第6話「目的地の街」

 キャラバンは、夕方には目的地の街へと到着した。


 街道を抜け、石畳の道へと車輪が乗り上げた瞬間、これまでとは違う硬い音が響く。


 行き交う人の数も一気に増え、荷を積んだ馬車や空の荷台を引く者たちが入り混じっていた。


 ここが流通の拠点の一つであることは、説明されなくても分かる。




 ダンテの指示で隊列はそのまま街の奥へと進み、大きめの建物の前で停まる。


 倉庫だ。


 外にはすでに何人かの作業員が待機しており、到着と同時に手際よく動き始める。




「降ろすぞ」




 短い一言で、全体が動き出す。




 ハルトもすぐに荷台へ上がり、積まれている木箱に手をかける。


 ここまで運んできた荷物だ。


 崩さないように慎重に下ろし、指示された場所へと運んでいく。


 力そのものには余裕があるため作業は早いが、雑に扱えば中身に影響が出る可能性もある。


 持ち上げるだけではなく、置く場所や向きにも気を配る必要があった。




 倉庫内では、すでに受け取り側の人間が配置を決めており、運ばれてきた荷物を順に整理していく。


 外から内へ、内から奥へ。


 流れが出来上がっているため、迷うことはない。


 ただ指示に従って動けばいい。




 気付けば、最後の荷が運び込まれ、荷台は空になっていた。




 ……終わったか。




 思っていたよりもあっさりとした終わり方だった。


 荷台から降りると、ダンテがこちらに歩いてくる。




「悪くなかったな」




 それだけ言って、手にしていた袋を軽く投げてよこす。


 反射的に受け取ると、中から硬貨の触れ合う音がした。




「800リンだ。少し色をつけといた」




 予想していたよりも多い金額に、ハルトは一瞬だけ袋の中を覗き込む。


 確かに重い。




「いいんですか」


「働きが良かったからな」




 それ以上の説明はない。


 だがそれで十分だった。


 金をポケットにしまいながら、自然と計算が頭に浮かぶ。


 どのくらいの価値なのかはまだ正確には分からないが、少なくとも安い金額ではないはずだ。




 ダンテはそのまま続ける。




「明日の午後に積み込みだ。明後日の朝には戻る」




 簡潔な予定の説明だった。


 つまり今はその合間にあたる。




「それまでは自由にしていい」




 そう言って、倉庫の奥を軽く指す。




「寝る場所は用意してある。飯は自分で食ってこい。その金でな」




 そう言われて、ポケットの中の重みを改めて意識する。




 帰りの仕事でもまた金は入る。


 ということは――


 この800リンは、完全に自由に使っていい金だ。




 ……自由時間、か。


 これまでの数日間は、移動と作業の繰り返しだった。


 やることが決まっていて、考える余地はあまりなかった。




 だが今は違う。


 何をするか、自分で決めていい時間がある。




 倉庫の外へ出ると、街の空気が一気に流れ込んでくる。


 人の声、荷車の音、どこかから漂ってくる香ばしい匂い。


 それらが混ざり合い、活気を作っていた。




 ハルトは少しだけ周囲を見渡し、そして足を踏み出す。




 ――とりあえず、街に出てみるか。


 そう思った瞬間、体は自然と動いていた。




 倉庫を出て少し歩くと、通りの様子が一変した。


 先ほどまでの荷運びの喧騒とは違い、今度は人の声と匂いが混ざり合った、別の種類の活気が広がっている。


 道の両脇には屋台が途切れることなく並び、焼かれる音、煮込まれる音、客を呼び込む声が絶え間なく続いていた。




 すっかり夜になっているにもかかわらず、人通りは減るどころか増えているように見える。


 仕事終わりの者、旅の途中らしき者、子供を連れた家族、様々な人間が同じ通りを行き交い、それぞれが目当ての店へと足を向けている。




