第3話「市民ギルドという職安」
ギルドの扉を押し開けると、外とは違う空気が流れ込んでくる。
中は思っていたよりも落ち着いた雰囲気で、受付を中心に人が出入りする整然とした空間が広がっていた。
壁には紙が何枚も貼られており、内容までは分からないが、仕事の依頼らしきものだと直感的に理解できる。
てっきり冒険者たちが酒盛りをしているのかと思っていたんだが、どうやらギルド内には酒場はないようだ。
周囲を見渡すと、いるのは作業着姿の者や、軽装で書類を手にしている者ばかりで、武器を持っている者は見当たらない。
それぞれが静かに順番を待ったり、受付と話をしていたりと、騒がしいどころか妙に現実的な空気が漂っている。
入口付近で立ち止まっていても仕方がないと判断し、受付の方へ視線を向けると、数人が順番を待って列を作っているのが見えた。
特別な手続きがあるのかは分からないが、少なくとも並べば話は進むだろうと考え、列の最後尾に加わる。
ポケットの中に手を入れ、Citizen Cardの感触を確かめる。
あのカードの正体はまだよく分かっていないが、少なくともここでは必要になるものだという感覚はある。
……仕事、か。
ここに来た理由ははっきりしている。
金を稼ぐためだ。
家賃もあるし、食事も必要になる。
そう考えれば、迷っている余裕はない。
やがて列が少しずつ進み、自分の順番が近づいてくる。
ハルトは無意識に背筋を伸ばし、ポケットの中のカードを軽く握り直した。
ここから先で何が始まるのかは分からないが、少なくとも現状を変えるための一歩になるはずだ。
順番が回ってくるまでの間、ハルトは前に並ぶ人々のやり取りをそれとなく観察していた。
受付では、一人ひとりがカードを提示し、短い会話のあとに紙を受け取って去っていく。
流れは単純で、特別な手続きがあるようには見えない。
やがて自分の番が来て、カウンターの前に立つ。
「Citizen Cardをお願いします」
言われるままカードを差し出すと、受付の女性はそれを受け取り、表面を確認したあと、そのまま裏面へと視線を移す。
「本日は更新を行いますか?」
突然の問いに、ハルトは一瞬だけ考える。
更新が何を意味するのか分からない以上、下手に触れない方がいいという判断が先に立つ。
「……いや、大丈夫です」
そう答えると、女性は特に理由を問うこともなく、そのまま手続きを進める。
カードは裏面のスキル欄へと視線が落とされる。
「フォークリフト……技能? なんですかこれは? それに大型免許……?」
聞き慣れない単語に戸惑っている様子で、わずかに眉を寄せる。
しばらく考えるような間が空いたあと、こちらへと視線を戻してきた。
「よくわかりませんが、あなたは今までどんな仕事をしてきましたか?」
どう説明するか一瞬迷うが、結局はそのまま答えるしかない。
「工場の倉庫業ですが……」
その言葉に女性は少し考えたあと、納得したようにうなずく。
「工場? 工房でしょうか? 倉庫業をされていたなら、ご紹介できる仕事がありますよ」
完全には通じていないが、大枠は理解されたらしい。
その事実に、ハルトは内心で小さく安堵する。
「現在、人手が足りていない倉庫があります。荷運びが主な仕事になりますが、問題ありませんか?」
「大丈夫です」
即答だった。
選んでいる余裕はないし、自分にできそうな仕事であることも分かっている。
女性はうなずき、手元の紙に何かを書き込むと、それをこちらへ差し出し、Citizen Cardも一緒に返却された。
「こちらに場所と内容が記載されています。現地で指示を受けてください」
紙とカードを受け取り、軽く目を通す。
詳しい内容までは分からないが、地図らしきものが描かれており、場所は把握できそうだった。
……とりあえず、仕事はある。
それだけで十分だった。
ハルトはカードをポケットにしまい、紙を握りしめたまま、指示された場所へ向かうためにギルドの出口へと足を向けた。
───
指示された場所に着くと、そこは大きな倉庫だった。
木造の建物が横に広がり、入口付近には木箱や麻袋が山のように積まれている。
中では何人もの作業員が忙しそうに動き回り、それぞれが荷物を運んだり、積み上げたりしていた。
空気には木材と穀物の匂いが混ざり、いかにも現場といった雰囲気が漂っている。
