第3話 あの日の朝
朝の空気は、少し冷たかった。
自転車を漕ぎながら、亮平はぼんやりと前を見つめる。
見慣れているはずの通学路。
けれど、もう二度と通ることはないと思っていた景色だった。
古びたクリーニング屋。
朝からシャッターを開けている八百屋。
制服姿の学生たち。
全部、懐かしい。
「……マジで戻ってんのかよ」
小さく呟く。
何度も頬をつねった。
スマホの日付も確認した。
何をどう考えても、
ここは高校時代だった。
夢にしては、やけにリアルすぎる。
頭の中はずっと混乱したままだった。
なぜ自分は高校時代に戻ったのか。
なぜ、今なのか。
そして――。
「理子……」
名前を口にすると、胸の奥が少しだけ痛んだ。
木下理子。
高校時代、いつも独りだった女の子。
クラスメイトだったのに、
まともに話した記憶はほとんどない。
それなのに、
どうしてあんなに気になっていたのか。
今でも分からない。
ペダルを踏み込む。
もし本当に、
もう一度やり直せるなら。
今度こそ、
後悔したくない。
……でも、どうすればいい?
話しかければいいのか。
助けるって、何をすればいいんだ。
そもそも、
理子は何に苦しんでいたんだ。
亮平は、
彼女のことをほとんど知らない。
ただ、
いつも独りだったことだけしか。
学校が見えてくる。
校門前には、
懐かしい制服姿の生徒たちが集まっていた。
亮平は、自転車を止める。
胸が妙にうるさい。
これは夢なのか。
現実なのか。
まだ分からない。
けれど。
もし本当に、
もう一度やり直せるなら――。
ざわざわとした廊下。
懐かしい声。
懐かしい廊下。
騒がしい朝。
全部、記憶のままだ。
心臓だけが落ち着かない。
教室の前で立ち止まる。
そして、ゆっくりとドアを開けた。
「……っ」
反射的に、窓際の一番後ろを見る。
けれど。
そこに理子はいなかった。
見たこともない男子生徒が座っていた。
亮平の背筋が凍る。
「……なんで」
教室を見回す。
知らない顔ばかりだった。
誰一人として、記憶と一致しない。
女子たちが、不思議そうに亮平を見る。
「誰?」
「先輩?」
そんな声が聞こえる。
亮平は呼吸が浅くなるのを感じた。
まさか。
戻ってきたんじゃなかったのか。
この世界でも、
理子はもう――。
その時。
「おい亮平、お前なに一年の教室入ってんだよ」
後ろから声が飛んだ。
振り返ると、
先生が呆れた顔で立っていた。
「寝ぼけすぎだろ」
「……は?」
「お前んとこ三階だって」
そこで初めて、
教室のプレートが目に入る。
『1年C組』
亮平は数秒固まったあと、
深く息を吐いた。
「……なんだよ、それ」
膝から力が抜けそうになる。
先生は呆れた顔で笑う。
「朝からボケすぎ大丈夫か?」
亮平は苦笑しながらも、
胸の鼓動が収まらなかった。
――まだ、生きている。
理子はまだ、
きっとこの学校にいる。
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