第2話


よねちゃん、明智くんがまた廊下で滑って保健室行った〜」

「ええ? あいつまた? 今月二回目だぞ」


 大袈裟に肩を竦めた俺に、女子生徒たちが笑った。

 俺は、生徒たちから「米ちゃん」という愛称で呼ばれている。こんな雨の日には、「米ちゃん、傘持ってきた?」と訊かれるくらいには、ちゃんと人気がある。

 俺は、いつでも笑って「持ってるよ」と答える。


 嘘ではない。

 俺はいつでも、折り畳み傘を持っている。

 それが、自分のものではないだけで。

 いつでも、いつまでも、ずっと。


「次、空きコマだから保健室行ってくるわ」

「え〜、明智くんいいな〜! 米ちゃんに手当てしてもらえるんだ?」

「いやいや、手当ては保健の先生がするだろ」


 きゃはは、と明るい笑い声が返ってくる。

 俺はそれに、なんだか安堵した。

 こんな雨の日は、できるだけ立ち止まりたくない。

 そうでないと、また思い出してしまうから。

 余計なこと。

 俺の人生には、全く必要のない思い出。


 女子生徒たちと別れて、一階へ向かう階段に足をかける。保健室に行って、性懲りもなく廊下を走って転んだ生徒を注意して、心配して。またいつもの調子を取り戻す。

 それでいい。

 爽やかで親しみのある、若くて優しい先生。

 それが、今の俺だ。

 そうやって自分に言い聞かせながら階段を降り切ると、正面のガラス窓に、生徒の落書きを発見した。

 結露した窓の内側を指でなぞって描いたのだろう、ニコちゃんマーク。


 ああ、思い出してしまう。

 笑った顔。

 右の八重歯。

 銀色のピアス。

 黒の折り畳み傘。



(……余計なもん描きやがって)



 俺は思わず舌打ちしそうになって、頬の内側を噛んだ。

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