第3話魔王、初出勤する


朝五時半。


魔王ゼルヴァードは目を覚ました。


「……早すぎぬか?」


窓の外はまだ暗い。


鳥すら寝ている。


だが今日は初出勤。


社会人としての第一歩である。


魔王は真剣だった。


鏡の前に立つ。


黒スーツ。


赤ネクタイ。


威圧感。


完璧だ。


「うむ」


満足げに頷く。


そのとき、机の上に置かれた冊子が目に入った。


【新入社員マナー講座】


昨夜、人事部から渡されたものだ。


魔王はページを開く。


『社会人は笑顔で挨拶しましょう』


「笑顔……」


魔王は鏡に向かって笑ってみた。


バキッ。


鏡が割れた。


「……難しいな」


十分後。


デモンズ商事本社。


ビル前にはすでに大量の社員が並んでいた。


全員顔色が悪い。


「おはようございます!!」


「おはようございます!!」


気合だけで生きている。


魔王は呟いた。


「死霊兵の朝礼か?」


そこへ営業部長が現れた。


「新人!! 今日から貴様も社畜だ!!」


「しゃちく?」


「会社のために命を捧げる戦士だ!!」


魔王は感心した。


「なるほど。人間界にも忠誠文化はあるのだな」


「違う気がします……」


隣の新人社員が小声で言った。


彼の名前は田中。


入社二週間目。


すでに魂が半分抜けている。


「お前、大丈夫か?」


「三日寝てません……」


「なぜ寝ぬ」


「終電で帰って始発で来るので……」


魔王は絶句した。


「拷問では?」


「通常勤務です」


「魔界でも禁止されていたぞ」


そのとき。


社長が現れた。


社員全員が一斉に頭を下げる。


「おはようございます!!」


社長は怒鳴った。


「声が小さい!! やる気あるのかァ!!」


「「おはようございます!!!」」


ビリビリと空気が震える。


魔王は腕を組んだ。


「……無駄に迫力だけはあるな」


朝礼が始まる。


社長はホワイトボードに数字を書いた。


『今月目標 売上三億』


社員たちがざわつく。


「無理だ……」

「死ぬ……」


魔王が聞いた。


「達成できぬのか?」


田中が乾いた笑いを漏らす。


「去年も無理でした」


「ならなぜ同じ数字にした」


「気合です」


「気合万能説やめよ」


社長はさらに続ける。


「今日から新人の魔王くんが入る!!」


ザワッ。


社員たちの視線が集まる。


魔王は前へ出た。


「魔王ゼルヴァードだ」


空気が重くなる。


新人紹介なのにラスボス登場感がすごい。


「特技は?」


と社長が聞く。


魔王は真顔で答えた。


「殲滅戦」


社員たちが震えた。


「趣味は?」


「玉座で部下を見下ろすこと」


「怖い怖い怖い」


営業部長が慌てる。


だが魔王は続けた。


「だが安心しろ」


全員が固唾を呑む。


「余は働く者には優しい」


沈黙。


なぜだろう。


ちょっと嬉しい。


そのときだった。


一人の社員が突然倒れた。


バタッ。


「課長ォ!?」


周囲が慌てる。


田中が小声で言った。


「三徹目です……」


「待て」


魔王の目が据わった。


「三日寝ていない?」


「締切が……」


「人は寝ねば死ぬぞ」


「でも仕事が……」


魔王は静かに社長を見る。


「貴様」


社長がビクッと震える。


「な、なんだね?」


「部下を壊してまで働かせるのか」


「会社とはそういうものだ!!」


社長が怒鳴る。


「甘えるな!! 昔の社員はもっと働いた!!」


魔王は数秒黙った。


そして静かに言った。


「……貴様、魔族向きだな」


「え?」


「悪辣さだけなら四天王級だ」


社員たちが吹き出しそうになる。


社長は顔を真っ赤にした。


「き、貴様ァ!!」


その瞬間。


魔王の覇気が漏れた。


ゴゴゴゴゴ……


空気が沈む。


社員全員が震える。


社長の膝が笑う。


魔王は低い声で言った。


「休ませろ」


「……は、はい」


即答だった。


倒れた課長は医務室へ運ばれた。


社員たちはざわつく。


「すごい……」

「社長が黙った……」

「初めて見た……」


田中が涙目になる。


「魔王さん……あなた神ですか……」


「魔王だ」


その日の昼休み。


社員食堂。


魔王はカレーを見つめていた。


「……安いな」


三百円。


魔界ならスライムの餌価格だ。


だが一口食べた瞬間。


魔王の目が見開かれる。


「うまい」


感動だった。


世界征服中は毒見役がいたため、まともに食事を楽しんだことがない。


田中が苦笑する。


「普通のカレーですよ?」


「人間界、侮れぬ……」


そのとき。


営業部長が走ってきた。


「魔王!! 大変だ!!」


「どうした」


「クレームの電話が止まらん!!」


魔王は立ち上がった。


赤い瞳が細くなる。


「……敵襲か」


こうして。


魔王の本格的な社畜生活が始まるのだった。

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