第一章

第9話


「――レイア!」


ジルが焦りを滲ませて私の名を呼ぶ。私はと言えば気配無く現れたその男性を肩越しに見上げるだけで精一杯だった。頭上に掲げたまま掴まれた手は、少し力を入れたくらいでは振り払えそうになかった。


(銀の髪…。右目のモノクルが邪魔でよく見えないけど…さっき一瞬目が合った時は何の感情も見て取れなかった。まるで…)


そう、私が処刑されるその瞬間、何の興味も無いと言わんばかりに背を向けた、教皇エスティラが最後に見せた瞳とよく似ていた。

例えそのまま私が死んでも何も困らない、興味が無い。そういう眼差し。


「お前、その手を離せ。突然レディに触れるなんてマナーのなってない野郎だ」

(初対面でいきなり人の腰を抱いてきた人が…なんか正論っぽいことを言ってる)


ジルが護身用のナイフに手を掛けながら言う。が、私が見知らぬ男の盾になってしまうような立ち位置にいるせいで、それは虚しい脅しにしかなっていなかった。

銀の髪の男は先程と同様、何も揺らがない声を放つ。急ぐことは何も無いと言わんばかりの緩慢さで。


「大人しくしろ。まだ何もしていないだろう」

「何かされてから言ったんじゃ遅いだろうが!」

(…ごもっとも)


頭上に飛び交う騒がしい声、一方は独り言のように平坦な声を聞いて少し冷静になると、震え出しそうな声を努めて真っ直ぐに口を開いた。


「貴方は、迷い人ではないですよね。誰ですか?もしかして……」

「大賢者本人、とは言わせないぞ。賢者は百年前の人物だ。エルフでもねえ限りその姿はないだろ。そしてお前にその特徴は無い」

「…その通り。僕はエルフではない。正真正銘、人間だ。但し――」


ちら、と彼の耳を見遣る。千年の時を生きると言われるエルフの一番分かりやすい特徴は長く尖った耳だが、言葉の通りその特徴は見当たらなかった。銀のカフスが嵌められたその耳は私と同じ、人のそれだった。


見上げていた視線が彼の見下ろした瞳とかち合う。咄嗟に理由も無く慌てて顔を伏せる。この森と同じように色の無い無機質な瞳が、隠しておかなければならないことまで視線だけで暴いてしまいそうな気がしたから。


半端に言葉を区切ったその男性が、ようやく私の腕を離す。彼が大賢者である可能性が出た以上、私達が逃げない事を見抜いたようなタイミングだった。


「…但し、百年前の人間ではある。ようこそ、大賢者の棲家へ。此処を目指していたんだろう」


歓迎しているかのような言葉とは裏腹に声は相変わらず冷たく平坦で。彼がすぐ側の枯れたような大木を撫でると、魔法だろうか一瞬の間にその幹には浮かぶように扉が現れ、彼はゆったりとした足取りでそれを開く。そして扉が閉じる前に、ぽつりと言葉を続ける。


「入るのなら急ぐんだな。この扉は一度閉まるとお前達ではもう開けられない。もっとも、命尽きるまで人の家の側で騒がしく彷徨っていたいというのなら、止めはしないが――」

「!!…ま、待って!入る!入ります!閉めないで!」

「言うタイミングおかしいだろお前!」


まさに扉が閉まりかけるその瞬間、私とジルは慌てて走り出し、なんとか指を滑り込ませることで再び扉を開くことに成功したのだった。


転がるようにくぐった扉の先は、なんというか「家」だった。大木の内側をそのままくり抜いて空間を作ったかのような、そんな部屋が蟻の巣のように幾つかの廊下を隔てて繋がっていた。そしてその床には紙。紙、紙、紙――そして割れたインク瓶と飛び散る漆黒のインク。


「汚っ」

「ダ、ダメよジル、そうやって本当のことを言っては…」

「…………」


騒々しい、と言いたげにその"賢者"は紙を踏み付けてテーブル脇の椅子に腰を下ろす。私は文字通り足の踏み場のない室内で立ち尽くしていたが、ジルは構わずに歩いて壁際の…恐らく棚だったが今は雑に本が詰め込まれて、容量オーバーで中身を溢れさせているそれに腰掛けて室内を見回した。


