第12話 空蝉村の虎

「ん?」


 俺はカゴを片手に、ゆっくり振り返った。


 さっきまでゲーム筐体の前で騒いでいたハリネズミ頭の少年が、いつの間にかすぐ近くに立っていた。


 距離が近い。


 初対面の人間に対する距離ではない。東京なら、知らない相手がここまで近づいてきた時点で、だいたい何かの勧誘か、絡まれる前兆だ。


 少年は俺をじろりと見上げるように睨んだ。


「お前、見ない顔だな?」


 ……げ。


 めんどくせぇ感じに絡まれた。


 やっぱりガキ大将みたいじゃねぇか。


 いや、ガキ大将という言葉が似合いすぎて逆に困る。髪はツンツンだし、声はでかいし、態度は謎に偉そうだし、何より「見ない顔だな?」という台詞が古い。あまりにも古い。古民家より古い。


「俺は、ここに観光で来たんだ」


 できるだけ何でもないように答えた。


 揉めるつもりはない。俺はただ駄菓子を買いに来ただけの、善良な観光客である。うめぇ棒一本八円に驚いていただけで、誰の縄張りも荒らしていない。


「この、何もない村に?」


 横から、小太りの少年が首を傾げた。


 さっき金を出していた子だ。口調は落ち着いていて、かっちゃんと呼ばれていたハリネズミ頭よりは、話が通じそうに見える。


「ああ、そうだよ。何もなくても、俺からしたらかなり珍しくてさ」


 俺は少しだけ笑って、棚の方へ目をやった。


「ここ、いい場所だな」


 言ってから、自分でも少し意外だった。


 お世辞のつもりではなかった。


 湿った木の匂い。古い駄菓子の袋。やたら安い値札。奥でまだ光っている古いゲームの画面。東京にはないものばかりで、ないものがある、という妙な感じがする。


「ふーん……」


 眼鏡の少年が、興味深そうに俺を見た。


「外から来た人は、そういう風に感じるのかぁ」


 その言い方には、少しだけ羨ましさのようなものが混ざっていた。


 けれどかっちゃんと呼ばれた少年は、そんな空気をあっさり蹴飛ばす。


「そんなことはいいって」


 勝彦は胸を張り、俺に指を突きつけた。


「そんなことより。ここらは俺たちの縄張りだからな! 変なことすんじゃねーぞ! そん時はぶっ飛ばす!」


 は?


 ぶっ飛ばす?


 俺は一瞬、返事を忘れた。


 いきなり話しかけられた上に、初対面の人間へそんなことを言うか。ここは本当に令和なのか。いや、この村ではそもそも令和がまだ入村許可をもらえていないのかもしれない。


 少年の目は本気というより、格好をつけているだけに見えた。


 でも、その格好のつけ方がなかなか怖い。


「お、おう。気を付けるよ」


 俺はとりあえず頷いた。


 縄張りとは何を指すのか。変なこととは何なのか。ぶっ飛ばす基準はどこにあるのか。色々聞きたいことはあったが、聞けば話が長くなりそうだったのでやめておく。


 その瞬間。


「ゴラァ!!!! 勝彦ォォ!!」


 店の奥から、地鳴りみたいな声が飛んできた。


 勝彦の肩が、びくりと跳ねる。


 さっきまでの威圧感はどこへ行ったのか、背筋が見事に縮んだ。


「な、な、なんだよっ!? でけぇ声出すなよな!! びっくりするじゃねぇか!」


 勝彦は反射的に言い返したが、声が少し裏返っていた。


 駄菓子屋のおばちゃんが、棚の奥からぬっと出てくる。


 さっきまでの柔らかな笑顔は消えていた。腰に手を当て、目だけで勝彦を射抜いている。丸眼鏡の奥の視線が、妙に鋭い。


「あんた、その子に迷惑かけてんじゃないだろうね!?」


 そうです。


 おばちゃん、俺は目の前のガキ大将に絡まれました。


 心の中で即答する。


 勝彦は一歩後ずさりした。


「し、してねぇよ!! ただ、気になったから声を掛けただけだって! な、なっ?」


 最後の「なっ?」だけが、俺へ向けられる。


 助けを求める目だった。


 さっきまで俺をぶっ飛ばすと言っていた人間の目とは思えない。人はこんな短時間で立場を変えられるものなのか。


 俺は勝彦を見た。


 勝彦も俺を見た。


 そこで、ひとついいことを思いついた。


「そうですね、大丈夫ですよ」


 俺はできるだけ爽やかに笑ってみせる。


「ぶっ飛ばすとか言われたけど、まあ悪気があって言ったわけじゃないと思いますし〜」


「んなっ!? お、おい!」


 勝彦の顔が一気に引きつった。


 ざまあみろ。


 俺は内心で小さく拳を握った。


 おばちゃんの顔から、笑みが完全に消える。


「ぶっ飛ばす……?」


 低い声だった。


 店の中の空気が、ひやりと変わる。


「へぇ。勝彦、私のお客さんにそんなことを言ったんだねぇ?」


 おばちゃんはゆっくりと指を鳴らした。


 ぽき、と乾いた音がする。


 あれ?


