第13話

 真琴から『見つかったよ』とメッセージが入り、指定されたコワーキングスペースへ朱音は向かった。


 外部との打ち合わせに使われるらしい簡素な会議室。


 机と椅子だけが並ぶ殺風景な部屋だった。


 扉を開けると、真琴はすでにそこにいた。


 あんぱんと牛乳を手にして。


「真琴さん……有力な情報を得たんですね!」


「お、分かっちゃった?」


 真琴が牛乳パックを振る。


「見事な観察眼だねえ」


「その組み合わせを食べてる時は何か掴んだ時ですから」


「そんな癖あったっけ?」


 真琴は首を傾げた。


 その時。


 奥の席から声が飛ぶ。


「あるある」


 玲だった。


「事件の核心に近づくほど糖分摂取量が増えるんや」


「やめて。分析しないで」


 真琴が苦笑する。


 だが次の瞬間。


 表情が変わった。


「中々手強い相手になるかもね」


 朱音は自然と背筋を伸ばした。


 真琴が一枚の資料を机へ置く。


 そこに書かれていた名前。


 ――天宮輝義。


「公安を辞めてないんですね」


「辞めてないどころか出世してる」


 玲が肩をすくめる。


「叩き上げの化け物さ」


 朱音は資料へ目を落とした。


 五十代半ば。


 現在も公安の現場指揮官。


 表彰歴多数。


 数々の重大事件の解決に携わった経歴が並ぶ。


 だが。


 家族欄だけが空白だった。


 妻も。


 娘も。


 存在しないことになっている。


「……」


 胸が重くなる。


 篝が最も憎んでいる男。


 その人物が今から会う相手だった。


     ◇


 その頃。


 女性完全保護課。


 篝は執務室の窓から外を見下ろしていた。


 建物の周囲には警察車両が並び。


 機動隊員が配置され。


 物々しい空気が漂っている。


「大げさね」


 篝が呟く。


 部下が資料を抱えて答えた。


「明日のデモ参加者ですが」


「ええ」


「現在三万人を超えています」


 篝は眉一つ動かさない。


「そう」


「全国から集結中です」


「なら警備を厚くして」


 淡々とした口調。


 しかし部下は不安そうだった。


「衝突の可能性があります」


「女性を守るためなら必要なことよ」


 篝は言い切る。


 部下は何も言えなかった。


 誰も。


 篝の覚悟を止められなかった。


     ◇


 夜。


 日南人は公園のベンチに座っていた。


 スマートフォンには明日の集合場所。


 参加者チャット。


 応援の言葉。


 罵倒の言葉。


 両方が流れている。


「本当に大丈夫かな……」


 空を見上げる。


 啓太の顔が浮かんだ。


「お前ならどうした?」


 返事はない。


 だが思い出す。


 保育士の仕事を語る時の笑顔。


 子どもたちの話をする時の優しい声。


『誰かの痛みに寄り添う仕事』


 あの言葉だけは今も胸に残っていた。


「分かってるよ」


 日南人は立ち上がる。


「暴力なんて使わない」


 握り締めていた拳を開く。


「絶対に」


     ◇


 翌日。


 公安本部。


 応接室。


 天宮輝義は資料へ目を通していた。


 そこへ部下が駆け込む。


「失礼します」


「どうした」


「女性完全保護課周辺の警備計画です」


 資料を受け取る。


 参加予定人数。


 警備人数。


 危険度評価。


 その数字を見た瞬間。


 輝義の表情が変わった。


「三万人……」


「はい」


 部下が頷く。


「近年最大規模です」


 輝義は窓の外を見る。


 胸騒ぎがした。


 理由は分からない。


 だが嫌な予感だけが消えなかった。


     ◇


 その日の午後。


 朱音たちは輝義と面会していた。


 第一印象は意外だった。


 厳つい男ではない。


 威圧感もない。


 ただ。


 長い年月を後悔と共に生きてきた父親。


 そんな印象だった。


「天宮さん」


 朱音が口を開く。


「篝さんについてお聞きしたいんです」


 輝義はしばらく黙った。


 そして静かに答える。


「篝は……生きているんですね」


 声が震えていた。


 朱音は思わず目を見開く。


 喜び。


 安堵。


 後悔。


 様々な感情が混じっていた。


 演技には見えない。


「会っていないんですか」


「ない」


 即答だった。


「十数年」


 苦しそうに笑う。


「会えていない」


 真琴と玲が顔を見合わせる。


「探さなかったんですか?」


 玲が尋ねた。


 輝義は俯く。


「探した」


 その声は重かった。


「警察も動いた」


「……」


「私も探した」


 一拍。


「だが見つからなかった」


 拳が震える。


「戸籍も」


「保護記録も」


「目撃情報も」


「何も残っていなかった」


 まるで。


 存在そのものが消されていたかのように。


 朱音は確信した。


 少なくともこの男は。


 娘を見捨ててはいなかった。


「あなたは公安になった」


 真琴が静かに言う。


「だから家族を守れなかった?」


 輝義は否定しなかった。


 しばらく沈黙し。


 そして呟く。


「あの日も仕事だった」


 朱音たちは黙る。


「篝が消えた日も」


 一拍。


「楓が泣きながら電話してきた日も」


 苦しそうに目を閉じた。


「私は現場にいた」


 部屋が静まり返る。


「公安の仕事を優先した」


 震える声。


「その結果がこれだ」


 後悔だけが残っていた。


 そして。


 朱音は最後の質問をした。


「篝さんが今何をしているか知っていますか」


 輝義は首を横に振る。


「知らない」


「女性完全保護課の責任者です」


 その瞬間。


 輝義の顔色が変わった。


「何だって?」


 初めて感情が表へ出る。


「彼女が…そうだったのか。信じられないと思いますが、娘が生きているなんて考えられなかった。彼女は別人だと…」


輝義は憂いを帯びた表情をして言葉を紡ぐ。


「そうでも思わなければ、楓と篝を失った現実を受け入れられなかった」


朱音は静かに問う。


「篝さんに…会いたいですか?」


 そして次の言葉は。


 朱音の予想を超えていた。


「会いたい」


 即答だった。


「怒られてもいい」


「憎まれてもいい」


 拳を握る。


「一度だけ」


 声が震える。


「生きていてくれて良かったと伝えたい」


 朱音は言葉を失った。


 この男は。


 ずっと娘を探していたのだ。


     ◇


 夕暮れ。


 女性完全保護課前。


 すでに大勢の人々が集まり始めていた。


 男性たち。


 女性たち。


 記者たち。


 警察。


 機動隊。


 怒号。


 歓声。


 期待。


 不安。


 様々な感情が渦巻いている。


 その中心で。


 篝は静かに空を見上げていた。


 明日。


 何かが起きる。


 そんな予感がしていた。


 だが。


 それが父との再会。


 そして自らの過去と向き合う始まりになることを。


 まだ誰も知らなかった。

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