第14話 聖女様のホワイトハローワーク ~草むしりから始まる暗殺ギルド更生計画~


夕暮れ時のグランベルク王宮、その西側に位置する庭園は、美しく咲き誇る薔薇の香りに包まれていた。しかし、赤や白の鮮やかな花々の影には、その美しさに全く不釣り合いな、どす黒い殺気が潜んでいた。

「……全員、配置についたな」

隣国から派遣された暗殺ギルド『黒い牙』の精鋭リーダー、セドリック・ヴァレンタインは、低く抑えた声で仲間に合図を送った。

彼らは普段、闇の世界で恐れられる凄腕の暗殺者たちだ。今回は隣国の使節団という偽の身分を使い、厳重な警備をすり抜けて王宮へと潜入していた。狙うはただ一人。この国の精神的支柱であり、奇跡の力を持つとされる聖女、フェリシア・アルデバランである。

セドリックは生い茂る薔薇の茂みに身を潜め、袖口から鋭く研ぎ澄まされた短剣を滑り出させた。刃には、一滴で象をも即死させる特製の毒が塗ってある。

「セドリックの兄貴、本当にここでいいんだよな? 聖女ってのは、こんな時間に一人で出歩くもんなのか?」

部下の一人が、気配を殺したまま不安そうに囁いた。

「ああ。事前に掴んだ情報通りだ。彼女は毎日この時間、神殿への祈りを捧げた後、この西庭園を通って自室へ戻る。護衛の騎士団も、王宮内部という油断から、この時間は距離を置いている。ここが絶好の好機だ」

セドリックの冷徹な瞳が、夕日に照らされた石畳をじっと見つめる。

幼い頃に身寄りをなくし、生きるために暗殺の技術だけを叩き込まれてきたセドリックにとって、人を殺めることはただの作業に過ぎなかった。そこに罪悪感などという甘っちょろい感情は存在しない。

「俺たちは闇の住人。引き返す道などない。一撃で仕留め、速やかに撤退するぞ」

「了解だ、兄貴」

部下たちがそれぞれの武器を構え、息を潜める。

その時、遠くから軽やかな足音が聞こえてきた。さらに、鈴を転がすような、美しい鼻歌までもが響いてくる。

セドリックは体をさらに低くし、獲物を狙う獣のように神経を研ぎ澄ませた。ターゲットが、すぐそこまで来ている。



足音は確実に近付き、ついにセドリックたちの潜む茂みの真横で止まった。

「よし、今だ。出――」

セドリックが襲撃の号令をかけようとした、まさにその瞬間だった。

ガサリ、と激しい音を立てて、セドリックたちが隠れていた薔薇の茂みが、外側から勢いよく左右に割られた。

「まぁ! こんなところに、お人が!」

目の前に現れたのは、光り輝く金髪をなびかせ、澄んだ琥珀色の瞳をきらめかせた美しい少女だった。彼女こそが暗殺対象である聖女フェリシアだった。

あまりにも無警戒に、しかも暗殺者たちの目と鼻の先に顔を突っ込んできた聖女に対し、セドリックたちの思考は完全にフリーズした。

「なっ、貴様――」

セドリックは反射的に短剣を突き出そうとしたが、フェリシアの次の行動がそれを阻んだ。

「まぁまぁ、まぁまぁ! お疲れ様です! 素晴らしい熱意ですわ!」

フェリシアはセドリックの手を両手でぎゅっと握りしめ、目を潤ませて感動に震えていた。

「は? 熱意……?」

セドリックが呆気に取られて声を漏らすと、フェリシアは我が意を得たりとばかりに満面の笑みを浮かべた。

「ええ! こんな夕暮れ時に、しかもこんなトゲの多い薔薇の茂みの奥深くに入り込んで、熱心に草むしりをしてくださるなんて! あなた方、新しく入った庭師のボランティアの方々ですね!?」

