第3話 コーラの色は夕暮れの色

 ぐぅ、という音で振り向くとコロモがこちらを見上げている。

 俺も腹が減った。

 というか、今何時なんだ?


 そう思いながら時計を見ると、午後2時ぐらいだ。

 そりゃあ、腹も減るというものだ。


 立ち上がって冷蔵庫を見ると、中にあるのは調味料がいくらかと野菜がいくらか。

 そうだ。最近は終電帰りばっかりで自炊なんかしないから冷蔵庫は空だ。


「……あれ? もしかして餓死の危険とかありうるんじゃね?」


 その一言でハッとする。

 これはヤバイ。

 コーラがあればしばらく死にはしないがコーラを万全に楽しめない。

 しかもコーラがない。つまり死ぬ。


 食器棚の下段、食べ物を入れているところを漁った結果。

 パスタ五キロ。パスタソース数種類。小麦粉。パン粉。片栗粉。塩。砂糖。香辛料がいくらか。あとは、いつ買ったのか覚えていないドレッシング。

 ──以上。


「これはパスタソースを使い切ったあと味付き素パスタ食って餓死ってコースだな」


 コロモはと言うと、パスタをつんつんと指先でつついている。


「それは俺の大事な食糧だ。茹でるとこんなにょろろんってしたのになってな」

「ぷぅ」


 コロモは俺の指先の動きを真似するように爪をもちょもちょと動かす。

 それから首をかしげて固まったあと、トコトコと歩き出した。


「お? なんだ? なんだなんだ?」


 コロモについていくと、奴は森の方へ、のそのそと歩いていく。

 俺もサンダルでついていき木の下にしゃがみこんだコロモの手元を覗き込む。

 どうやら、爪先でなにかを掘り出していたようで、それをぬっと見せてくる。


「ミミズかぁ。ミミズなぁ……」


 そこでふと思い出して、部屋に戻る。

 ウォークインクローゼットの一角に立てかけた肩掛けのケース。

 その中には、学生時代に使っていた釣り道具がある。


「釣りエサには使えるな──コロモ。川は近くにないか?」


 首を90度傾けているコロモ。

 俺は手をさらさら~という風に動かして見せる。

 こちらを見上げるタレ目。

 

「……ハァ」

「お前今溜息ついたろ」


 伝わらないのなら仕方がない。

 少し歩き回って探してみるしかないだろう。



◇◆◇



 ミミズをタッパーに入れ、今度はサンダルではなく休日用のワークブーツに履き替える。片手には釣り道具一式だ。


「さて、行くか」


 距離によってはそう簡単に戻ってこられない可能性もある。

 そうなると魚が腐ってしまうので、本当ならばクーラーも持っていきたい。

 だが、中に入れる氷がなかった。

 となると、釣れたらすぐに戻ってくるのが妥当な線だろう。


 川に着いた。


 いや、途中経過をすっ飛ばしたのではなく川に着いたのだ。

 俺の家から森の方ではなくとりあえず意味もなく左手に進んだのだが……。

 すぐそこが川だった。

 

 俺の帽子を被ったコロモが俺を見上げて鼻を鳴らす。

 もしかすると、あの溜息は「あるけど。すぐ近くに」という意味だったのか?


「あるんだったらあるって言えよコロモ」

「ぷわ」


 川べりの石に腰掛けて、とりあえずタッパーに入れたミミズを取り出す。


「……いや、めっちゃ太いな。針大きめにしておくか」


 ミミズをタッパーに戻し、仕掛けを出来るだけ簡単で消耗しづらい物にしていく。ウキなんかは数がないので、わかりやすくオモリと針だけだ。


「よっと」


 流れの中で深みになっているところに餌を投入する。

 特に反応はない。


「ま、そうですよね」


 竿を足元に置いて、ぼんやりと水面を眺める。

 渓流、と言うには川幅が広い。

 ということはここは山の方ではなく平野に近い下流域なのだろう。

 川べりの地形が荒れていないところをみるに、水の増減も穏やかなようだ。


「コロモも持ってみるか?」

「ぷも」


 コロモは俺の帽子を被ったまま釣り竿を抱き締めるように持っている。


「そのまま持ってたら釣れるかもな」

「ぷぅわ」

「ハハハ。なんか似合うなその格好」


 なんだかゆるキャラのような佇まいだ。

 コロモは首をかしげているが、それがまた妙に愛嬌がある。


「俺はこの辺でカニでも──」


 ばちゃぁ、という何だか間の抜けた水音に振り返るとコロモが竿を抱きしめたまま川に落ちている。


「ああああああーーー!!!」

「ぷわぁ~」


 間一髪のところでコロモの足を掴むと、コロモも器用に俺の手を爪で握ってくる。


「大丈夫か!! コロモ!!」


 焦りながらコロモを見ると、コロモは竿を抱きしめたまま水面に浮いて空を見上げている。そのタレ目に焦りの二文字はない。


「…………普通に引き揚げるわ。竿落とすなよ?」

「ぷわ」


 コロモの足を引っ張って陸に上げると、帽子が脱げそうになる。

 ヒョイと片手の爪で帽子を引っ掛けたコロモは、それを被り直す。


「コロモ、器用なのか不器用なのかわかんねぇな」

「ぷわぁ~」


 最後にコロモを起こそうとするが、竿が重い。


「貸してくれるか?」


 コロモから竿を受け取ると、ぐぐんっ!と竿先を引き込まれる感覚。

 リールを巻いて釣り上げようとするが魚が潜ってなかなか上がってこない。


「マジかよ。タモがいるか? うおおっ!!」


 そこでバシャンッ! と水面から跳ね上がる魚。

 大きいッ!!