 ハルトはゆっくりと歩きながら、その光景を眺める。


 屋台の一つ一つは決して大きくないが、それが密集していることで通り全体が一つの市場のようになっていた。




 焼き台の上で肉が炙られる音が耳に入る。


 脂が落ちて火が弾け、そのたびに香ばしい匂いが広がる。


 別の屋台では大鍋が火にかけられ、ぐつぐつと煮える音とともに、湯気が立ち上っている。


 さらに奥では、何かを揚げる音も聞こえてくる。


 それぞれの匂いが混ざり合い、空気そのものが食事になったかのようだった。




 ……腹、減ってきたな。




 意識した瞬間、空腹がはっきりと自覚される。


 移動中はそれどころではなかったが、こうして自由に歩ける状況になると、体は正直だった。




 屋台の前を通るたびに、自然と視線がそちらへ向く。


 肉、野菜、穀物、それぞれを使った料理が並んでいるが、どれも見た目は素朴だ。


 派手さはないが、その分だけ日常の食事として根付いている印象を受ける。




 客とのやり取りも単純だ。


 金を渡し、受け取る。


 それだけで成立している。


 細かい注文をしている様子はあまり見られず、あるものをそのまま買うという形が主流らしい。




 値段の表示は見当たらないが、誰も迷っている様子はない。


 つまり、この場所では相場が共有されているのだろう。




 ハルトは立ち止まり、改めて周囲を見渡す。


 これだけの数の屋台が並び、これだけの人間が集まっている。


 それでも混乱していないのは、ある程度の秩序があるからだ。




 同じ通りの中でも、焼き物が多い場所、煮込み料理が集まっている場所など、自然と分かれているようにも見える。


 意識的に配置されているのか、結果的にそうなったのかは分からないが、歩いているだけで選びやすい構造になっている。




 その中で、ひときわ強い香りが鼻を引いた。


 肉だ。




 焼かれた脂の匂いが、他の匂いを押しのけるように広がっている。


 意識がそちらに引っ張られるのを感じながら、ハルトはその屋台へと近づいていく。




 串に刺された肉が何本も並び、火の上でじっくりと焼かれている。


 表面にはすでに色が付き、滴る脂が火に落ちては小さく弾けている。




 ……これでいいか。


 特に迷う理由もなく、ハルトは一本を指差した。




「これ、一本ください」




 店主は手を止めることなく一本を取り上げ、そのまま差し出してくる。




「5リンだ」




 差し出された串を受け取りながら、ハルトはその言葉に一瞬だけ動きを止めた。




 ……5リン?




 頭の中で、先ほど受け取った金額が浮かぶ。


 800リン。


 それと比べたときの、この価格。




 え? 5リン? 安すぎないか?




 800リンはそこそこの金額ではないだろうか。


 日本円にして1リン100円ってところかな。


 てことは1週間ほどで8万円。


 大型ドライバーの初任給にしてはそんなものか?


 絶妙な金額だな。




 そんな計算を頭の中で回しながら、ハルトは手にした肉串へと視線を落とした。




 受け取った肉串にかぶりつくと、表面に塗られていたタレが舌に広がった。


 甘さとしょっぱさが混ざった、どこか馴染みのある味だが、後味にもう一歩足りないような感覚もある。




 ……まぁまぁ、だな。




 決してまずいわけではない。


 むしろ十分に美味しい。


 だが、日本で食べていた焼き鳥のような、ピリッと締まる感じがない。


 自然と頭に浮かぶ。




 ……塩胡椒、ないのか?




 そう思った瞬間、妙に気になり始める。


 胡椒の刺激が加われば、この味は一段引き締まるはずだ。


 そもそも、この世界に胡椒という概念があるのかどうかも分からない。




 ……もしあったら、高いのか?