「いや、俺たちはそういうわけでは――」

「いいえ、照れなくても結構ですわ! この西庭園の奥は日陰が多くて、すぐに雑草が伸びてしまうのです。でも、騎士団の皆様も忙しく、なかなか手が回らなくて困っていましたの。それを、こんな泥にまみれて……その手に持っている鋭利な刃物も、頑固な根っこを断ち切るための道具ですのね! 素晴らしい職人魂ですわ!」

純度百パーセントの善意と、常人離れしたポジティブな勘違い。フェリシアの放つ圧倒的な「光の波動」に当てられ、セドリックは毒の塗られた短剣をどう隠せばいいか分からず、ただただ戸惑うしかなかった。

部下たちもまた、武器を構えた姿勢のまま、完全に石化している。

「そうだわ、こんなに頑張ってくださっている皆様に、何かお礼をしなければバチが当たります。ちょうど、手作りの焼き菓子とお茶を持っていますの。お口に合うか分かりませんが、どうぞ召し上がってください!」

フェリシアは大きなバスケットから、焼き立てのクッキーが入った袋と、湯気の立つ水筒を取り出した。そして、慣れた手つきで木製のコップにお茶を注ぎ、セドリックたちに手渡していく。

セドリックはそのコップを見て、本能的な恐怖を覚えた。お茶から放たれる湯気が、信じられないほど神聖で清らかな輝きを放っていたからだ。

「(おい、これって……ただのお茶じゃねえ。まさか、最高級の茶葉に高濃度の聖水をブレンドしてやがるのか!?)」

暗殺ギルドの精鋭であるセドリックたちにとって、聖水はいわば天敵の毒のようなものだ。しかし、目の前の聖女は「さあ、冷めないうちにどうぞ!」と、聖母のような笑みを浮かべてこちらを見つめている。断れば不審に思われる。セドリックは覚悟を決め、ゴクリと唾を飲み込んだ。



「……いただく、ぞ」

セドリックは震える手でコップを持ち上げ、お茶を口にした。同時に、クッキーを一口かじる。

その瞬間、セドリックの脳内で何かが激しく弾けた。

「あ……、ああっ……!?」

口いっぱいに広がるのは、信じられないほどの優しい甘みと、驚くほど温かい風味だった。そして、胃の中に流れ込んだお茶(聖水入り)が、セドリックの体内に蓄積されていた長年の邪気、殺意、そしてどす黒いストレスを、物理的に凄まじい勢いで洗い流していく。

セドリックの脳裏に、走馬灯のように過去の記憶が駆け巡った。親に捨てられ、冷たい雨の中で凍えていた日々。暗殺ギルドで、失敗すれば殴られ、成功しても誰からも褒められず、ただ泥水をすするようにして生きてきた孤独な半生。

「なんだこれ……温かい……。こんなに優しい味、生まれて初めてだ……」

セドリックの隣で同じようにお茶を飲んでいた部下の一人が、ポロポロと大粒の涙を流し始めた。

「俺たち……いつも誰かを殺すことばかり考えて、誰からも感謝されたことなんてなくて……。それなのに、このお嬢ちゃんは、俺たちのことを『頑張っている』って……」

「うう、頭が、頭の中が洗われるようだ……! 俺はなんて汚れた人間だったんだ!」

もう一人の部下は、地面に膝をついて大号泣し始めた。

セドリック自身も、目から溢れ出る涙を止めることができなかった。胸の奥が熱く締め付けられる。

「(俺は……俺たちは、何をしようとしていたんだ? こんなに優しく、こんなに心が綺麗で、俺たちのような日陰者にも等しく温かいお茶をくれる人を……この汚れた刃で殺そうとしていたのか……ッ!?)」

