【短編集】日本昔話 in 現代
のら
【いかがなものかと】鶴の恩返し
趣味の市民農園でトマトを収穫した帰り、脚を怪我した鶴を助けた。
白くて大きな鳥だった。
田んぼの端でうずくまり、片足を庇うようにして動けなくなっていた。最初は置物かと思った。だが、近づくと細い首をもたげ、黒い瞳でこちらを見た。
俺は三十歳の会社員である。
平日は都内の事務所でパソコンを叩き、休日は郊外の市民農園でトマトを育てている。特別に動物愛護精神が強いわけではない。だが、目の前で怪我をしている鳥を見て、何もしないほど人間が終わっているつもりもなかった。
近くの動物病院に電話をし、野鳥を診てくれる施設を紹介してもらい、段ボールとタオルでどうにか保護した。
鶴は最後まで暴れなかった。
俺の腕の中で、ただじっと、こちらを見ていた。
その目が、妙に人間臭かったのを覚えている。
だからといって、その日の晩に女が来るとは思わないだろう。
――いや。
正確に言うと、まったく思わないわけではなかった。
昔話というものがある。
日本人であれば、動物を助けた時点で、脳のどこかが勝手に童話を再生する。
まさか。
いやいや。
そんなわけがない。
でも、万が一。
そういう、ふざけた可能性が、頭の片隅に一ミリくらい居座る。
そしてその一ミリは、その日の夜八時十三分、俺の部屋のインターホンが鳴った瞬間、急激に存在感を増した。
モニターには、綺麗な女が映っていた。
年齢は二十歳なかばくらいだろうか。
白いワンピースに、長い黒髪。肌はやけに白く、背筋がすっと伸びている。目元は涼しげで、どこか浮世離れしていた。
その女が、カメラに向かって丁寧に頭を下げた。
『すみません。道に迷ってしまって』
俺は無言でモニターを見た。
『今夜だけでいいので、泊めていただけませんか』
鶴だ。
どう考えても鶴である。
俺は馬鹿ではない。
昼間、鶴を助けた。
夜、綺麗な女が来た。
泊めろと言っている。
これで「おやおや、お困りのようですね、どうぞ中へ」とはならない。
「コイツ、絶対に鶴やろ」となる。
普通になる。
むしろ、ならない方がどうかしている。
ただ問題は、相手が鶴かどうかではなかった。
鶴だったとして、どうすればいいのかが分からない。
「すみません、無理です」
俺はインターホン越しに答えた。
『なぜですか』
「怖いからです」
『私は怖い者ではありません』
「あなたが怖いんじゃなくて、あなたの後ろにいるかもしれない怖いお兄さんが怖いんです」
『怖いお兄さん?』
「美人局という言葉をご存じですか」
女は少し黙った。
『存じません』
「知らないなら今後も知らないままでいてください」
『では、泊めていただけますか』
「では、の意味が分からないです」
そこから小一時間、インターホン越しの泊める泊めないの論争が続いた。
「身分証はありますか」
『ありません』
「財布は」
『ありません』
「スマホは」
『ありません』
「住所は」
『……遠いところです』
「もはや、鶴じゃん」
『違います』
「いや、もう状況証拠が鶴すぎる」
『人を鳥扱いするのは失礼ではありませんか』
「鳥が人の家に泊めろと言うのも、まあまあ失礼だと思います」
途中で、隣の部屋から壁を叩かれた。
俺は負けた。
女にではない。
近所の目に負けた。
「今日だけですよ」
