第5話 倉庫での密談
営業を終えた古い倉庫の裏手や、荷揚げ用のトタン壁の隙間。鍵が壊れたまま放置された、古い倉庫があった。倉庫の小さな窓からは「みなとみらいの夜景」のイルミネーションが見える。
海斗は、由香の前でコンクリートの床の上で正座をしていた。
その背中は、まるで叱られる子どものように小さく見えた。
(俺……何やってんだろ……)
後悔と情けなさが胸を締めつける。
「だから言ったでしょ。考え方が甘いって」
「す、すみません……!」
「謝る前に考えなさい」
由香の声は厳しいが、不思議と温かい。
海斗はその温度に、少しだけ救われていた。
「は、はい……!」
誘拐犯とは思えないほど素直だ。
そのとき――
ガタンッ!
海斗のポケットから、由香のスマートフォンが床に落ちた。
「ひゃっ……す、すみませんっ!」
慌てて拾い上げた瞬間、画面が点灯し、通知が表示された。
《遥:おばあちゃん、どこ?》
海斗は青ざめた。
「す、すみません……! 落ちて……勝手に光って……!」
「ちょうどいいわ」
由香は海斗からスマホをひったくり、誘拐犯の前で堂々と画面を開いた。
「えっ……あ、あの……誘拐中なんですけど……」
「それが?···ちょっと、黙ってなさい」
由香は迷いなく通話ボタンを押した。
「遥?今、港の倉庫にいるの」
『お、おばあちゃん!?無事なの?智恵さんとお隣の麻友子さんも心配したるんだからね』
「無事よ、無事。落着きなさい。で、智恵と麻由子さんもそこにいるの?」
『いるよ』
「なら、遥、二人を連れて、ちょっと来なさい。場所は――」
由香はお茶に誘うような気軽さで話している。
その様子に海斗は口をぱくぱくさせながら、
(誘拐されてる人が……誘拐犯の前で……電話してる……!)
と衝撃を受けていた。
由香は通話を切ると、海斗に向き直った。
「いい? あなたはそこで反省してなさい」
「は、はい……!」
海斗は正座を深めた。
十数分後――
倉庫の扉が勢いよく開いた。
「おばあちゃん!」
「由香さん!」
「ひっ、ちょ、ちょっと待って! これ、誤解で……!」
遥と麻友子が由香に駆け寄る。
智恵は特注の巨大保冷バッグを持っているために駆け出さず、早足だった。
その横で、慌てて両手を振る海斗に、智恵はおっとりとタッパーを差し出した。
タッパーの中にはきつね色に揚がった唐揚げがぎっしりと入っていた。
「ほら、食べて、落着きなさいよ」
「えっ……あ、ありがとうございます……いただきます…」
両手を合わせて海斗は唐揚げを一口食べた。
海斗は目から涙を流す。
「……うまい……」
「ほら、ポテトサラダもおにぎりもあるからね」
「は、はひ…」
「誘拐犯が泣いてる……」
遥が呆然とつぶやいた。
「由香、あんたも食べるかい?」
「おにぎりの中は梅干しだろうね?」
「もちろんさ」
智恵が床にシートを敷き、いそいそとタッパーを並べた。
「ほらほら、みんな座って」
よっこらしょと由香は座ると、おにぎりを頬張った。
由香と智恵に挟まれて海斗が唐揚げを食べて泣いている。
誘拐とはかけ離れた長閑な光景。
これでいいの?と、おにぎりを片手に遥は思った。
横で、麻由子は震える声で言った。
「……夫が……浩史が、私を……殺そうとして……」
その言葉に、倉庫の空気が一瞬止まった。
「やっぱりね」
由香が静かに言った。
「優しすぎる男は、だいたいロクなことをしないのよ」
麻由子は唇を噛みしめた。
「……浩史は、私がいなくなれば……全部、自分のものになるんです……」
「なるほどね…で、あんたは旦那に頼まれたと」
「僕……依頼されただけなんです……! 本当に……!」
海斗は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら叫んだ。
「分かってるわよ。あなたはただの“使われた子”よ」
由香は海斗の頭をぽんと叩いた。
「問題は、黒幕の方。どこで頼まれたの?」
「ね、ネットで……」
「ネット?会ってないの?」
「は、はい……指示ややり取りは、すべて…ネットとメールでしてました……」
由香がため息を吐いた。
「近頃の子は、何でもネットやメールで済ませるんだから。大事なことはちゃんと会って話さないと駄目じゃないか」
「す、すみません…」
海斗は身を縮めた。
「困ったねぇ……顔も知らない相手じゃ、殴り込みようがないじゃないか」
「えっ?何で?」
遥が聞いた。
「遥、お前はほんと詰めが甘いねぇ。だから就職で苦労するんだよ」
情けないといった表情を浮かべる由香に、遥が食って掛かった。
「おばあちゃん。それ、関係ないじゃん」
「大有りだよ。麻友子さんの証言だけじゃないか」
遥は首を傾げた。
「まあまあ…由香はね、麻友子さんだけじゃなくて、あの旦那さんが誘拐を計画したって言う人や証拠がいないと、知らないって言われたらそれまでだって言いたかったんだよ」
「さて、どうしようかねぇ…」
由香は唐揚げに手を伸ばした。
唐揚げを食べながら天井を睨む。
「遥」
「なに?」
ごくりと唾を飲んで、遥は返事をした。
「お茶を買ってきておくれ」
由香の台詞に緊張が霧散した。
がくっと肩が落ちた。
「こんな場面で、お茶?……おばあちゃん…」
「水分が足りないんだよ」
しぶしぶと遥は立ち上がった。
一人じゃ大変だろうと海斗が荷物持ちについて行く。
「買ってきたよ…」
遥たちは両手にペットボトルを抱えて戻ってきたとき、
「じゃあ、懲らしめようか」
智恵が腕を組んでいった。
「えっ……懲らしめ……?」
遥が目を丸くする。
どうやら、遥と海斗が自販機へ行っている間に、重要な話し合いはすべて終わっていたらしい。
(……完全に追い払われたよね、これ)
遥は仲間外れにされたようで、ちょっとおもしろくなかった。
「当たり前だろう。由香を誘拐して、麻由子さんを殺そうとして、海斗くんを利用して……。あたしら黙ってられないよ」
智恵はタッパーを持ち上げた。
「差し入れもあるしね」
「武器じゃないんですか、それ……」
海斗が震えながら言う。
「武器にもなるよ」
智恵はにっこり笑った。
由香は立ち上がり、パンパンと手を払った。
「さてと、遥、あんた警察から名刺を貰ったっていってたよね。いま、持ってるかい?」
「一応、持ってる」
「それ、貸して」
由香に名刺を渡した。
名刺をじっと見ていた由香がニヤリと笑った。
「さて、退治しようかね」
由香は名刺を指で弾き、ゆっくりと立ち上がった。
その目の鋭さに、遥は思わず背筋を伸ばした。
遥はごくりと唾を飲み込んだ。
(おばあちゃん……怖すぎる……)
麻由子は震えながらも、しっかりと頷いた。
「……やります。私ももう、逃げたくないんです」
こうして――
女三人と一人の若い誘拐犯は、黒幕・城戸浩史との対決へ向かった。
浩史が、まだ“計画通り”だと思い込んでいるとも知らずに。
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