激しい改心と自己嫌悪が、セドリックの心を支配した。

「兄貴……俺、もう人殺しなんてやりたくねえよ……!」

部下の言葉に、セドリックは深く頷いた。

「ああ、俺もだ。俺たちは間違っていた。おい、お前たち! 聖女様にこれ以上、嘘を吐き続けるわけにはいかない。だが、今の俺たちにできることは一つだけだ!」

セドリックは短剣を放り投げ、素手で地面に這いつくばると、猛烈な勢いで地面の雑草を引き抜き始めた。

「聖女様! 俺たち、この庭の雑草を根絶やしにしてみせます! それくらいしか、今の俺たちにはできませんから!」

「あ、あら? まぁ、そんなに血相を変えてむしらなくても大丈夫ですわよ?」

フェリシアの心配を余所に、セドリックたちは「うおおお!」と雄叫びを上げながら、暗殺技術で培った圧倒的な速度と指先の器用さを駆使し、狂ったように草をむしり始めた。気配を消す技術は「植物に気取られずに根元を捉える技術」へと昇華され、的確に急所を突く突きは「雑草の成長点を完璧に破壊する技術」へと変貌していた。

「素晴らしい手際ですわ! まるで草むしりのプロフェッショナルですね!」

フェリシアがパチパチと手を叩いて喜ぶのを見て、彼らはさらに涙を流しながら作業に没頭した。



それからわずか数十分後。西庭園の一角は、一本の雑草すら残らないほどピカピカに磨き上げられていた。

セドリックたち『黒い牙』の面々は、庭園に設置されたあずまやのテーブルで、フェリシアを囲んでおとなしく座っていた。彼らの表情には、かつての冷酷な暗殺者の面影はなく、まるで迷子の子犬のように神妙で、すっきりとした顔をしていた。

「なるほど……皆様、これまでは事情があって、あまり公にできない『裏の仕事』をされてきたのですね」

フェリシアは、セドリックたちの話をふむふむと頷きながら聞いていた。セドリックたちは、自分たちが暗殺ギルドの人間であることこそ伏せたものの、まともな職に就いたことがないという境遇を正直に告白していた。

「そうなんです、お嬢ちゃん……いや、聖女様。俺たち、幼い頃から気配を消して夜中を動き回ったり、人の隙を突いたりするような、汚い仕事しかしてこなかったんです。今更、表の世界で真っ当に生きていこうなんて、手遅れだと思うんですが……」

セドリックが深く溜め息をつき、俯いた。

しかし、フェリシアはポンと手を叩き、輝くような笑顔でそれを否定した。

「そんなことありませんわ! むしろ、素晴らしいスキルをお持ちじゃないですか!」

「え……? スキル、ですか?」

「ええ! 例えば、気配を消して夜間に迅速に動けるということは、真夜中の急な配送業や、大切な重要書類を秘密裏に運ぶ密使として最適ですわ。それに、他人の隙を見つけるのが得意なら、それは不審者を一瞬で見つけ出す警備員や、お城の防犯対策のアドバイザーとしてこれ以上ない適性です!」

「配送業……警備員……」

セドリックたちは目を見開いた。自分たちが誰かを傷つけるために磨いてきた技術が、フェリシアの言葉によって、誰かを助けるための「強み」へと変換されていく。

「物事は捉え方次第ですわ。皆様のその高い技術は、正しく使えば多くの人を幸せにできます。手遅れなんてことは絶対にありません!」

フェリシアはそう言うと、バスケットの底から何枚もの白い羊皮紙と、インク瓶を取り出した。

「さあ、そうと決まれば善は急げです! これは私が作った『自己経歴書』の用紙です。ここに、皆様のこれまでの経験や、これからやってみたいことを書きましょう。私が魅力的な自己PRの書き方を教えてあげますわ!」

「聖女様が、俺たちのために……」

セドリックたちは感動に震えながら、羊皮紙を受け取った。そして、暗殺の計画書を練る時以上の真剣な眼差しで羽ペンを握り、フェリシアの指導のもとで履歴書の書き方を学び始めたのだった。