「ぷわ」

 

 その瞬間。バコッ! という音が響いた。

 バチャッ、という音がして水面を見ると、コロモに殴られて気絶した魚。

 そしてコロモは爪を器用にエラに突っ込んで魚を持ち上げてくる。


「ぷわぁ~……」

「えっ、なに……突然のバイオレンスじゃん……怖……」


 腹は銀色で、背中には紅色の筋が走っている。

 見た目はニジマスに似ているが、この大きさにしては顔がいかつくない。だがまあ、うまそうだ。

 それにしても、たまにビクッ、ビクッ、と痙攣しているのが殴られた勢いを表していて生々しい。


「とりあえずこれは、食えそうだ」


 コロモはと言うと、魚を爪でつんつんしているが噛みついたりする様子はない。

 ここで野生を露わにして齧り付いたりしたらどうしようかと思ったのだが。

 

「ぷぅわ」


 俺の方に魚を差し出してくるコロモ。

 コロモの内なる野生が暴走する心配はなさそうだ。


「──じゃあこれ持って帰るか。ちょうどいいや」

「ぷわぁ~……」


 両手を広げてヒラヒラさせるコロモと一緒に歩きはじめようとして俺はコロモの背中を見る。


「毛がペシャっとしてそこだけ真っ平らじゃねえか!」


 ぶるぶると身体を震わせ……ているつもりなのだろうが、いかんせん動きが遅い。


「コロモ。聞け。哀れなタレ目。その勢いで身体を振っても乾かないぞ多分」

「ぷぅも」


 帰ったらタオルで拭いて、ドライヤーでも掛けてやるか。

 魚を焼いている間に済むだろう。



◇◆◇



 魚の調理の前に、俺達にはやるべきことがある。


「いいか、コロモ。こうやって沈めて水を入れるんだ」

「ぷぅも」


 コポポポポ……シュワァアアー……という音を立てて空きペットボトルに吸い込まれていく泉の水。

 泉はそこそこ冷たいが、流石に冷蔵庫には敵わない。

 そこで汲んでからキンキンに冷やしてやろうという魂胆だ。


 コーラの美味しさの5割は冷たさが占めている。いや、4割、3割か。まあいい。

 とにかく冷たい方がうまい。

 水を汲んだペットボトルを冷蔵庫に入れ、俺は魚をさばき始める。


 そのまま魚を捌いていく。

 出刃包丁なんて使ったのは何年ぶりだろうか。

 今の会社に転職してから忙しくなって、もう4年くらいは使ってなかった気がするが、使い方は案外身体が覚えているものだ。


「半身は冷凍しておくかな」


 ラップを取り出そうとして、ちょっと迷う。

 これもいつかなくなる資源だよな。大事に使いたいところだ。


「いや、なんで水道が生きてるんだ!? っていうかなんで電気も普通に使えるんだ!?」


 俺の叫びを聞いてコロモが一瞬顔を上げるが、自分には関係ないと判断したのかすぐにソファに顔を付けてぐでっとしてしまった。


「………ま、俺にわかるわけがないか。使えるならいいや。塩して、フライパンで焼くか」


 半身を上下に切ってフライパンに置くと、フライパンは一杯だ。

 デカい。これは相当デカい。


「なんか、少しは野菜食わないと健康に悪そうな感じがするな」


 だが野草の知識は俺にはない。

 とりあえず今日はこのまま焼き魚にしてしまおう。

 火を弱めにして、半分ほど蓋をする。


「よし。おーい、コロモ。お前背中乾かすぞ」


 ぬっと起き上がってきたコロモがとことこ歩いてくる。


「背中。背中」


 くるりと後ろを向くと、背中は相変わらずべしょべしょだ。

 ドライヤーのコンセントを差し、スイッチをONにする。

 ブォオオー! という独特な音に、コロモが耳を塞ぐように頭に手を当てる。


「お前の耳そこにあるのな」


 耳に手を当てたまま首を傾げてこちらを見上げるコロモを回して、背中に温風を当てていく。


「……あれ、なんかノミとかダニとか出たらどうしようって思ったけど、コロモお前意外と綺麗なんだな」


 こちらを向こうとするコロモをまた回転させて、さらに乾かしていく。

 しかしこれは……毛の密度がすごい。


「ちょっとお前、毛の密度すごくないか?」


 だんだん元のサイズより膨らんできた気がするが気のせいだろうか。

 そうやって困惑しつつ乾かしていき数分後。


「…………なんか、ごめんて」

「ぷぅも」


 毛玉のようになったコロモが俺の前に鎮座している。

 ふわっふわとして、もこもこで、明らかに元の体積の倍くらいになっている。


「……飯にするか」

「ぷぅわ」


