第23話 同じ匂いのシャンプー

梅雨の走りだろうか。五月の終わり、急に雨が降り始めた。


 土曜日の夜。鈴音が帰った後、干しっぱなしにしていた服を取り込み忘れていたことに気づいた。ベランダに出ると、案の定びしょ濡れだった。


 仕方なく室内に干し直していると、隣のベランダにも干してある服が残っているのが目に入った。鈴音のやつだ。おそらく着た後に風を通すため出していたのだろう、いつものパーカーが風雨に晒されている。


 ——言ってやったほうがいいか。


 LINEは交換していない。ドアをノックするのも気が引ける。時間は二十二時過ぎだ。


 仕切り板越しに手を伸ばして、鈴音のパーカーを取り込んだ。濡れたまま放置するより、俺の部屋で軽く水分を飛ばして乾かしてやるほうがいい。明日渡せばいい。


 軽く絞ってから、広げてハンガーにかける。


 ——鈴音の匂いがした。


 雨に濡れた布の匂いの奥に、シャンプーの残り香。フローラル系の、甘すぎない香り。


 ……待て。この匂い、知っている。


 洗面台に行って、自分のシャンプーのボトルを確認した。


 同じだ。


 俺が使っているのと、同じ銘柄のシャンプーだ。ドラッグストアで一番安い棚にあるやつ。特に理由もなく手に取った、何の個性もないシャンプー。


 偶然——だろう。たぶん。同じドラッグストアで、同じ棚から手に取っただけ。一番安いという理由で。


 でも、同じ匂いがする。俺のシャツと、鈴音のパーカーから、同じ匂いがする。


 ——考えるな。預かったパーカーを乾かすだけだ。


 ◇


 翌朝。鈴音が朝ご飯に来た。日曜日だから、もう当然のように来る。


「鈴音、昨日の雨でベランダのパーカー濡れてたから、勝手だけど取り込んでおいた」


「……え」


 ハンガーに掛かっているパーカーを差し出す。一晩で乾いていた。


 鈴音は受け取って——パーカーを、一瞬だけ胸に抱いた。


 それから何かに気づいたように、鼻先をパーカーに近づけた。匂いを嗅いでいる。


「……みなとさんの、部屋の匂いがします」


「あー、ごめん。部屋干ししたから——」


「……いい匂い、です」


 遮られた。


 いい匂い。それは俺の部屋の匂い——料理の残り香と、出汁の匂いと、あとは——シャンプーの匂い。彼女と同じシャンプーの匂い。


「……シャンプー」


「ん?」


「……同じ、ですね」


 気づいていた。鈴音も、同じ匂いであることに気づいていた。


「……偶然、です」


「だろうな」


「……はい。偶然、です」


 二回言った。偶然を二回言う必要があったのか。


 鈴音はパーカーを丁寧に畳んで、自分の膝の上に置いた。手が少し震えている。


 早くこの話題を終わらせたい。俺も鈴音も。


「朝飯、何にする?」


「……和食、がいいです」


「了解」


 台所に立つ。背中に——鈴音の視線を感じたが、振り向かなかった。


 同じシャンプーの匂いが、六畳間を満たしていた。


 ◇


 その週の水曜日。


 大学からの帰り道、ドラッグストアに寄った。シャンプーを買い足すためだ。


 いつもの棚。いつもの銘柄。手に取ろうとして——


 止めた。


 隣の棚に、少しだけ値段の高いシャンプーがあった。柑橘系の爽やかな香り。鈴音と被る心配がないやつ。


 一秒迷って、結局いつもの安いほうをカゴに入れた。


 なぜ変えなかったのか——自分でも、よくわからなかった。


 いや、わかっている。わかっているから、考えないことにした。

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