田んぼと絆創膏
田んぼと絆創膏
日曜日の朝。
布団の中でぼんやりしていると、スマホが震えた。
送り主は、白瀬しずく。
『おはようございます湊人くん‼️🌞✨
日曜日です‼️
昨日ショッピングモールを知ってしまった私には、この町の田んぼだけでは満足できないです🌾😇
刺激が足りません‼️
私は今、都会の光を知った女です‼️🏬✨』
朝から元気だった。
少なくとも文面は。
『おはよう。昨日あんなことあったのに元気だな』
送ると、すぐに既読がついた。
『体は少しギシギシしています‼️
でも心はショッピングモールの余韻でキラキラしています😊✨』
『怪我は大丈夫なのか?』
『転びました😊』
『線路に飛び降りてたよな』
『では、やや派手に転びました😊』
『あまり無理はしないでくれ』
返信したあと、少し間があった。
そして、次のメッセージが来る。
『ちなみに本日の私は、すでに外出準備が完了しています👗✨
つまり、いつでも出撃できます😎✨』
どう考えても、出かけたいアピールだった。
『それは、どこか行きたいってことか?』
少し間があった。
『この町には田んぼが多いです🌾』
『うん』
『田んぼは素晴らしいです🌾✨』
『うん』
『でも、昨日ショッピングモールを経験した私には、少しだけ刺激が足りません😌』
『つまり?』
『かまってほしいです』
その一文だけ、絵文字がなかった。
画面を見て、少しだけ固まった。
白瀬さんは、こういうところで急にまっすぐな言葉を出してくる。
『分かった。少し出るか』
送ると、すぐに返事が来た。
『ありがとうございます‼️🎉🎉🎉
日曜日イベント発生です‼️
湊人くん、休日出勤できて偉いです‼️👏✨』
『怪我の確認もするからな』
『医療イベントでした‼️🏥✨』
『猫のぬいぐるみは大丈夫か?』
『自宅療養中です🐈⬛
昨日の怪異戦で名誉の負傷をしました。
現在、太陽の下で怪我を治しています😊』
『ぬいぐるみに怪我の概念あるのか』
『あります』
『あの子も頑張りました』
俺は少し笑ってから、起き上がった。
父さんは台所で新聞を読んでいた。
テーブルには、焼いた食パンと目玉焼きが置かれている。
俺の分だけ、少し焦げていた。
「出かけるのか?」
「うん。ちょっと」
「昨日も遅かっただろ。大丈夫か?」
「大丈夫。今日は遠くまでは行かない」
父さんは新聞をたたんで、俺の顔を見た。
「友達か?」
少し迷ってから、俺はうなずいた。
「うん。こっちでできた友達」
「そうか」
父さんはそれだけ言って、少しだけ笑った。
「よかったな」
短い言葉だった。
でも、その言い方が父さんらしかった。
母さんがいた頃なら、きっともっと色々聞いてきただろう。
どんな子なの、とか、帰りは何時になるの、とか、ちゃんとお礼言いなよ、とか。
父さんは、そういう細かいことまでは聞かない。
でも、何も見ていないわけではない。
俺は食パンをかじりながら、ふと思い出して顔を上げた。
「父さん、救急セットってある?」
父さんは少しだけ眉を上げた。
「怪我したのか?」
「俺じゃない。友達が、ちょっと」
新聞を置いて立ち上がると、棚の下の引き出しを開ける。
そこから、小さな白いケースを取り出した。
「消毒シートと絆創膏は入ってる。ガーゼも少しあるはずだ」
「借りていい?」
「持ってけ」
父さんは、ケースを俺に渡した。
「使ったら、足りなくなった分だけ言え。買っておく」
「ありがとう」
駅前に着くと、白瀬さんはもう待っていた。
昨日と似た黒い私服だった。
黒いワンピースに、薄手の黒いカーディガン。
黒いマスク。
肩には猫のアクセサリーが付いた小さな黒いショルダーバッグ。
ただ、昨日より少し歩き方がゆっくりだった。
俺が近づくと、白瀬さんは無表情のまま片手を上げた。
ひらひら。
「おはよう、白瀬さん」
彼女はスマホを見せる。
『おはようございます湊人くん‼️🌞✨
日曜仕様の私です‼️
昨日より少しだけダメージがありますが、元気です‼️💪✨』
俺は彼女の足元を見た。
「先に手当てしよう」
白瀬さんは少しだけ目を丸くした。
『いきなり医療イベントですか⁉️😳』
「そのつもりで来た」
俺は鞄から、小さな白い救急セットを取り出した。
「父さんに聞いたら、持ってけって」
白瀬さんは画面に文字を打った。
『お父様、優しいですネ😊✨』
「理由、ほとんど聞かなかったけどな」
『聞かない優しさもあります😊』
その文章を見て、少しだけ驚いた。
白瀬さんは続けて打つ。
『湊人くんのお父様、かなり大人です』
俺たちは駅から少し離れた川沿いの小さな公園へ向かった。
快晴の日曜日なのに、人は少ない。
川の水はゆっくり流れていて、向こう側には田んぼが広がっている。
昨日のショッピングモールとは違う。
店もない。