ドアチェーンをかけたまま玄関を、そろりと開けると、女は深々と頭を下げた。
「ありがとうございます」
声は綺麗だった。
顔も綺麗だった。
こんな状況でなければ、俺も少しくらい浮かれたかもしれない。
多少の下心は確かにないとは言えない。
だが、それ以上に怖いお兄さん登場の未来がチラついた。
あたりを入念に見回し、怖いお兄さん、黒塗りのやべえ車が無いかチェックする。
もしもの場合の逃走ルートを想定しつつ、 俺は空き部屋に布団を敷き、女を案内した。
「本当に今日だけですからね」
「はい」
「あと、何かあったら警察呼びますから」
「はい」
「それと、部屋の中で変なことしないでください」
「……」
「なんでそこで黙るんですか」
女は少し目を逸らした。
「決して、中を見ないでください」
来た。
俺は天井を仰いだ。
来てしまった。
昔話のやつである。
「いや、見ませんけど」
「……見ないのですか?」
「見ませんよ。怖いから」
「少しは気にならないのですか」
「気になりますよ。でも、見た瞬間にお約束が起きそうで、それはそれで嫌です」
「お約束?」
「昔話って、だいたい見るなと言われたものを見ると人生が終わるんです」
女は複雑そうな顔をした。
「あなたは、慎重なのですね」
「現代人なので」
そうして女は空き部屋に入った。
襖が閉まって、三日。
女はまだ出てこない。
未だ、俺が貸した空き部屋に、絶賛たてこもり中である。
ほらね、今日だけって言ったのに。
とはいえ、中で餓死されても困る。
仕方なく、最低限の対応だけはした。
食事は部屋の前に置けば消える。
水も減る。
トイレもどうやら深夜に使っている。
ただし、顔は見せない。
これ、完全に、引きこもり息子をフォローするオカンじゃんか。
さて、どうしたものか。
泊める、泊めないの論争は、いつの間にか、出て行く、出て行かないの論争へと発展していた。
進化というより、悪化である。
「出て行ってください」
俺は襖の前で正座した。
中から女の声が返ってくる。
「まだ出て行けません」
「なぜですか」
「まだ恩を返していません」
「恩は謹んで辞退します」
「辞退されると困ります」
「こっちも居座られると困ります」
「私にも面子があります」
「鶴の?」
「……人としての」
「今、間がありましたよね」
「ありません」
「鶴ですよね」
「違います」
「俺が助けた鶴ですよね」
「は? 何言ってんのか意味わかりませーん。 全然、違いまーす」
ちょっとキレてる?
しかも、恩を返したいって言い切っちゃってる時点で、『鶴確』じゃんか。
「昨日の晩飯、焼き魚の骨をやけに綺麗に突いてましたよね。ココココって何かを突く音がしました」
「魚が好きな人間もいます。箸を連打する人もいます」
「米粒も一粒ずつ突いてましたよね」
「箸が苦手な人間もいます」
「明け方、部屋からクルルって聞こえましたけど」
「寝言です」
「鶴の?」
「人間のです」
隠す気があるのかないのか分からない。
いや、あるのだろう。
ただ、下手なのだ。
◇
俺は会社に行っても仕事が手につかなかった。
昼休み、社員食堂の隅でスマホを開き、検索窓に文字を打ち込む。
『見知らぬ女 部屋から出てこない』
検索結果が最悪だった。
事件、監禁、相談窓口、弁護士、警察。
怖いと思ったら迷わず相談。
なんて言う?
鶴と思しき女に居座られて困ってます。か?
