第14話 新しい絆の呼び名

3月の柔らかな陽光が北浦の街を包み始め、長い冬の終わりを告げる頃。


一輝を中心として集まるいつもの仲間たちに、最高に明るいニュースが飛び込んできた。


美希、桜良、綾美。陸上部の女子三人組が見事、志望大学への合格を勝ち取ったのだ。


日曜日の昼下がり、お祝い会場となった「カフェ・トマト」は、今日ばかりは「焼肉・トマト」へと変貌へんぼうを遂げていた。


ジュージューという肉の焼ける音と、芳醇なタレの香りが店内に満ちている。


「合格おめでとう! 乾杯!」  


一輝の音頭で、忘年会を共にした時と同じ顔ぶれが、ジョッキやグラスを威勢よく掲げた。


しかし、乾杯の余韻も束の間、主役の一人である美希が、隣に座る澪にジリジリと詰め寄った。


「……ねえ、葉山さん。言いたいことがあるんですけど」


「えっ、なあに、美希ちゃん?」


「うちらが受験勉強で必死に籠もってる間に……あんちゃんのこと、ちゃっかり独り占めして、さらっていったでしょ! 私、あんちゃんと涼風フィットで知り合った時から、ずっと狙ってたんですよ!」


美希の直球に、桜良と綾美も身を乗り出して、澪を包囲するように加勢する。


「そうですよ! 気づいたら山之辺やまのべで同棲スタートなんて、抜け駆けもいいとこです! 私だって、あんちゃんにリハビリ……じゃなくて、マッサージくらいしてあげたかったのに!」


