第21話 その時王は

 王城の執務室には、夜の静けさが沈んでいた。


 机の上には封書、献上品の目録、出入りした業者の名簿、侍女たちの証言を書き留めた紙束。

 イーオン王は、その山を前にして手を止めていた。


 ミニス姫が倒れた原因を洗い出す。

 それは父としての執念であり、王としての責務でもあった。


 姫だけが毒に侵された。

 ならば偶然で済ませるわけにはいかない。

 王家には敵がいる。

 表に立つ敵もいれば、礼を尽くした顔で近づく敵もいる。


 だから調査は、信頼できる者へ任せた。


 モール。


 王家と古くからつながる家の出であり、幼い頃から王家の内側を見てきた男だ。

 血統を何より重んじ、王家の価値を疑わない。

 その気質ゆえ、貴族以外へ向ける態度は時にきつい。

 だが少なくとも、王家を裏切る心配はない。


 扉が叩かれ、モールが入ってきた。


「ある程度、洗い出しました。まとめてあります」


 整った所作で書類を差し出す。

 王は頷き、椅子へ深く腰を預けた。


「説明せよ」


 モールは机の前へ進み、紙束を開いた。


「まず、古くから城へ出入りしている者たち。料理人、仕立て職人、薬商、細工師、馬番、侍女の親類筋。こちらは長年の記録と照合しましたが、不審な点は見つかっておりませぬ」