 俺のその言葉を理解しているのか、コロモはさっきの果物を数粒器に入れて持ってくる。そして俺の前に半分、自分の前に半分を置く。


「半分、という概念がわかるのかね? 君」

「……ハァ」


 俺のインテリ風のギャグを溜息ひとつで流したコロモは、さっき汲み置きした水を覚えているらしく冷蔵庫へと向かう。

 そこで、俺はひらめいた。


「なあコロモ。これでシロップ作ってみようか」


 コロモは俺を見上げて、首を傾げた。

 俺はコロモに、手に持った鍋とコロモが持ってきた果物を指差す。


 手順は簡単だ。

 少なめの水に、コロモが持ってきた乾いた果物を入れる。

 そして火にかけてしばらく煮る。

 思った通り、色も匂いも出てきた。そこに砂糖も加えてみる。

 ぐつぐつ煮えている内に、段々と果物の香りが立ってくる。


「いい匂いだろ?」


 コロモは両手をあげて手の先をヒラヒラさせながら小踊りしている。

 火を止めたあと、謎果物シロップにレモン汁を加える。

 しばらくかき混ぜ、ボウルの上で粗熱を取っていく。

 すると、とろっとした薄い琥珀色の液体が出来上がった。


「見ろよコロモ! これ結構いい感じだぞ!!」

「ぷぅわ~……」


 自分の分はグラス。コロモの分は爪を入れやすいガラスのマグカップ。

 それぞれ並べて、シロップを入れた後にキンキンに冷えた炭酸水を入れる。

 コップの中を照らす西日が、夕暮れ色の飲み物の影を映し出す。


「ぷぅわい」

「おう、乾杯乾杯」


 カチン、とグラスとガラスのマグカップを合わせてゴクッゴクッ!と飲み下す。


「ん~~~~!!! これは!!」

「ぷわぁ~…」


 俺とコロモは顔を見合わせる。


「コーラではないな」

「ぷゎい」


 なんというか、これはイチジクとチェリーの間の子みたいな匂いのドリンクになった。どちらかというとイロモノ系炭酸飲料だ。


「でもなんかワイルドだから、焼き魚には合いそうだな」


 二人して焼き魚を食べながら謎飲料を飲み干していく。

 開けっ放した玄関から吹き込んでくる夕暮れの風が心地良い。

 玄関から差し込んでくる陽射しはすっかりオレンジ色だ。

 すると、コロモがマグカップを陽射しの中に置く。


「ぷぅわぃ」


 長い爪でその影を指差すと、そこだけはコーラと同じ色だ。


「ぷぅわ~……」


 両手をあげてヒラヒラさせるコロモのタレ目を見ながら俺は頷く。


「また挑戦したらもっと近いのが作れるかもな。明日も作ってみるかあ」

「ぷぅ」


 そうして、俺の異世界生活一日目は幕を──閉じなかった。



◇◆◇



「おい、コロモ。そこは俺のベッドだぞ」

「ぷわ?」


 俺のベッドで布団という布団を巻き込んでぐるぐる巻きになっているコロモ。

 まるで布団の塊からタレ目の顔が生えているようだ。


「俺の布団! お前はソファだ!」

「ぷもっ!」

「なんだと、家主は俺だぞ! お前は小さいんだからソファで寝れるだろ!」

「ぷぅも! ぷわいわ。ぷもんも」


 布団を巻き取って転がっていくコロモ。


「はぁ。じゃあ一緒に寝るか?」


 俺を見上げて首を傾げるタレ目。

 そしてくりんくりんと首をしばらく動かしたあと──。


「……ハァ」

「溜息とは何事だお前」


 コロコロと端っこに転がっていき、ベッドでぐでっと寝転がるコロモ。

 その隣に入りながら、コロモにも布団を掛ける。


「ちゃんと布団被れよ風邪引くぞ。こっちに獣医なんてないんだからさあ」

「ぷもんも」


 照明を落として、真っ暗になった部屋で天井を見上げる。

 妙な一日だった。

 もしかしたら、これは長い夢で──明日からはまた仕事なのかも知れない。

 そしたら良く飲みに行く先輩に話をしてみよう。


『異世界でコーラ飲みたくて、ナマケモノとコーラ作ったんですよ』


 と──いや、エモいな。


 っていうか、生きて俺帰れるのか?

 主に栄養面で。


 明日は野菜か、果物か、なんにせよ魚以外の調達も考えないとなぁ。


 そこでコロモがぬっ! と天に向けて手を持ち上げる。

 どう見ても寝ているのだが。


 「……もぎ」


 寝言は『ぷ系』じゃないんだな。

 というかその手はなんだ。


 だが、その言葉にコロモなりの意味があったと知るのは、翌朝のことだった。

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