第6話 針の穴に通す糸、あるいは17歳の告白

「できた・・・! できたぞ一ノ瀬、ついに完成だ!」


クーラーが微かに唸る陽向の部屋。

床に広げられた紺色の浴衣を前に、陽向はバンザイをして歓声を上げた。

最終日、最後の仕上げである帯の端の処理を終え、そこには見違えるほど綺麗な、まっすぐな縫い目が並んでいた。


「・・・本当に、私がこれを縫ったのだろうか」


隣に座る葵は、自分の指先と浴衣を交互に見つめ、

信じられないといった様子で深く感動していた。

この一週間、葵は慣れない針仕事に大苦戦した。

初日はやはり糸を絡ませ、自分の体操着の裾まで一緒に縫い付けるという

奇跡的な不器用さを発揮したが、

陽向はそのたびに「違うって!糸はこう引くの!」「ほら、指刺さないで!」と、根気強く葵の手を取って教え続けた。


学校ではいつも「完璧な王子様」として

一歩引いた場所からみんなを守っていた葵が、

この部屋では、陽向の言葉一つひとつに真剣に耳を傾け、

不器用ながら一生懸命に針を動かす「一人の生徒」だった。


「全部如月のおかげだ。君が根気強く付き合ってくれなければ、

 私は今頃、家庭科の単位を落として路頭に迷っていたよ。

 ・・・本当に、ありがとう」


葵はいつものイケメンスマイルではなく、

どこか幼さの残る、心からのホッとした笑顔を陽向に向けた。


その無防備な笑顔に、陽向の胸がどきっと跳ねる。


「い、いや、お前が真面目に頑張ったからだよ。

 ・・・これで夏休みの宿題も終わったし、明日の夏祭り、それ着ていけるな」


照れ隠しに陽向がそう言うと、

葵は少しだけ目を伏せ、浴衣の生地を愛おしそうに撫でた。


「・・・ねえ、如月」

「ん?」

「この一週間、部屋で君と二人きりで過ごせて、私は本当に幸せだった」


葵の声が、いつもより少しだけ高くて、繊細な響きを帯びる。

夕方の西日が遮光カーテンの隙間から差し込み、

葵の横顔をオレンジ色に染めていた。


「学校での私は、みんなの『王子様』でいなきゃいけない。

 期待に応えたいし、かっこ悪いところは見せたくない。

 ・・・でも、君の前では、私はただの不器用で、手先の覚束ない、格好つかない

 女の子でいられたよ」


「一ノ瀬・・・」

「最初はね、君が小さくて、一生懸命で、

 可愛いから守ってあげたいと思っていたけど、でも、違った。

 私は、君に私の弱いところを見つけて欲しかったんだと思う。

 ・・・私は、君が好きなんだ。

 王子様としてではなく、一人の女子として、如月陽向が、愛おしくてたまらない」


まっすぐに見つめてくる、葵の瞳。

いつもならここで「男なら受け取れ」なんてイケメンなセリフが続くはずなのに、今の葵の瞳は、完全に恋を自覚した「女の子」のそれだった。


少しだけ震える唇、赤くなった耳。


陽向は、心臓が爆発しそうなほどの衝撃を受けていた。

いつも自分をリードし、お姫様扱いしてきたあの「一ノ瀬葵」が、

今、自分の前でこんなにも脆く、守ってあげたくなるような表情で告白している。


その事実が、陽向の男としての本能を激しく揺さぶった。


――なんだよ、これ・・・

こんな顔されたら、僕が・・・僕が男として、

守ってあげなきゃって思っちゃうじゃんか・・・


いつもなら「少女漫画か!」とツッコむはずの陽向の手が、緊張で小さく震える。

陽向はゴクリと息をのみ、顔を真っ赤にしながらも、

男の意地を振り絞って葵の目をまっすぐに見返した。


「・・・ずるいよ、一ノ瀬」

「え?」

「そんな顔で、そんな可愛いこと言われたら・・・

 僕、もうお前のことを『かっこいい一ノ瀬』として見られなくなる。

 ・・・男として、勘違いしちゃうだろ」


陽向の言葉に、今度は葵が丸く目を見開いた。

まさか陽向から「男らしい言葉」が返ってくるとは思っていなかったのだろう。

葵の頬が一気にさらに赤く染まっていく。


驚き、そして嬉しそうに潤む葵の瞳を見て、陽向は確信した。


この一週間で、二人の関係は確実に変わってしまった。


「明日の夏祭り・・・」

陽向は、クローゼットから自分の(こっそり新調しておいた)浴衣を取り出し、

胸に抱えて言った。


「僕も浴衣、着ていくから。

 だから、明日はお前が僕の隣を歩けよ・・・

 王子様じゃなくて、僕の、その・・・・・・・女の子として」


「・・・!」

完璧だったはずの王子様は、

平凡なはずの姫からの、不意打ちの「男気」に完全にノックアウトされ、

両手で顔を覆ってしゃがみ込んでしまった。

指の隙間から覗く肌は、夕日よりも赤かった。


狭い部屋の中、二人の初々しい鼓動だけが、クーラーの音に混じってうるさく響いていた。


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