ある仕事の日

 薄暗い待機室で、ももかはスマホを閉じた。 



 次の客のプロフィールが送られてくる。



『中川 38歳 リピート』



 思わず、小さく息を吐く。



 またか。



「メルちゃーん、お願いしまーす」



 源氏名が呼ばれる。スタッフの声。



「はーい」



 鏡を見て笑顔を作る。



 仕事の顔。



 もう何百回もやってきた。










 部屋に入ると、中川はいつものように異様に嬉しそうだった。



「メルちゃん~! やっと会えた!」



「久しぶりー」



 甘えた声を出す。



 本当は久しぶりでも何でもない。

 二週間前にも会っている。

 


 でも、中川はそれだけで顔を赤くする。



「今日も可愛いね……」



「ありがと」



「いやほんと、店辞めたら俺と付き合ってほしいくらい」

 


 ももかは笑う。



 笑うしかない。 



「またまたー」



「いや本気だよ? 俺、メルちゃんのこと他の嬢と違うと思ってるし」



 内心、溜息をつく。



 恋愛経験の少ない客は毎回こうだ。



 数回優しくされたくらいで、“自分は特別”だと思い込む。



 ももかの事なんて何も知らない癖に。



 なのに、“愛してる側”の顔だけはする。



 「メルちゃんってさ、ほんとはこういう仕事向いてないよね」



「そうかなー?」



「うん。だって優しいもん」



 薄っぺらい。



 本当に。



 中川は、自分に都合のいい幻想を愛しているだけだ。



 良太は違った。ふとももかは思い出す。



 職業を知っても態度を変えなかった。



 説教もしなかったし、勝手に救おうともしない。



 変に理想化もしない。



 ただ、普通に接してくれる。



 ももかが何を考えているか分からなくても、ももかの様子をちゃんと見ている。



 この間も、私の様子がおかしい事を、敏感に察知した。



 同じ未経験でも、ここまで違うのか。



 人間って、同じカテゴリに入れてまとめて考えちゃいけないんだな、と、妙に真面目なことを思った。 



 「ねぇメルちゃん、今度店の外で会わない?」

 


 中川が距離を詰めてくる。



 ももかは反射で微笑んだ。



「えー、どうしよっかなー」



 営業用の声。



 媚びた笑顔。



 慣れ切った反応。



 中川は、それだけで嬉しそうにする。



 簡単だ。



 簡単すぎて、虚しくなる。


     









 仕事を終えて店を出る。



 夜の十二時を回っていた。駅に向かう道は静かで、コンビニの光だけが白く浮いていた。



 ももかは疲れ切った顔で駅へ向かった。



 耳にイヤホンを差して、歩きながら、ももかは今日のことを頭から消していった。



 仕事が終わったら、仕事のことは考えない。切り替えないと、やっていられない。それも三年で身についた習慣だった。



 中川の顔が、すうっと薄れた。



 良太の顔が、少し浮かんで、また沈んだ。



 残ったのは、拓海だった。



 会いたい。



 思う前に、もう思っていた。考えるより先に体が思い出す感じ。拓海の部屋の匂いとか、あの低い声とか、眠たいときの顔とか。



 今日、機嫌はどうだろう。



 ももかが帰るまで起きてるだろうか。



 怒ってたら嫌だな、と思う。思いながら、怒ってても会いたいな、とも思う。



 自分でも意味が分からない。怒られるのが怖いのに、その怖さごと含めて引き寄せられている感じ。近づきたいのに傷つく、でもその傷つきごと欲しい、みたいな。


 

 おかしい、とももかは思った。



 おかしいけど、足は自然と、拓海のいるマンションの方角に向いていた。



 今日、客に「本気で好き」と言われた。来週もたぶん同じことを言われる。



 良太は、いつかもう一度、告白しようとするだろう。あの、言いかけてやめた続きを。



 拓海は、ももかが帰ったら、不機嫌かもしれないし、珍しくやさしいかもしれない。どっちか分からない。



 分からない方が、好きなんだよな、あたし。



 良太といる時、自分はちゃんと人間になれる。



 中川みたいな客を見た後は、なおさらそれが分かる。



 なのに。



 帰りたい場所は結局、拓海のいる部屋だった。



 ももかはコンビニの明かりを見ながら、小さく笑う。



「ほんと、終わってんなぁ…私」



 口ではそう嘯きながら、ももかは早く帰りたくてしょうがなかった。

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