受付でもらった紙を見せると、現場の男が軽く目を通し、顎で奥を指し示した。
「そっちの荷物、向こうに運んでくれ」
言われた通りに視線を向けると、木箱がいくつも積まれている。
見ただけで重そうだと分かる量だが、断る理由はない。
……やるしかないか。
近づいて一つ持ち上げる。
その瞬間、思わず手が止まる。
……軽い。
見た目から想像していた重さと、実際に感じる重さが明らかに違う。
もちろん重さ自体はある。
だが、両腕にかかる負担が想定よりもずっと小さい。
もう一度持ち直してみるが、やはり同じだった。
力を入れれば、そのまま持ち上がる。
特別なコツを使っているわけでもない。
ただ、純粋に力が足りているという感覚。
……これ、か。
頭の中にカードに書かれていた内容が浮かぶ。
フォークリフト技能講習。
機械の資格のはずだが、今の状態はそれとは違う。
単純に、自分の力が強くなっている。
そう考えるのが一番しっくり来た。
試しにそのまま歩き出すと、荷物を持ったままでも問題なく移動できる。
多少の重さは感じるが、作業に支障が出るほどではない。
そのまま指定された場所に運び、箱を下ろす。
木箱が床に当たる鈍い音が響くが、手や腕に無理がかかっている感覚はない。
……いけるな。
次の箱に手をかける。
今度は迷わず持ち上げ、そのまま運ぶ。
やはり同じだ。
普通なら二人がかりで動かしそうな荷物でも、一人で問題なく扱える。
作業を続けていくうちに、周囲の様子が少しずつ変わっていく。
「おい、あいつ一人でやってるぞ」
小さな声が聞こえる。視線を感じるが、今は手を止める理由がない。
箱を運び、置き、また次へと移る。
単純な作業だが、確実に進んでいく。
気付けば、任された範囲の荷物が目に見えて減っていた。
自分でも驚くほどの速さだが、やっていること自体は単純だ。
ただ持ち上げて運んでいるだけ。
それができている理由が、今の力にある。
……フォークリフトの技能、使えるな。
納得できるようで、少し違う気もする。
だが、理由はどうであれ結果は変わらない。
この力があれば、この仕事はこなせる。
ハルトは余計なことを考えるのをやめ、目の前の荷物へと手を伸ばした。
任された範囲の荷物をすべて運び終えた頃には、周囲の作業はまだ半分ほどしか進んでいなかった。
手を止めて周りを見渡すと、何人かの作業員がこちらを見ていることに気付く。
……終わった、よな。
自分の作業を確認するように、もう一度積み上げられた荷物を見る。
特に崩れている様子もなく、指示された通りにはできているはずだ。
少しだけ間を置いていると、さっき指示を出していた男が近づいてくる。
「……お前、一人でやったのか?」
「はい」
短く答えると、男はしばらく無言で荷物とハルトの顔を見比べ、それから小さく息を吐いた。
「見た目の割に、やるな」
それ以上の評価はなかったが、文句を言われることもなかった。
少なくとも、問題はなかったらしい。
そのまま簡単な確認を受けたあと、今日の分の報酬として硬貨を手渡される。
手のひらに乗った重みを見つめながら、それが現実であることをようやく実感する。
日本で働いていた時と同じように、仕事をして、対価を受け取る。
ただそれだけのことなのに、この世界で初めてそれが成立したことに、妙な安心感があった。
ポケットに硬貨をしまいながら、ふと自分の手を見る。
――働けば、金になる。
その当たり前の事実が、この世界でも通用することが分かった。
それだけで十分だ。
ハルトは小さく息を吐き、倉庫の外へと歩き出す。
この世界でもやることは変わらない。
働いて、金を稼ぐ。
それだけだ。
……ん?
働いて、金を稼ぐ。
それじゃ、日本と変わらないじゃないか。
足を止め、わずかに顔をしかめる。
……そうだ。
俺は確か、ゲームを始めたはずだ。
冒険がしたくて。
現実とは違う何かを求めて。
それなのに、気付けばまた同じことを繰り返そうとしている。
目の前の現実と、自分の中にある違和感がぶつかる。
……違うだろ。
こんなはずじゃない。
きっとあるはずだ。
冒険者になる方法が。
そう確信するように、ハルトはゆっくりと顔を上げた。
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