第15話「同じスキル」

三十三分だった。


アイアンモールの二体目が石床に崩れ落ちるのを確認して、蓮は手帳を取り出した。


「第3層。二発。三十三分」


目標の三十五分を初めて切った。昨日と一昨日で動きを最適化した結果だ。一発目の解放直後に体勢を立て直す時間を削った。二発目の蓄積に入るまでのタイムラグが半分になった。


このペースを安定させれば、第三層は制圧できる。


次の個体を探して歩いた。



リフトが降りてきた音がした。


振り返らなかった。足音が複数。三人か四人。先を行く気配がした。別の区画へ向かっている。


関係ない。


次の個体に集中した。



二十分ほど経ったとき、声が聞こえた。


「……ここか」


一言だった。それだけで分かった。


低く、短い。感情がない。


蓮は動きを止めた。


三人のパーティが視界に入った。全員、高位の装備だ。IDカードの色が違う——Bランク。先頭の男は金髪で長身。体格がいい。装備は機能優先で無駄がない。


橘龍一。


背中を見ただけで分かった。二年間、あの背中の後ろで記録をつけてきた。


龍一はこちらを見ていなかった。前方のモールの群れを観察していた。


蓮は動かなかった。



龍一が手を上げた。後ろの二人が止まった。


「……近くにソロがいる」


龍一が振り返った。蓮と目が合った。


一秒。


龍一の目が蓮の全体を一度だけ見た。IDカードの色を確認した。


「鑑定」


声に出した。スキルが発動した。


蓮は正面を向いたまま何も言わなかった。


龍一が視線を前に戻した。


「……蓄積か」


独り言だった。後ろの一人が聞き返す。


「何ですか、橘さん」


「スキルの評価値だ。D。珍しい」


後ろの男が蓮を見た。「D評価のソロがこの層に?」


「関係ない」


龍一がそれだけ言った。後ろの二人が前へ歩き出した。


龍一は一歩進む前に、もう一度だけ蓮を見た。


「……以前、管理局に同じスキルを持った雑用がいた。別人だ」


確認でも質問でもなかった。ひとり言に近かった。


そのまま前を向いて歩いていった。


蓮は黙ったまま、龍一の背中を見た。


二年前と同じ背中だった。



モールの群れが動いた。


龍一が前に出た。正面からの突進を右に半歩ずらして躱し、右拳を胴体に叩き込んだ。


音が違った。


鈍い破砕音。モールが吹き飛ぶどころか、その場で外皮が砕けた。一撃で仕留めた。剛拳——素手攻撃力が跳ね上がる、評価値Bのスキル。これがその威力だ。


後ろの二人がすぐに次の個体へ入った。連携が速い。無駄がない。


蓮は別の区画でモールと対峙していた。蓄積を続ける。三百。四百。隣の区画から龍一の戦闘音が聞こえてくる。


六百。七百。八百。


龍一側で声が上がった。


「上位種です!」


気配が重い。通常のアイアンモールの倍はある。第三層の上位種——蓮が二発かけて仕留めてきた相手だ。


龍一が前に出た。後ろの二人が構えた。


蓮の蓄積量は八百七十だった。



上位種の初撃が来た。龍一が受けた。


弾かれた。


初めて見る光景だった。Bランクの剛拳使いが、正面からの受けで後退した。


「硬い」


後ろの一人が言った。


「退くな」


龍一が言って、二撃目を受け止めた。今度は踏ん張った。足が床を削った。それでも押された。


九百。


体の奥が動き始める。


九百五十。蓄積が、目覚める。


「そこのソロ」


龍一が蓮に向けて言った。目は上位種を見たままだった。


「退いていろ」


一千。


解放。



右拳を上位種の側面に叩き込んだ。


上位種が吹き飛んだ。壁まで届いた。壁面にひびが走った。


全員が動きを止めた。


上位種はまだ動いていた。外皮に亀裂が入っている。一発では足りない——それは分かっている。


蓄積量はゼロに戻っていた。蓮は静かに体を構え直した。


「退いていろ、と言った」


龍一の声がした。


「聞こえていました」


「なら——」


「一発では足りません。二発目を溜めます」


龍一が黙った。


蓄積を開始した。十。二十。五十。上位種が向き直ってくる。


龍一が一歩踏み出した。蓮が先に出た。腕で突進を受けた。


七十。


「邪魔だ」


「溜め場が必要です。どいてください」


龍一が、止まった。


三百。五百。七百。九百。


体の奥が動き始める感覚。千。


解放。


喉元の亀裂に叩き込んだ。


上位種が崩れ落ちた。動かなくなった。



静寂。


後ろの二人が顔を見合わせた。龍一は上位種を見たまま動かなかった。


「……二発か」


龍一が言った。質問ではなかった。


「そうです」


「一発目で怯ませて、二発目で仕留める。それがお前の戦い方か」


「今のところは」


龍一が蓮を見た。じっくりと、初めてちゃんと見た。


だが、分からなかった。


探索装備をつけた黒髪の男。細い目。疲れたような顔つき。管理局の廊下で書類を持って歩いていた男の面影は、どこにもなかった。


「スキルが蓄積だと言ったな」


「鑑定でそう出たはずです」


「評価値はD」


「そうです」


龍一の目が蓮の右拳を一瞬だけ見た。何かを考えている顔だった。だが何も言わなかった。


「……そうか」


それだけ言って、前を向いた。



地上へ戻るリフトの中。


蓮と龍一の二人だった。後ろの二人は別の区画にまだいた。


龍一は壁を向いていた。蓮は正面のドアを見ていた。


リフトが上昇する。第三層の空気が遠くなった。


「名前は」


龍一が言った。


蓮は答えなかった。


「……聞かなくていい」


龍一が自分で言った。


リフトが開いた。蓮が先に出た。廊下を歩いた。龍一の足音が後ろについてこなかった。



支局の出口を出た。


夕暮れの空気だった。


橘龍一。二年ぶりに同じ場所にいた。同じ層で戦った。顔を見られた。名前を聞かれた。


気づかなかった。


蓮は歩きながら考えた。気づかなかったのは当然だ。あの頃の俺は、あいつの視界に入っていなかった。記録係の顔を、エースが覚えている理由がない。


溜まっている、と思った。


怒りではない。もっと静かな何かだ。体の奥でずっと溜めてきたものと、同じ種類の何かが。


次に会うとき、お前は俺を知っている。


歩いた。また明日、来る。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る