「セドリックさんは、もう少し『迅速な対応が可能』という点を強調した方が、面接官へのウケが良いですわよ」

「なるほど、勉強になります、先生……!」

あずまやは、完全に臨時のハローワークと化していた。



「フェリシア様――っ! ご無事ですか!」

その時、静かな庭園に、甲冑の激しい金属音が響き渡った。

大剣を構え、血相を変えて突入してきたのは、王国騎士団副団長のセドリック・エゼルレッドだった。彼の後ろには、弓や槍を構えた大勢の騎士たちが控えている。

「聖女様が西庭園で不審な男たちに囲まれているとの報告を受け、急行いたしました! すぐにお助け――」

セドリックは叫びながらあずまやに踏み込んだが、そこで言葉を失い、完全に硬直した。

彼が予想していたのは、聖女を人質に取った凶悪なテロリストとの緊迫した対峙だった。しかし、現実に目の前にある光景は、あまりにも奇妙極まりないものだった。

「あ、セドリック様。ちょうど良いところに。見てください、この見事な庭園を」

フェリシアがのんきに手を振る。セドリックが周囲を見回すと、確かに恐ろしいほど完璧に草むしりが施され、チリ一つ落ちていない。

そしてあずまやの中では、見るからに強者であるはずの男たちが、涙を流しながら必死に羊皮紙に文字を書き込んでいた。

「……志望動機、は……貴社の、社会貢献度と、アットホームな環境に、強く惹かれ……。兄貴、これで合ってますか?」

「バカ野郎、文字が滲んでるぞ。もっと真心を込めて書くんだ。聖女先生のアドバイスを忘れたのか」

セドリックが部下の頭を軽く叩き、自身も真剣な顔で履歴書を清書している。

セドリックは、構えていた大剣をゆっくりと下げ、引きつった笑みを浮かべた。

「フェリシア様……これは、一体どういう状況なのでしょうか?」

「彼らは素晴らしい技術を持ったボランティアの方々ですの。これからはその力を正しいことに使いたいとおっしゃるので、私が就職の斡旋をしていましたの。セドリック様、騎士団の隠密部隊などで、彼らを雇うことはできませんか? ほら、セドリックさんのこの経歴書、とっても魅力的でしょう?」

フェリシアから手渡された羊皮紙を、セドリックは恐る恐る覗き込んだ。そこには、あちこち言い回しは隠されているものの、明らかに超一流の暗殺ギルドの活動記録としか思えない恐ろしい実績が、聖女の補正によって「前職での輝かしい成果」として書かれていた。

セドリックはセドリックに向かって、カッと目を見開き、深く頭を下げた。

「騎士団長殿! お願いします、俺たちをここで雇ってください! どんな過酷な任務でも、真面目に、ホワイトに働きます! だから、もう一度人生をやり直させてください!」

「……っ」

セドリックは額を押さえ、天を仰いだ。

彼の優秀な頭脳は、目の前の男たちが隣国でも噂されている凶悪な暗殺ギルド『黒い牙』の精鋭であることを見抜いていた。国家転覆を狙えるレベルの、闇の世界の最高戦力だ。

それが今、丸ごと聖女の手によって浄化され、涙ながらにハローワークさながらの就職面接を希望している。

「国家転覆の危機が、ハローワークになってる……」

セドリックの口から、乾いた笑いが漏れた。もう怒る気力すら湧いてこない。しかし、これほどの戦力が大人しく王国の味方になるのであれば、それは間違いなく国益だった。

「……分かりました。彼らの身元と技能の審査は、追ってこちらで行います。フェリシア様、あなたのその勘違い能力には、毎度ながら恐れ入りますよ」

セドリックが深い溜め息とともに告げると、セドリックたちは「おおお!」と歓喜の声を上げた。

「ありがとうございます! 期待に応えるべく、粉骨砕身の覚悟で社畜となります!」

「まぁ、良かったですね、皆様! さあ、では次の方、面接の練習をはじめましょうか! 入室の時のノックは三回ですわよ!」

夕暮れの西庭園に、聖女の爽やかな声と、元暗殺者たちの元気良い返事が響き渡るのを聞きながら、セドリックはただもう一度、深く溜め息をつくのだった。




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