第15話「同じスキル」
三十三分だった。
アイアンモールの二体目が石床に崩れ落ちるのを確認して、蓮は手帳を取り出した。
「第3層。二発。三十三分」
目標の三十五分を初めて切った。昨日と一昨日で動きを最適化した結果だ。一発目の解放直後に体勢を立て直す時間を削った。二発目の蓄積に入るまでのタイムラグが半分になった。
このペースを安定させれば、第三層は制圧できる。
次の個体を探して歩いた。
◇
リフトが降りてきた音がした。
振り返らなかった。足音が複数。三人か四人。先を行く気配がした。別の区画へ向かっている。
関係ない。
次の個体に集中した。
◇
二十分ほど経ったとき、声が聞こえた。
「……ここか」
一言だった。それだけで分かった。
低く、短い。感情がない。
蓮は動きを止めた。
三人のパーティが視界に入った。全員、高位の装備だ。IDカードの色が違う——Bランク。先頭の男は金髪で長身。体格がいい。装備は機能優先で無駄がない。
橘龍一。
背中を見ただけで分かった。二年間、あの背中の後ろで記録をつけてきた。
龍一はこちらを見ていなかった。前方のモールの群れを観察していた。
蓮は動かなかった。
◇
龍一が手を上げた。後ろの二人が止まった。
「……近くにソロがいる」
龍一が振り返った。蓮と目が合った。
一秒。
龍一の目が蓮の全体を一度だけ見た。IDカードの色を確認した。
「鑑定」
声に出した。スキルが発動した。
蓮は正面を向いたまま何も言わなかった。
龍一が視線を前に戻した。
「……蓄積か」
独り言だった。後ろの一人が聞き返す。
「何ですか、橘さん」
「スキルの評価値だ。D。珍しい」
後ろの男が蓮を見た。「D評価のソロがこの層に?」
「関係ない」
龍一がそれだけ言った。後ろの二人が前へ歩き出した。
龍一は一歩進む前に、もう一度だけ蓮を見た。
「……以前、管理局に同じスキルを持った雑用がいた。別人だ」
確認でも質問でもなかった。ひとり言に近かった。
そのまま前を向いて歩いていった。
蓮は黙ったまま、龍一の背中を見た。
二年前と同じ背中だった。
◇
モールの群れが動いた。
龍一が前に出た。正面からの突進を右に半歩ずらして躱し、右拳を胴体に叩き込んだ。
音が違った。
鈍い破砕音。モールが吹き飛ぶどころか、その場で外皮が砕けた。一撃で仕留めた。剛拳——素手攻撃力が跳ね上がる、評価値Bのスキル。これがその威力だ。
後ろの二人がすぐに次の個体へ入った。連携が速い。無駄がない。
蓮は別の区画でモールと対峙していた。蓄積を続ける。三百。四百。隣の区画から龍一の戦闘音が聞こえてくる。
六百。七百。八百。
龍一側で声が上がった。
「上位種です!」
気配が重い。通常のアイアンモールの倍はある。第三層の上位種——蓮が二発かけて仕留めてきた相手だ。
龍一が前に出た。後ろの二人が構えた。
蓮の蓄積量は八百七十だった。
◇
上位種の初撃が来た。龍一が受けた。
弾かれた。
初めて見る光景だった。Bランクの剛拳使いが、正面からの受けで後退した。
「硬い」
後ろの一人が言った。
「退くな」
龍一が言って、二撃目を受け止めた。今度は踏ん張った。足が床を削った。それでも押された。
九百。
体の奥が動き始める。
九百五十。蓄積が、目覚める。
「そこのソロ」
龍一が蓮に向けて言った。目は上位種を見たままだった。
「退いていろ」
一千。
解放。
◇
右拳を上位種の側面に叩き込んだ。
上位種が吹き飛んだ。壁まで届いた。壁面にひびが走った。
全員が動きを止めた。
上位種はまだ動いていた。外皮に亀裂が入っている。一発では足りない——それは分かっている。
蓄積量はゼロに戻っていた。蓮は静かに体を構え直した。
「退いていろ、と言った」
龍一の声がした。
「聞こえていました」
「なら——」
「一発では足りません。二発目を溜めます」
龍一が黙った。
蓄積を開始した。十。二十。五十。上位種が向き直ってくる。
龍一が一歩踏み出した。蓮が先に出た。腕で突進を受けた。
七十。
「邪魔だ」
「溜め場が必要です。どいてください」
龍一が、止まった。
三百。五百。七百。九百。
体の奥が動き始める感覚。千。
解放。
喉元の亀裂に叩き込んだ。
上位種が崩れ落ちた。動かなくなった。
◇
静寂。
後ろの二人が顔を見合わせた。龍一は上位種を見たまま動かなかった。
「……二発か」
龍一が言った。質問ではなかった。
「そうです」
「一発目で怯ませて、二発目で仕留める。それがお前の戦い方か」
「今のところは」
龍一が蓮を見た。じっくりと、初めてちゃんと見た。
だが、分からなかった。
探索装備をつけた黒髪の男。細い目。疲れたような顔つき。管理局の廊下で書類を持って歩いていた男の面影は、どこにもなかった。
「スキルが蓄積だと言ったな」
「鑑定でそう出たはずです」
「評価値はD」
「そうです」
龍一の目が蓮の右拳を一瞬だけ見た。何かを考えている顔だった。だが何も言わなかった。
「……そうか」
それだけ言って、前を向いた。
◇
地上へ戻るリフトの中。
蓮と龍一の二人だった。後ろの二人は別の区画にまだいた。
龍一は壁を向いていた。蓮は正面のドアを見ていた。
リフトが上昇する。第三層の空気が遠くなった。
「名前は」
龍一が言った。
蓮は答えなかった。
「……聞かなくていい」
龍一が自分で言った。
リフトが開いた。蓮が先に出た。廊下を歩いた。龍一の足音が後ろについてこなかった。
◇
支局の出口を出た。
夕暮れの空気だった。
橘龍一。二年ぶりに同じ場所にいた。同じ層で戦った。顔を見られた。名前を聞かれた。
気づかなかった。
蓮は歩きながら考えた。気づかなかったのは当然だ。あの頃の俺は、あいつの視界に入っていなかった。記録係の顔を、エースが覚えている理由がない。
溜まっている、と思った。
怒りではない。もっと静かな何かだ。体の奥でずっと溜めてきたものと、同じ種類の何かが。
次に会うとき、お前は俺を知っている。
歩いた。また明日、来る。
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