間違いなく、薬物検査コースまっしぐらだ。
次に検索した。
『居候 追い出す 合法』
大家、管理会社、同居人トラブル、退去勧告。
かなり現実的になった。
だが、説明できない。
知らない女が空き部屋から出てこないんです、と管理会社に言った瞬間、俺の方が追い出される可能性がある。
そもそも、この部屋は単身用物件である。
まずい。
彼女を追い出す前に、俺が追い出される。
俺はさらに検索した。
『鶴 恩返し 断り方』
検索結果は昔話の解説ばかりだった。
教訓。
あらすじ。
紙芝居。
俺が欲しいのは情緒ではない。
実務である。
「先輩、何調べてるんですか」
後輩の田中が、トレーを持って向かいに座った。
俺は慌ててスマホを伏せた。
「いや、ちょっと鳥害について」
「鳥害で不法占拠って出ます?」
「最近の鳥は厄介なんだよ」
「市民農園ですか?」
「まあ、そんな感じ」
「鶴でも来ました?」
俺は味噌汁を吹きそうになった。
「なんで鶴限定なんだよ」
「いや、先輩のスマホに『鶴 恩返し』って見えたんで」
「見るな」
「見てはいけないやつですか?」
「お前まで昔話に寄せるな」
その日はほとんど仕事にならなかった。
◇
帰宅して、まず試したのは退去勧告書作戦だった。
ネットで見た文面を参考に、会社でこっそり印刷してきた。
『退去勧告書
貴殿は令和○年○月○日より、当方所有の居室に滞在しており……』
俺はそれを襖の下から差し込んだ。
「読んでください」
しばらく沈黙があった。
やがて、紙が戻ってきた。
勧告書のあちらこちらに赤ペンで添削されていた。
「無断ではありません。あなたは最後に『今日だけなら』と言いました」
「当方所有ではなく賃貸では?」
「貴殿という呼び方は冷たいと思います」
「添削すんな」
「内容に不備があったので」
「不法占拠者が法的文書の精度を指摘するな」
「不法ではありません」
「じゃあなんなんですか」
「恩返しです」
「恩返しを盾に居座るな」
◇
次に兵糧攻めを考えた。
食事を出さなければ、さすがに出てくるだろう。
そうしたら、背中を押しまくって、玄関まで。
そのままグッバイ・フォーエバーだ。
そう思って、夕飯を自分の分だけ作った。
豚肉とナスの味噌炒め。
それを食べていると、空き部屋の方から小さく音がした。
くぅ。
腹の音だった。
俺は箸を止めた。
くぅ。
二回目。
かなりはっきり聞こえた。
「……」
良心の呵責にちょっと負けた俺は小皿に味噌炒めを取り分け、炊飯器から飯をよそい、部屋の前に置いた。
「食べません」
中から声がした。
「まだ何も言ってないです」
「そんないじわるするなら、食べません」
「あ、いや、そういうわけじゃないですけど」
「もういりません。食べません」
「じゃあ下げます」
「……」
数秒後。
「少しなら」
「食べるんじゃねえか」
皿は十分後に空になって戻ってきた。
兵糧攻めは俺の良心により失敗した。
◇
翌日は防犯ブザー作戦を試した。
うるさくて、ここには居られない作戦だ。
「出てこないなら爆音鳴らしますよ」
「どうぞ」
「本当に鳴らしますよ」
「はい」
「うるさいですよ」
「承知しています」
ピィィィィィィィィ!
鳴らした瞬間、隣の壁がドンと鳴った。
俺は即座に止めた。
「失敗しましたね」
中から静かな声がした。
「お前のせいだろ」
「私は何もしていません」
「だから困ってるんだよ」
◇
さらに翌日、家賃請求作戦を決行した。
「住むなら家賃を払ってください」
「家賃」
「そうです。世の中、生きていくにはお金がかかるんです」
「お金はありません」
「でしょうね」
「ですが、代わりならあります」
襖の下から、白い羽根が一枚出てきた。
光沢のある、美しい羽根だった。
「これで」
「通貨じゃない」
「高級です」
「価値の問題じゃない。俺は羽根で家賃を払えない」
「では、二枚」
「枚数の問題でもない」
俺は羽根をつまみ上げた。
手触りは驚くほど滑らかだった。
柔らかく、軽く、妙に温かい。
こちらも必死とはいえ、相手は恩返しをしようとしているだけなのかもしれない。
方法が現代社会に致命的に合っていないだけで、悪意があるわけではない。
だが、こちらにも生活がある。