映画館もない。
五百円ショップもない。
クレープもない。
でも、空は広かった。
ベンチに座ると、白瀬さんは周囲を見回した。
『田んぼですネ🌾』
「田んぼだな」
『昨日の都会成分が体から抜けていきます……😇』
「抜けたら困るのか?」
『困ります‼️
せっかくナウい私になりかけていたのに‼️』
「まだまだナウくなるには遠いな」
『厳しい判定です😳』
文面はいつも通りだった。
でも、ベンチに座るとき、彼女は少しだけ膝をかばった。
俺は袋から消毒シートを取り出す。
「膝、見せてもらっていいか?」
黒いマスクの上の目が、俺を見た。
そして、スマホにゆっくり文字が出る。
『少し向こうを向いていてください』
「あ、うん」
俺は慌てて背を向けた。
後ろで、布が擦れる小さな音がした。
タイツを脱いでいるのだと分かって、妙に落ち着かなくなる。
「……大丈夫か?」
聞くと、すぐにスマホの通知音が鳴った。
『こちらを見たら湊人くんのしずくポイントが減ります😊』
「見ないよ」
『現在、高得点です😊✨』
「いい加減何に使えるのか教えて欲しい」
『景品はまだ未実装です』
無表情で打っているのだろうと思うと、余計に困った。
数秒してから、また通知が鳴る。
『もう大丈夫です』
振り返ると、白瀬さんは黒タイツを膝下まで下げ、ワンピースの裾を押さえるようにして座っていた。
膝に、擦り傷がある。
大きな怪我ではない。
でも、赤くなっていて痛そうだった。
昨日の線路脇の砂利が、頭に浮かぶ。
「痛む?」
白瀬さんは首を少し横に振った。
けれどスマホには、
『少しだけチクチクします』
と出た。
「じゃあ痛いんだろ」
『少しだけです😊』
「痛いなら痛いって言っていいんだぞ」
そう言うと、白瀬さんは少しだけ動きを止めた。
それから、短く打つ。
『はい』
俺は傷の周りを消毒シートで軽く拭いた。
白瀬さんの表情はぴくりとも動かない。
我慢しているのか、本当に平気なのか分からない。
「痛かったら言って」
『喋れないので言えません😊』
「文字で言ってくれ」
『少ししみます』
白瀬さんの目元が、ほんの少しだけ柔らかくなった気がした。
消毒を終え、絆創膏を貼る。
膝の上に、少し大きめの絆創膏がついた。
「これでよし」
白瀬さんは膝を見下ろした。
そして、スマホを打つ。
『ありがとうございます』
『湊人くんの手当て、丁寧です』
「慣れてるわけじゃないけどな」
『将来有望です🏥✨』
「何の将来だよ」
白瀬さんは無表情のまま、少し首をかしげた。
それから少し迷うようにスマホを持った。
『手の甲も、お願いしていいですか?』
俺はその手を見た。
白く細い手の甲に、浅い傷がいくつかある。
昨日、線路脇に滑り込んだときについたものだろう。
「もちろん」
白瀬さんはそっと手を差し出した。
その手に触れた瞬間、少しだけ胸が跳ねた。
昨日は、怪異の中で必死だった。
手を掴むことにも、腕を引くことにも、そんなことを考える余裕はなかった。
でも今は違う。
明るい日曜日の公園で、白瀬さんの手を取っている。
彼女は無表情だ。
何も言わない。
ただ、スマホを片手で器用に打った。
『湊人くん、少し固まっています😊』
『クールでミステリアスな私に緊張しましたか?』
「クールでミステリアス?」
『よく言われます』
『クールでミステリアスだと』
「誰に?」
『クラスの人に言われます』
『でも本当の私は、田んぼに飽きてかまってほしい女です🌾』
「喋れたらその雰囲気も台無しだな」
白瀬さんは無表情のまま、少しだけ肩を揺らした。
笑っているようにも見えた。
俺は手の甲の傷に小さな絆創膏を貼った。
近い。
マスクのせいで口元は見えない。
でも、長いまつ毛や、少し伏せられた目元はよく見えた。
静かで、黒くて、近寄りがたい。
だけどスマホの中では、誰よりも騒がしい。
そのちぐはぐさが、調子を狂わせる。
「できた」
手を離すと、白瀬さんはその手をじっと見た。
それから、スマホに打つ。
『完全復活です‼️✨』
『これでまた田んぼと戦えます🌾💪』
「田んぼは敵じゃない」
『刺激不足の象徴です』
「昨日のショッピングモールが効きすぎたな」
『はい』
『私はもう、あの味を知ってしまい以前の私には戻れません』
「大げさすぎる」
『クレープを知った人間は変わります🍓✨』
そう打ったあと、白瀬さんは少しだけ視線を川の方へ向けた。
風が吹いて、黒い髪が揺れる。
しばらく、二人とも何も言わなかった。
川の音。
遠くの車の音。
鳥の声。
田んぼを渡る風の音。
昨日の駅とは違う静けさだった。
俺は、少し迷ってから言った。
「白瀬さんって、ずっとああいうことしてきたんだな」
彼女はスマホを持ったまま動かなかった。
