フェムユートピア-女性完全保護国家

小田原純

第1話

性犯罪。


 この犯罪は、被害者の人生を壊してもなお、殺人ほど重く扱われない。


 終身刑になることは少ない。


 出所した加害者による再犯率は高く、被害者の多くは世間の目や誹謗中傷を恐れ、声を上げることすらできずに沈黙する。


 ——だから、この国は変わった。


『女性の安心こそ、国家の未来です』


 大型モニターに映し出された女性が、静かに微笑む。


 天宮篝。


 女性だけで構成された特殊組織、『女性完全保護課』総司令官。


 性犯罪発生率を十分の一まで減少させた、“女性の救世主”。


『私たちは、もう二度と女性に恐怖を強いません』


 街頭ビジョンの前で、足を止める女性たちが拍手を送る。


 幼い娘の手を握った母親が、安堵したように微笑んでいた。


 羽村朱音は、その映像を見上げながら、小さく息を吐く。


「……やっと、ここまで来たんだ」


 胸元に抱えた採用通知。


 女性完全保護課・新人採用。


 憧れ続けた場所だった。


 ——あの日から。


     ◇


 高校二年の冬。


 友人の美咲が、駅裏で男に襲われた。


 制服は乱れ、震えながら泣き続ける美咲を前に、朱音は足が動かなかった。


 男は笑っていた。


「大げさなんだよ。ちょっと触っただけだろ?」


 その瞬間。


 鈍い音と共に、男の身体が地面に叩き伏せられた。


「動かないで」


 低く、冷たい声。


 黒いコートを翻した女性警官が、男の腕をねじ上げていた。


 長い黒髪。


 鋭い眼差し。


 けれど。


 泣き崩れる美咲へ向き直った瞬間、その表情は別人のように柔らかくなった。


「怖い思いをしたね」


 女性警官はしゃがみ込み、美咲をそっと抱きしめる。


「ごめんね。助けるのが遅くなって」


 美咲が子どものように泣きじゃくる。


 彼女は背中を撫でながら、静かに言った。


「でも、もう二度と怖い思いはさせないから」


 その言葉を、朱音は今でも忘れられない。


 あの人みたいになりたい。


 本気で、そう思ったのだ。


     ◇


「羽村朱音。本日付で女性完全保護課への配属を命じます」


 無機質な電子音声。


 巨大な庁舎を見上げながら、朱音は唾を飲み込む。


 灰色の空へ突き刺さるような高層ビル。


 入口には大きく刻まれていた。


『女性の安心こそ国家の未来』


 自動ドアが開く。


 中は驚くほど静かだった。


 受付も、警備員も、行き交う職員も全員女性。


 誰もが無駄口を叩かず、張り詰めた空気の中を歩いている。


「——あなたが羽村朱音さん?」


 振り返った瞬間、朱音の呼吸が止まった。


 黒い制服。


 長い髪。


 テレビで何度も見た顔。


「……天宮、司令官……」


 天宮篝は柔らかく微笑んだ。


「そんなに緊張しなくていいわ」


 差し出された手。


 朱音は慌てて敬礼する。


「お、お会いできて光栄です! 私は昔、司令官に——」


「覚えているわ」


 篝は静かに言った。


「駅裏の事件。あなた、あの時ずっとお友達の手を握っていたでしょう?」


 覚えていてくれた。


 胸が熱くなる。


「ようこそ、女性完全保護課へ」


 篝の声は、あの日と同じくらい優しかった。


「ここは、女性が安心して生きられる国を作る場所よ」


 その時だった。


「嫌だ!! やめろ!!」


 突然、廊下の奥から男の絶叫が響いた。


 朱音が反射的に振り返る。


 数人の女性警官に拘束された男が、床に爪を立てながら引きずられていた。


「俺はもう何もしない! 頼む!!」


 その後ろを、中年の女性が泣きながら追いかける。


「お願いします! 息子を……! 息子を返してください!!」


 篝は静かに歩き出した。


「少し、見ていきなさい」


 通された面会室。


 拘束された男は涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、母親へ縋りついた。


「母さん……助けてくれ……っ。もう女性には触れないから……!」


「お願いします……! 釈放金ならいくらでも払います! この子が死んでしまう……!」


 篝は冷たい目で二人を見下ろす。


「性犯罪は、被害者女性の心を殺す犯罪です」


 静まり返る室内。


「そのことは……同じ女性なら、理解できますよね?」


 母親の顔から血の気が引いた。


 何かを思い浮かべたように、唇が震える。


 そしてその場に崩れ落ち、泣き叫んだ。


「あぁ……ごめんなさい……ごめんなさい……っ」


 男が絶望した顔で母親を見る。


 朱音は、喉の奥がひどく乾いていくのを感じた。


 篝はそんな二人へ背を向ける。


「国家出生支援センターへ送致します」


 男の悲鳴が、面会室に響き渡った。

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