティに入ることになるな」
回りくどさのない言い方だったが、そこに含まれている意味は重かった。
席はすでになく、役割は埋まっている。
だから新しく入るなら、別の場所を探すことになる。
ただそれだけの話だが、現実として突きつけられると受け取り方が変わる。
ハルトはスープを口に運びながら、ゆっくりと息を吐く。
ダンテの言葉が頭に残っている。
このままキャラバンにいれば、安定して稼げる。
今の働きなら、わざわざ環境を変える必要もない。
一方で、トーマスの言葉も消えない。
冒険者として関わるなら、最初から場所が用意されているわけではなく、必要とされる枠に入るか、あるいは別の場所を探すしかない。
つまり、どちらを選んでも条件がある。
ハルトは視線を落とし、しばらく黙り込む。
今のままなら確実に稼げるが、あの違いの中に入ることはできない。
逆に、そちらに進めば新しいものは見えるかもしれないが、最初から居場所があるわけではない。
そのどちらを選ぶのか。
簡単に決められる話ではないと分かっているからこそ、答えは出なかった。
ただ、どちらに進むにしても、自分で選ばなければならないということだけは、はっきりしていた。
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