「ふむ」


「同じく、古参の納入業者も白と見てよいでしょう。品目、取引量、担当部署、いずれも過去と大きな差はありません」


 王は黙って続きを促した。


 モールは一枚紙をめくる。


「問題は、ここ最近で新しく城へ出入りするようになった者たちです」


「新顔か」


「はい。王都の流行品、珍しい細工物、異国風の装飾品。その手の品を扱う業者が、この半年でいくつか増えております」


 王の手が机の上で止まる。


「ミニスへ献上された品も、そこに含まれるのか」


「可能性があります」


 モールはさらに書類を抜き出した。


「姫殿下へ献上された品々の中に、邪竜の素材を使った装飾品が混ざっていた可能性は否定できません。ただし、確証までは至っておりませぬ」


「鑑定できぬのか」


「通常の宝飾鑑定では判別が難しいものが含まれております。外見だけでは、加工済みの骨片か、希少鉱石か、呪具の核か、切り分けづらい」


 王の視線が細くなる。


「現物はどうした」


「現在はまとめて厳重に隔離しております。地下保管庫の一室を封じ、触れた者の記録も付けました」


「……ディーノに見せるべきか」


 その名を口にした時、王の声にはわずかな逡巡が混じった。

 頼るには異質な男だ。

 だが、異質であるがゆえに見抜けるものもある。


 モールは少し間を置いてから答えた。


「手段としては有効かと。あの男の素性は相変わらず掴みきれませぬが、知見だけは本物です」


「そうか」


 モールは次の書類へ手を移す。


「さらに調べたところ、新規業者の一部に、ウェルシア王子が新しく取引を始めた商流とのつながりが見つかりました」


 王の顔つきが変わった。


「まさか、ウェルシアが企てたと申すか」


 低い声だった。

 問いであると同時に、自らへの戒めでもある。


 モールは首を横へ振る。


「いや、王子の人柄では無理でしょうな」


 言い切った後で、言葉を整える。


「王子は今の貴族にしてはあまりにも純粋で優しすぎる。身内を狙うなど考えることすらしないでしょうな、王族の器としては考えものですが。」


「……それは庇っているのか、貶しているのか」


「事実を述べております」


 モールは紙へ指を置いた。


「この業者が姫殿下を狙い、その過程で王子を経由した。今のところ、その見立てが最も自然です」


 王は長く息を吐いた。


「む、そうか……そうであるよな」


 身内へ疑いを向けた己が、少し恥ずかしくなる。

 王である前に父であり、その父である前に人だ。

 不吉な筋道が見えた時、近い者へ疑いが向くこともある。


 モールはそれを責めなかった。

 ただ次を述べる。


「業者は騎士団により複数名を捕らえました」


「口は割ったか」


「末端は、ほとんど何も知らぬ様子です。高値の品を仕入れて、決められた宛先へ流しただけ。ですが、組織の核となる者たちは逃げられ……いや、消えたそうです」


 王が顔を上げる。


「消えた?」


「痕跡なく、綺麗さっぱりと。宿も倉庫も空。帳簿も燃え残り一つなし。逃走経路も見つからぬ。煙でも掴んだ気分だと、騎士団長がこぼしておりました」


「そのような者たちが、王家の人間を狙ったのか」


「そこです」


 モールの声が低くなった。


「王。これは、まさかとは思いますが……魔族の仕業では」


 執務室の空気がぴたりと止まる。


「魔族!?」


 王は椅子の肘掛けを掴んだ。


「……馬鹿な。魔族の動きは、先の代でも皆無だったはずだ」


 魔族。


 この大陸の人間たちとは別の大陸に住む、魔物に近い種族。

 人が聖神を崇めるのに対し、彼らは魔神を信奉する。

 歴史をめくれば、この大陸との戦争は幾度も現れる。

 その血で塗られた記録は少なくない。


 だが、流れは先々代の時代に変わった。


 勇者と呼ばれた者が現れ、魔族の王を討った。

 その後、魔族は表舞台から退いた。

 海を越えてくることもなく、国境へ姿を見せることもなく、時代は静かに積み重なってきた。


 平穏は長かった。

 長すぎた、と言ってよい。


 モールは王の動揺を見ながらも、淡々と続ける。


「確証はありませぬ。ですが、この摩訶不思議は、魔族の仕業であれば説明をつけやすい」


「どういう理屈だ」


「人に化ける。痕跡を消し方。呪いに長けること。いずれも、古い戦記には記述があります」


 王は書類へ目を落とした。

 紙の上に並ぶ名前、納入日、献上目録。

 そこに魔族という文字はない。

 だが、無いからこそ不気味だった。


「もし本当に魔族が動いているとすれば……」


 言葉の続きを、王は自分で飲み込んだ。


 民へ漏れればどうなるか。

 王都は噂で揺れ、商人は物資を溜め込み、貴族は私兵を囲い、教会は声を張り上げる。

 遠方の街では尾ひれがつき、まだ姿も見ぬ敵に怯える者が増える。

 それだけで国は弱る。


 王は顔を上げた。


「この件が民の耳へ入れば、この国は混乱を招く」


「御意」


「秘匿のまま調査を続けよ。騎士団にも、必要最小限しか知らせるな。王子にもだ」


 モールは深く頭を下げる。


「承知しました」


「装飾品の隔離は維持。新規業者の関係者は根まで洗え。逃げた者の足取りも追え」


「はい」


「それと……」


 王は少しだけ間を置いた。


「早いうちにディーノへ鑑定を頼む。伝える情報は絞るが、あの男の知見が必要である。」


 モールは異論を挟まなかった。

 冒険者であるが知見は本物、どこで得たものがは不明だが姫をを救った恩人でもある。

 少なくとも敵ではない。味方につけられれば頼もしいことにかわりはない。


「では、失礼いたします」


 モールが下がり、扉が閉まる。


 執務室に残ったのは、イーオン王ひとりだった。


 静けさが戻る。

 だが先ほどまでの静けさとは質が違う。

 紙の擦れる音すら耳につく。


 王は椅子から立ち上がり、窓辺へ歩いた。

 夜の王都が遠くに広がる。

 灯の数は多い。

 それぞれの家に眠る者、働く者、祈る者、酒を酌む者がいる。

 彼らはまだ何も知らない。


 魔族が動き出した。

 もしそれが事実なら、よりにもよってこの時代に、という思いが先に立つ。


 イーオン王は、歴代の王たちと比べて剛胆な人物ではない。

 平和な時代に生まれ、武名もない。

 争いごとがなかった故に、奇策にも長けない。

 血統に恥じぬ教育は受けたが、飛び抜けた才を持つわけでもない。

 自分が普通であることを、彼は若い頃から知っていた。


 だからこそ、その平穏を守ることへ心を砕いてきた。

 余計な冒険を避け、国を揺らさぬことを重んじ、傷を大きくしない道を選ぶ。

 それは弱さと呼ばれることもあるだろう。

 だが王座に座る者すべてが英雄である必要はない、と彼は考えてきた。


 しかし、相手が魔族なら話は変わる。


 平穏を守るだけで足りるのか。

 普通の王のままで、この国は持つのか。

 その問いが、喉の奥へ骨として残る。


「ディーノ、か」


 ぽつりと名が漏れた。


 あの男は何だ。


 突然ファミレへ現れ盗賊を退け、ダンジョンを踏み荒らし、邪竜を討ち、ミニスを救った。

 言動は奇矯で、欲する対価も常識から外れている。

 それでも、必要な場で必要な力を持ち込んだ。


 偶然なのか。

 この国へ流れ着いた、ただの変人か。

 あるいは。


 救いの勇者。


 その言葉を王は口にしなかった。

 勇者という言葉は重い。

 歴史が勝手に背負わせる称号だ。

 軽く誰かへ着せるべきではない。

 

 自らを普通だと知るイーオン王だからこそ、重すぎる荷を背負わせることに抵抗があった。


 だが、あの男の存在がこの時代へ落ちてきたことに、何かの巡りを見たくなる気持ちはあった。


 ミニス姫は救われた。

 それだけでも王にとっては大きい。

 けれど同時に、新しい問題が姿を見せている。


 王は机へ戻り、積まれた書類へ手を伸ばした。


 娘の病は終わった。

 だが国の病は、これから始まるのかもしれない。

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