 このおばちゃんの方が、怖くね……?


「だ、だ、大丈夫だって!! 冗談だからよ!!」


 勝彦は両手を振って必死に弁解する。


 けれど、おばちゃんは一歩も引かない。


 腰に手を当てたまま、勝彦を真っ向から睨みつけた。


「冗談でも、そんなこと言ってんじゃあないよっ!!」


     *


 その後、なんやかんやあった。


 勝彦はおばちゃんにこってり絞られた。


 博之はその横で「だから言ったのに」と小声で呟き、三成はゲーム筐体にもたれながら、もはや慣れた様子でため息をついていた。


 俺はというと、気づけば駄菓子屋の前にある小さな食べるスペースに座っていた。


 店先の軒下には、古い木の机と、色の剥げた丸椅子がいくつか置かれている。雨上がりの湿気を吸った木材は、触ると少しだけしっとりしていた。通りから吹いてくる風には、土と草と、菓子の甘い匂いが混ざっている。


 俺はそこで、買ったばかりの駄菓子の袋を開けていた。


 ……のだが。


 なぜか、俺の左右には勝彦たち三人も座っていた。


 狭い。


 普通に狭い。


 机は四人で囲むには小さすぎるし、椅子もぎりぎりだ。肩がぶつかる。膝も当たる。さっきまで絡んできた相手と、なぜか駄菓子を食う距離になっている。


 村の人間関係、展開が早すぎる。


「ったく、余計なこと言うなよな!」


 勝彦が、口を尖らせて俺を睨む。


 まだ少し不満そうだが、さっきおばちゃんに怒鳴られた直後だからか、声の大きさは控えめだった。


 その時、俺はふと視線を感じた。


 店の方を見る。


 柱の横から、おばちゃんがこちらを見ていた。


 すごい顔で。


 目だけで「次やったら分かってるね」と告げてくる顔だった。


 お、おばちゃん、それ怖いって。


 勝彦もその視線に気づいたらしい。


 ちらりと柱の方を見た瞬間、肩をびくりと震わせた。


「やっぱり、空蝉村の虎は怖いね……」


 博之が身体を小さく縮めながら呟いた。


「空蝉村の……虎?」


 俺は思わず聞き返した。


 笑いそうになるのを、ぎりぎりで堪える。


 空蝉村の虎。


 字面が強すぎる。


「そうそう。あのばあちゃんな」


 三成が、駄菓子の袋を開けながら説明した。


「虎子って言うんだよ。昔はかなりヤンチャだったらしくてさ。なんでも、この空蝉村に来たツッパリを一人でしばき倒したとか」


 おいおい。


 ツッパリって。


 たしか昔のヤンキーとか、そういう呼び名だったはずだ。


 何度も思うけど、この村は何もかもが古い。


 ゲームも古い。駄菓子も古い。店も古い。会話に出てくる単語まで古い。


 いや、俺もそろそろ慣れないといけないのかもしれない。


「へ、へぇ。あのおばちゃん、そんな過去があったんだ……」


 俺は苦笑いしながら、柱の向こうをちらっと見た。


 虎子さんはまだこちらを見ていた。


 怖い。


「そうだぜ!」


 勝彦が、なぜか少し得意げに胸を張る。


「だから、あのばあちゃんを怒らせるなよな!」


 それはお前にこそ言える台詞だよ。


 心の中で即座にツッコむ。


 さっき怒られていた本人が、どうしてそんなに他人事みたいな顔をできるのか。ある意味、才能かもしれない。


 俺は駄菓子の袋に手を伸ばした。


 袋から取り出した細いスナックを口へ運ぶ。軽い音を立てて噛むと、思ったより濃い味が広がった。安いのに、妙にうまい。いや、安いからこそこういう味なのかもしれない。


「ところでさ!」


 勝彦が急に身を乗り出してきた。


「お前、名前は?」


 距離が近い。


 俺は少しだけ身体を引きながら、口の中の駄菓子を飲み込んだ。


「俺は、時坂彼方って言うんだ」


「へぇ、かっこいい名前だね」


 博之が素直に言った。


 その言い方が本当に何気なくて、少し照れる。


「はぁ?」


 勝彦がすぐに割り込んだ。


「俺の勝彦の方がかっこいいだろ?」


「どこに張り合ってんのさ」


 三成が呆れたように言う。


 それはそう。


 名前で勝負を挑まれても困る。


 そもそも勝彦という名前は、勝ちそうではある。勝ちそうではあるけれど、いま張り合う話ではない。


「んじゃあさ、どこから来たんだよ?」


 勝彦はさらに質問を重ねてきた。


 質問が多いな。


 でも、たぶんそれだけ外から来た人間が珍しいのだろう。しかも、俺は彼らと同じくらいの年に見える。村の中にいる子どもたちからすれば、知らない同年代の人間なんて、そこそこ大きな事件なのかもしれない。


 俺はもう一つ駄菓子を口に入れ、噛みながら答えた。


「俺は東京から来たよ」


「東京!?」


 三人の声が、見事に重なった。

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