「危ないところに一人で行って、自分を囮にして、怪我しても何でもない顔して」
責めるつもりはなかった。
でも、言葉にすると、思っていたより重くなった。
「クラスの人が言ってた。たまに怪我してるって。聞いても『転んだ』って書くだけだって」
白瀬さんは少しだけ目を伏せた。
やがて、スマホに文字が出る。
『転んだのは本当です』
「転ぶような場所に、自分から行ってたんだろ」
白瀬さんの指が止まる。
俺は続けた。
「怒ってるわけじゃない。でも、白瀬さんは、自分が危ない目に遭うことに慣れすぎてる」
白瀬さんは、しばらく何も打たなかった。
風が吹く。
川沿いの草が揺れる。
少しして、画面に文字が出た。
『慣れないと、動けないので』
短い文章だった。
俺は胸の奥が少し重くなるのを感じた。
『怖いです』
『でも、怖がって止まっていたら、ページが黒くなります』
『だから、慣れたことにしています』
その文章を見て、昨日の駅での彼女を思い出した。
線路に飛び降りる前、白瀬さんは迷わなかった。
迷っていたら間に合わなかったからだ。
でも、怖くなかったわけじゃない。
怖がる時間を、自分に許していなかっただけだ。
一歩間違えていれば死んでしまっていたかもしれないのに。
「危険なことはしないでくれ」
白瀬さんは俺を見る。
『でも、湊人くんを危ない目に遭わせます』
「もう遭ってる」
『確かに』
「だから今さらだ」
白瀬さんは少しだけ目を伏せた。
『湊人くんには慣れてほしくはないです』
「俺も、白瀬さんに慣れてほしくない」
その言葉を言ったあと、少し恥ずかしくなった。
でも、言い直す気にはならなかった。
白瀬さんはしばらく画面を見つめていた。
やがて、ゆっくりと文字を打つ。
『努力します』
短い一文だった。
絵文字はなかった。
でも、今までのどんなにぎやかな文章より、ちゃんと届いた気がした。
俺はうなずいた。
「頼む」
白瀬さんは少しだけ考えて、また打つ。
『でも、かまってほしいときも呼びます』
「それは今朝みたいなやつか」
『はい』
『田んぼが多すぎるときなどです🌾』
「田んぼに失礼だな」
『田んぼには感謝しています』
『でも刺激は少ないです』
「素直だな」
『クールでミステリアスなので😊』
白瀬さんは無表情のまま、親指を立てた。
俺は笑った。
白瀬さんはタイツを元に戻して、ワンピースの裾をきちんと整えた。
そのあと、俺たちは川沿いを少し歩いた。
白瀬さんは膝をかばっているので、ゆっくりだった。
途中、小さな売店でアイスを買った。
白瀬さんはチョコ味を選んだ。
『昨日クレープを知ったので、今日は控えめにアイスです🍫✨』
「控えめなのか?」
『クレープに比べれば控えめです』
ベンチに戻り、アイスを食べる。
白瀬さんはマスクを少しだけずらし、ひと口食べるとすぐ戻した。
その動きは相変わらず徹底している。
白瀬さんはアイスを食べ終えると、予言の書を取り出した。
「予言?」
俺が身構えると、白瀬さんは首を横に振った。
そしてスマホに打つ。
『確認です』
彼女は本を開いた。
そこには、何枚もの黒いページがある。
そして、その奥。
最後のページに、あの文字があった。
『世界は滅亡する』
見ただけで、胸が冷える。
けれど、白瀬さんはじっとそのページを見ていた。
「どうした?」
彼女はスマホを打つ。
『少し』
『薄くなっています』
「昨日の予言を消したから?」
白瀬さんは少し考えたあと、首を横に振った。
『それだけではないかもしれません』
「どういうこと?」
『予言の書は、ページが消えると最後の文字が少し薄くなります』
『でも今回は、それ以上に薄くなっている気がします』
俺は本を見る。
俺には、前と比べてどれくらい薄くなったのか、正直分からない。
でも白瀬さんには分かるのだろう。
ずっと一人で、この本を見続けてきた彼女には。
白瀬さんは、ゆっくり文字を打った。
『理由は分かりません』
『でも』
『一人じゃなくなったから、だったらいいなと思います』
その一文を見て、俺は言葉を失った。まだ分からないことばかりだ。でも、少なくともひとつだけは分かる。
白瀬しずくは、もう一人ではない。
「だったら、もっと薄くしていこう」
俺が言うと、白瀬さんは本から顔を上げた。
「次も、その次も。予言を二人で外す」
白瀬さんは、しばらく俺を見ていた。黒いマスクの上の目が、少しだけ揺れる。そして、スマホに文字が出る。
『はい』
少し間を置いて、次の一文。
『これからも、頼りにしています』
絵文字はなかった。
でも、そのあとすぐに、いつもの調子で文字が増えた。
『相棒さん😊✨』
俺は小さく笑った。
「こちらこそ」
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