「まさか死の森に本当に人が住んでいたとはね。お前が件の大賢者かどうかはともかく、この家も家具も新しい物じゃない。軽く見積もっても数十年は経っていそうだな。さて……」


ジルが賢者を見据える。敵意も警戒も隠していない鋭い視線だったが賢者は気にも留めていない風にテーブルの上に置いてあった魔石を手に取り、しかし興味も無さげに取り眺めている。

いざジルが情報を求め話を切り出そうとする瞬間、賢者が視線すらこちらに向けないまま先に口を開いた。


「丁寧に自己紹介をしてやる必要は無いだろう……招かれざる客。お前が持っている情報があると言うなら、それが真実かどうかだけは教えてやろう。此処に来た理由も聞いてやる。そして……僕の興味が無くなったらその扉から出ていけ」

「そんな!」


思わず声を上げた。だって外は"死の世界"だ。方角も時間も分からず、果てるまで迷い続けるしかない、惑わしの森。

だが私と視線の合ったジルは、私を制止するように緩く首を横に振ってから視線を賢者へと向ける。


「お前の名前は"オズ"。…ラストネームは不明だ。今の時代には伝わっていない」


だろうな、とでも言うように賢者は…"オズ"と呼ばれた彼は緩慢な瞬きを一つ挟む。相変わらず無表情で、そのくせどこか酷く退屈そうな眼差しで、手元の魔石を転がしている。


「100年前、かの大厄災の責任を問われた14の大賢者は当時の王から処刑を命じられた。内13人は処刑されたが、たった一人そこから逃げ、この森に隠れ住んだ奴がいたという。それがお前だ。だが――」


緩やかな相槌。隠しもしない、肯定だろうか。彼の決して誇れはしないであろう過去を明かされてなおそこに激昂の色は微塵も無かった。

ジルは一度言葉を区切り雑に髪を掻いてから再び視線を賢者へ向ける。


「だがその容姿は何だ?俺は賢者が生きているとしてもてっきりヨボヨボの爺が出てくるモンだと思っていたよ。…けどお前はどうやったって、とてもそうは見えない。下手すりゃ俺より年下だろう」

「25だ、肉体の年齢は」

「…なワケあるか!であれば100年前に――」


くく、と喉奥で笑いを籠もらせる渇いた声。それは賢者が初めて見せた笑顔だった。笑顔と呼ぶにはあまりに昏く嘲笑的なものではあったが。


「本当だ。25の時、僕は国を出た。他の賢者のように大人しく跪き首を差し出すなど出来るものか。僕はこの森を我が領域とし、フラフラと立ち入る間抜け共が二度と抜け出せないよう呪い(まじない)を掛けた…」


ちら、とこちらを流し見ながら何か言いたげに一度口を閉じる。その『間抜け』の内に私達が含まれていると伝えたいのだろう。確かに大賢者と呼ばれる程の力の持ち主であれば、森一つをそんな風に作り変えることも出来てしまうのかもしれないと、その嘲りにざわめく胸の内を落ち着かせながらそんな事を思った。

大賢者オズは気が向いたように話を続ける。先程の一瞬の笑みはもう影も無く、また世の全てに興味が無いような表情に戻っていた。


「とはいえ、引きこもっていても仕方が無い。僕の成すべきは、僕の興味はあの大厄災が何だったのか……それを暴くために注がれた。魔王といえど、あんな大厄災を引き起こすことが可能なら、人間はとうに滅んでいる。なぜ、あの時だけ――。だが、それを解き明かすには、人の身では時間が足りない。ゆえに作り上げ、僕はそこに至った」


オズが指先で遊んでいた魔石をテーブルに置く。そして私達を真っ直ぐ見据える。右目はモノクルに阻まれ真っ直ぐ見えないが、色を無くした宝石のような灰の左目は射抜くように此方を見ていた。まるで私達が彼の話をどこまで信じているのか、確かめようとするかのように。


「不老の魔法。――文字通り、肉体が歳を取らなくなる魔法だ」


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