「うちらの知らないところで、あんちゃんを攻略するなんてフェアじゃないですよ! 葉山さん、おっとりしてるフリして、実は一番の手練れなんじゃないですか?」


「えっ! いや、そんな、攻略だなんて……」  


三方向からの猛攻に、顔を真っ赤にして狼狽うろたえる澪。


見かねた一輝が慌てて割って入った。


「おいおい、三人とも。今日は合格祝いなんだから、そのへんにしてやってくれよ。澪が困ってるだろ」


「あんちゃんは黙ってて! 今は女の戦いの最中なんだから!」


「そうですよ、男の人は引っ込んでてください!」  


三人娘の凄まじい勢いに、一輝はあえなく撃沈。


優実が「はいはい、そこまで。澪さんが本当に泣いちゃうわよ」と苦笑いしながら制止に入った。


すると美希が、ぷいっとわざとらしく頬を膨らませた後、ふっと表情を緩めた。


「……でも。相手が葉山さんなら、うちらも納得です。あんちゃんのことを一番近くで支えてきたのは、葉山さんだって知ってますから」


桜良と綾美も、今までの攻勢が嘘のように、にこやかに頷く。


「そう。だから、今日は文句を言いに来たんじゃなくて……ケジメをつけに来たんです」


三人は顔を見合わせると、晴れやかな笑顔で声を揃えて言った。


「一輝さんはうちらにとって、いつまでも自慢の『あんちゃん』。だから、そのパートナーである葉山さんのことを、これからはこう呼びます」


「……おめでとうございます、澪姉みおねえ!」


「えっ……澪姉?」  


予想外の呼び名に、澪の瞳が潤んだ。


「葉山さん」という他人行儀な呼び方ではなく、家族として、一輝の隣にいるべき人として心から迎え入れられた証。


「うん……。ありがとう、みんな。よろしくね、美希ちゃん、桜良ちゃん、綾美ちゃん」


照れくさそうに、けれど誇らしげに笑う「澪姉」と、それを隣で優しく見守る一輝。  


焼肉の煙の向こう側で、北浦の新しい「家族」の形が、温かく結ばれていくのだった。


騒ぎがおさまると、優実が、「一輝さん、三人に一言お願いします」と言った。


焼肉の煙がたなびく中、一輝はゆっくりとグラスをテーブルに置いた。


これから遠く離れた街へと羽ばたいていく三人の顔を、惜別の情を込めて真っ直ぐに見つめる。


少し照れくさそうに、しかしどこか引き締まった表情で、彼は小さく一つ呼吸を置き、祝福の言葉を紡ぎ出し始めた。


「美希、桜良、綾美。合格、本当におめでとう。来月から君たちの賑やかな声が聞けなくなると思うと寂しいけれど……。大学では勉学はもちろん、陸上も全力で励んでほしい。そして、北浦では経験できないことを、外の世界でたくさん経験してくるんだ。いつか機会があれば、その経験をこの街の未来に活かしてくれたら……俺はそれ以上に嬉しいことはないよ」


一輝の、まるで親や兄のような慈しみに満ちた言葉に、三人は瞳を輝かせ、力強く言葉を返した。


「任せてください、あんちゃん! どこに行っても、ここで教わった根性で走り抜いてきます!」  


美希が拳を握れば、桜良も「大学の記録、全部塗り替える勢いで頑張るから見ててね!」と胸を張る。


綾美も「北浦の代表として、誰よりも高く跳んできます!」と、自慢の跳躍を彷彿とさせる笑顔で続いた。


一輝は、一人ひとりの顔を慈しむように見つめ、深く頷いた。


若者たちの決意に満ちた言葉が、自らの贈った言葉と見事に共鳴している。


周囲がニヤニヤと自分たちを見守っていることにも気づかず、一輝はしばし、自らのスピーチが生み出したと思い込んでいる感動的な余韻に酔いしれながら、最高に満足げな笑みを返した。


しかし、その絶好調な空気を美希が唐突にぶち破った。


「……けど、あんちゃん。うちら、県内の大学なんだけど」


「えっ?」  


一輝の動きが止まった。


続いて、桜良がいたずらっぽく笑いながら追い打ちをかける。


「そうですよ。だから、そんなに遠くないし」


「週末には北浦に帰ってきて、ここでコーヒー飲んでますから!」と、綾美も声を弾ませた。


「……えっ? 遠くに行くんじゃないのか? 東京とか、大阪とか……」  


呆然とする一輝をよそに、店内は一気に爆笑の渦に包まれた。


カウンターの端でビールを飲んでいた戸田が、腹を抱えて笑い出した。


「ははは! さすがの一輝くんも、今回は綺麗にはめられたな! 全員知ってたぞ、県内の大学だってことは!」


「みんな知ってたのか……!?」  


驚愕する一輝に、美希がニヤリと笑って言った。


「澪姉! 作戦、大成功だったね!」


一輝はハッとして隣を見た。


そこには数日前、山之辺やまのべの自宅で「三人が旅立つ門出だから、パーティーをしっかり盛り上げないとね」と、殊勝な顔をして、サプライズで渡すお祝いの品を一生懸命に選んでいた澪の姿があった。


「……澪。グルだったのか?」  


一輝のジト目を受け、澪は「あっ……」と顔をこわばらせ、泳ぐような視線で口ごもった。


「だ、だって……美希ちゃんたちが、合格祝いにあんちゃんを担ぐのを手伝ってって……どうしてもって言うから……」


そこへ、やり取りをニヤニヤしながら見ていた美月が、追い打ちをかけるように二人を茶化した。


「さすがの瀬戸一輝も、先輩が敵に回ると形無しですね~!」


「……やられたよ」  


一輝はついに力なく苦笑いをこぼした。


「門出のスピーチの感動を返してほしいところだけど……まあ、これからも週末にこの賑やかな顔が見れるっていうなら、俺にとってはそれが一番の安心材料かな」


一輝の降参宣言に、店内は再び大きな歓声に包まれた。


春の足音が聞こえる北浦で、一輝と「澪姉」、そして賑やかな家族たちの絆は、さらに深く、面白く結ばれていくのだった。

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