第9話 怪物と救世主

ホテルの最上階のスイートルームの一室。

淡い光の間接照明と心地よいジャズの音色が高尚な空間を演出していた。

女子大生に扮装した篝はウィッグの毛先を弄びながら久我を潤んだ瞳で見つめる。

とうとう目の前の憎き男に裁きを下せる高揚感を指先で必死にごまかしていた。


久我は視線に気づき篝に微笑みかける。

篝の肩に手をかけたその瞬間、篝は身をかわして話を振る。


「そういえば久我先生。女性完全保護課の総司令官・天宮篝をご存じですか?」


久我は不意に躱され不満を感じたがすぐに取り繕った。焦る必要はない。

捕食の前に他愛ない話も応じようと久我は物腰柔らかい態度で話し始めた。


「ああ、彼女は素晴らしいよ。女性の安全な暮らしのために結果を出しているからね」


そして久我は少しためらい語りだす。

「ここだけの話、篝は私の娘なんだ。再婚だから血はつながってないけどね」

本人であるためもちろん知っているが、初めて聞いたような素振りを見せる。

「そうだったんですね!では、今の天宮篝の女性を守るという人格は…久我先生の影響なんですね」

久我は謙遜してみるが、顔はにやけていた。おそらくそう言って欲しいと答えを誘導したのだろう。

「そうだと嬉しいな。女性は守るべき尊い存在だ。篝もそんな私の背中を見て警察として奮闘しているなら親として誇らしいよ」


久我の笑顔を見る。

十歳の夜。酒臭い息。

震える手。

「お父さん、やめて」

その記憶だけがよみがえる。

決死の覚悟でこの男から児童相談所に逃げて、断罪するために篝は警察官になったのだ。

先ほどの言葉に対する憎悪でグラスを持つ手がわずかに震える。

篝は気取られないようにそっとグラスを置いた。


「嬉しい事実を知りました。私は天宮篝のファンなので彼女の著書を読んでいたのですが、今話を聞いているとどうも不可解なことがあります」


久我の眉がピクリと反応する。


「篝さんは12歳の時に父の執拗な性暴力から逃げ出して、自力で施設に避難したと書いていました。…でもこの父っていうのは、久我先生のことですよね?」


久我の目は一気に疑念を含んだ鋭い視線になった。

「君は何が言いたい?先ほどの私の話を疑うっていうのか?」

「ええ、あなたはとんでもない大嘘つきですもの」


そういい篝は頭のウィッグをはぎ取った。

ウィッグからは美しい黒髪があらわになった。

さらに幼く見せていた化粧を乱暴な手つきで拭うと、メディアで見る姿が現れた。

久我は崩れ落ちて尻もちをつき、体の震えが止まらない。

「ばかな、貴様がなぜここにいる!?」

篝は冷たい笑みを浮かべてそっと囁いた。

「久しぶりね、お父様。私があなたに近づいたのはこのためよ」

その時篝は自身のブラウスの胸元をつかみ強引に引きちぎった。

ボタンが辺りに飛び散る。


「誰か助けてー!久我誠一に犯される!」

篝は何度も大声で叫び、部屋の外に出た。


「な、何をしている!?」

しかし久我は途中で察した。

もしかしたら周りにはもう警察関係者がいるのではないか。

久我は狼狽して必死で篝を追いかけた。

「てめえ、嵌めやがったな!」


その瞬間、真琴のカメラが捉えた。

乱れた服装の天宮篝と、それを追いかける久我誠一の姿を。

「今だ!こっちはバッチリだよ!」

真琴がそう叫ぶと、久我の真後ろから玲と朱音が取り押さえた。

「観念しいや、クズ議員」

朱音は険しい顔で久我を見つめた。

こいつが篝さんを傷つけてきた男。


「お前が罠に嵌めたんだろ?こんなでっち上げが許されるとでも思ってるのか!?」

「私はあなたに今までされたことを返すだけよ」


篝は這いつくばっている久我に静かに歩み寄る。


「ただあなたの遺伝子なんて一ミリも残したくないの。そうね…サンドバッグになってもらいましょう」


頭に絵が浮かんだ久我の体は恐怖に震える。


「さらにセンターから逃げられたとしてもさっきの写真によって世間からバッシングね。”救世主を壊した外道”に手を差し伸べる人なんて現れるかしらね?」


久我は震えて涙を流していた。そして篝に縋りつき媚びる。


「か、篝。俺が悪かった。お前の望むものはなんだ?用意するよ」


抑えていた玲と朱音は呆れる。

篝に今までしていたことを体裁を取り繕うための謝罪で済ませようとする姿が浅ましい。

「あー、やっぱり追い詰められたやつって何が欲しい?っていうんだ。

薄っぺらい謝罪とともにね」

真琴は見慣れた光景なのか、久我を煽る。


「や、やめてくれ、篝。血はつながってなくても父だろ?」


久我の涙につられたのか、篝の目からは細く涙が流れていた。

張本人の久我だけでなく、その場にいた朱音も驚いた。


「やっと見れた。私はその顔が見たかったの!」

涙を流しながら篝の口角は上がり、恍惚とした表情に変わっていった。


「私もやめてと懇願していたけど、あなたは笑っていた。やっとあなたの気持ちが理解できたわ」


久我はもう何を言っても無駄だと悟り、目から光が失われた。

「ちくしょおおおおおおおおおお」

スイートルームの廊下には久我の絶望の断末魔が響いた。


朱音は任務を遂行できたが、芽生えた違和感を拭いきれなかった。


久我のしてきたことは当然許されないことだ。きちんと償うべきである。

しかし、目の前の篝の姿は本当に”正義の救世主”なのだろうか。

篝の目には光が宿っていない。

憎しみの連鎖は切れていない。また新たに憎しみの連鎖が発生するかもしれない。

その予感はどんどん現実味を帯びていく。


久我の確保から数日後。

東雲真琴の記事はあっという間に日本中を駆け巡った。

天宮篝に関するノンフィクション書籍も出版され、そちらの重版通知も出ている。

天宮篝は『悪しき父から逃れて立ち向かい、女性のために戦う英雄』として世間に称賛された。

一方で久我誠一は弁明も何もできないまま、世間からの大バッシングを受けた。

切り抜き動画やAI生成の動画などによりヘイトが広がり、大量のアンチコメントが溢れた。

そして、女性完全保護課は地位をさらに強固なものにして、天宮篝は絶対的な正義の人と世間に認知された。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録(無料)

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る