 さらに思考が進む。


 もし胡椒が希少で高価なものなら、それを扱えれば大きな利益になる可能性もある。




 そこまで考えてから、ふと自分で苦笑する。


 さすがにそこまで都合よくはいかないか。


 とはいえ、気になった以上は確かめたくなる。ハルトはそのまま店主に声をかける。




「塩胡椒ってあります?」




 店主は一瞬だけ手を止め、首を傾げる。




「胡椒はねぇが、塩ならあるぜ」




 そう言って、焼き台の横から別の串を取り出し、そのまま差し出してきた。




「ほら、5リンだ」




 流れるような動きに、一瞬だけ戸惑う。


 ……いや、聞いただけなんだが。




 とはいえ、すでに差し出されている以上、断るのも面倒だ。


 ハルトは小さく息を吐き、5リンを渡して受け取る。




 改めて塩の肉串にかぶりつく。


 タレとは違い、味付けは単純だ。


 だがその分、肉の旨味がはっきりと分かる。




 ……あ、これはこれでいいな。




 思わずうなずく。


 複雑な味ではないが、食べ続けても飽きない感じがある。




 食べ歩きながら通りを進んでいくと、不意に小さな声が足元からかかる。




「おにいちゃん、芋、買っておくれよ」




 視線を落とすと、子供が籠を抱えて立っていた。


 中には蒸かされた芋がいくつも入っている。


 懐は暖かい。断る理由もない。




「じゃあ、一つもらう」




 そう言うと、子供はすぐに包み紙に芋を包み始める。


 手際はいいが、どこか慣れていない様子もある。




「5リンだよ」




 また同じ金額だった。


 肉と芋が同じ値段か、と一瞬だけ驚く。


 だがそれ以上に気になったのは、その次だった。


 差し出された包みは、明らかに一つではない。


 開いてみると、芋が四本入っている。




 ……いや、こんなにいらないんだが。




 思わずそう思うが、子供はすでに別の客に声をかけ始めている。


 細かいことを言う空気でもない。


 仕方なく包みを持ったまま歩き出す。




 しばらく進むと、今度は鍋を中心にした屋台が目に入る。


 チャルメラのような音はないが、似たような雰囲気だ。


 長椅子が並び、客が腰をかけて何かを食べている。


 空いている席に腰を下ろし、店主に声をかける。




「一杯ください」




 店主が無言のまま手を差し出してくる。




 ……もしかして。




 そう思いながら、ハルトはポケットから5リンを取り出し、そのまま手のひらに乗せた。


 店主はそれを受け取ると、小さくうなずき、すぐに鍋へと手を伸ばす。


 器を取り、迷いなく中身をよそい始めた。




 やはりそうらしい。




 金額を確認するやり取りもなく、渡された金でそのまま品が出てくる。




 ……なるほどな。




 ここまでの流れを思い返す。


 肉串も、芋も、そして今のシチューも、すべて同じ金額だった。


 どうやらこの通りでは、細かい値段の違いはなく、どれも一律らしい。


 つまり、ここではなんでも5リンということか。




 やがて差し出されたのは、薄茶色のスープだった。


 これがシチューか?


 見た目は日本のものとは違う。


 具材も細かく、形がほとんど崩れている。




 スプーンですくい、一口飲む。


 穀物と野菜が煮込まれており、口当たりは柔らかい。


 味付けは塩が中心だが、それだけではない。


 じっくり煮込まれたことで、素材の味が溶け出している。




 ……これ、うまいな。




 思わず息を吐く。


 おそらく豚骨と玉葱を長時間煮込んでいるのだろう。


 出汁の旨味がしっかりと出ており、玉葱の甘みが全体をまとめている。


 派手さはないが、体に染みるような味だった。


 気付けば、手は止まらず、器の中身はあっという間に減っていく。




 ――なるほど。




 この通りの食事は、こういうものか。


 器の底に残っていたスープを飲み干し、ハルトは小さく息を吐いた。


 満腹とまではいかないが、十分に満たされた感覚がある。


 立ち上がると、手に持ったままだった包み紙の重みが改めて気になった。


 中には蒸かし芋が四本。


 ひとつふたつならともかく、この量は一度に食べるものではない。




 ……どうするかな。




 考えながら通りへ出る。


 さっきまで座っていた場所から少し離れるだけで、また違う屋台の匂いが流れてくる。


 焼き物の香ばしさ、煮込みの柔らかい湯気、油のはじける音。


 それらが混ざり合い、通り全体が生きているように感じられる。




 人の流れも絶えない。


 さっきよりもさらに人が増えているようで、仕事を終えた者たちが集まってきているのだろう。


 肩をぶつけないように気をつけながら歩くと、道の先に灯りが増えていくのが見える。




 屋台のいくつかでは、すでに簡単な灯りが灯されていた。


 火を使っている場所もあれば、小さな光源を吊るしている店もある。


 明るさは十分ではないが、通りを歩くには困らない程度には照らされている。




 石畳の上に落ちる光と影が揺れ、人の動きと重なってゆらゆらと形を変えていく。


 昼間とは違う表情の街だった。




 通りを抜けると、少しずつ人の数が減っていく。


 屋台の密集も途切れ、代わりに建物が目立つようになる。


 倉庫のような大きな建物や、宿らしき造りの建物が並び、先ほどの賑やかさとは一歩引いた空気が流れていた。




 それでも完全に静かになるわけではない。


 遠くからはまだ人の声や笑い声が聞こえ、街全体がゆっくりと夜に移り変わっていく途中にあることが分かる。




 歩きながら、ふとそう思う。


 危険に満ちた異世界、というイメージとは少し違う。


 人が集まり、物が流れ、仕事があって、その延長にこうした生活がある。


 日本と同じとは言わないが、まったく別のものでもない。




 少なくとも、ここで生きていくことはできそうだ。


 そう思えるだけの現実が、この街にはあった。




 やがて、見覚えのある建物が視界に入る。


 ダンテが用意したという宿だ。


 入口の前には数人の人影があり、その中に見覚えのある姿があった。




「戻ったか」




 ダンテが短く声をかけてくる。


 ハルトは軽くうなずきながら近づく。




「その芋、どうするんだ」




 視線が手元の包みに向けられる。


 言われて初めて、まだ持ったままだったことを思い出す。




 ……確かに、全部は食えないな。




 少し考え、包みを開いて中身を確認し、そのまま差し出した。




「よかったらどうぞ」




 ダンテは一瞬だけ目を細め、それから特に遠慮する様子もなく受け取る。




「悪いな」




 短く礼を言い、そのまま一本を手に取る。


 ハルトも残った芋を持ったまま、宿の中へと足を踏み入れる。


 外の喧騒が扉一枚で遠のき、代わりに落ち着いた空気が流れていた。




 今日一日の出来事を頭の中で振り返る。


 仕事をして、金をもらい、自由に使い、街を歩いた。


 それだけのことだが、それが自然にできていることが少しだけ不思議だった。




 ここでも、やっていけるかもしれない。


 そんな感覚を胸に抱きながら、ハルトは静かに部屋へと向かった。

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