朝起きて仕事に行き、帰ってきたら見知らぬ鶴女が空き部屋にこもっている生活は、精神にくる。
しかも、俺は部屋の中を絶対に見ないと決めていた。
昔話では、見てはいけないと言われた男が見てしまう。
そこで何かしらの悲劇が起きる。
だが、現代の俺は違う。
俺は見ない。
絶対に見ない。
ここまで居座られると、見たから出ていく説はかなり薄い。
他の悲劇。
そう、怖いお兄さん登場説が一番有り得る。
俺はそう判断した。
好奇心より、リスク管理である。
部屋の中に何があろうと、見た瞬間に、身体および精神的恐怖、または不利な証拠が増える気がする。
裁判になった時に困る。
いや、何の裁判だ。
そんなある日の深夜。
空き部屋から、かすかな音が聞こえた。
カタン。
コトン。
しゅる、しゅる。
何かを引き出すような、糸が擦れるような音。
俺は布団の中で目を開けた。
機を織っているのだろう。
たぶん。
いや、ほぼ確実に。
だが、我慢した。
見ない。
俺は見ないぞ。
昔話の男とは違う。
現代人の危機管理能力を舐めるな。
翌朝、部屋の前にメモが置かれていた。
『トマト、おいしかったです』
その横に、小さな白い羽根が添えられていた。
俺は少し黙った。
市民農園で採れたトマトを、女へ出したものだった。
小ぶりだが、甘みはある。
自分ではなかなか良くできたと思っていた。
「……味は分かるんだな」
襖の向こうで、少しだけ衣擦れの音がした。
「あなたが育てたものですから」
「そういう言い方をされると、追い出しにくくなるんですが」
「では、追い出さないでください」
「……そういうところだぞ」
それから数日も。
俺と鶴女の生活は、奇妙な均衡に入った。
朝、俺は仕事へ行く。
昼、会社で退去方法を検索する。
夜、帰ってきて食事を作る。
部屋の前に一人分置く。
空になる。
扉越しに出て行けと言う。
出て行きませんと返ってくる。
たまに羽根が出てくる。
俺はそれを小瓶に入れて保管する。
何をしているんだ、俺は。
ある晩、俺はついに言った。
「もういいです」
襖の向こうが静かになった。
「恩返しとか、もういいです。俺は十分です。だから、出てきてください」
「まだです」
「まだって何がですか」
「まだ、完成していません」
「何が」
「恩返しが」
「だから、恩は辞退すると何度も」
「私が困ります」
「俺も困ってます」
「あなたは助けてくれました」
「怪我した鳥を病院に連れて行っただけです」
「それだけではありません」
女の声が、ほんの少し柔らかくなった。
「あなたは、私を見捨てませんでした」
俺は返す言葉に詰まった。
「だから、返さなければなりません」
「……返さないとどうなるんですか」
「私が、私を許せません」
その言い方が、妙に真面目だった。
俺は頭をかいた。
「じゃあ、せめて期限を言ってください」
「明日には」
「本当ですか」
「本当です」
「明日、出て行くんですね」
「完成すれば」
「不穏な条件を足すな」
翌日の夜。
仕事を終えて帰宅すると、部屋の空気がいつもと違っていた。
玄関を開けた瞬間、かすかに甘いような、乾いた草のような匂いがした。
空き部屋の前に立つ。
中は静かだった。
「帰りました」
いつものように声をかける。
返事はない。
「大丈夫ですか」
返事はない。
まさか。
俺の頭に嫌な想像がよぎった。
俺は襖に手をかけた。
見てはいけない。
分かっている。
だが、もし倒れていたら。
もし何かあったら。
そう思った瞬間、襖が内側から開いた。
女が立っていた。
初めて見た時よりも、少し痩せていた。
顔色は悪い。
長い黒髪も少し乱れている。
だが、その表情はどこか晴れやかだった。
両手には、白く輝く反物が抱えられていた。
「できました」
俺は息を呑んだ。
それは、素人目にも美しいものだった。
蛍光灯の光を受けて、布の表面が淡くきらめいている。
真っ白ではない。
月の光を薄く溶かしたような白。
触れてもいないのに、軽さと柔らかさが分かる。
俺は一瞬、言葉を失った。
本当に。
本当に恩返しだったのか。
疑って悪かったのかもしれない。
そう思った。
思ってしまったのだ。
女は反物を差し出した。
「これを売ってください」
「……俺が?」
「はい」
「俺が、これを?」
「はい」
「売る?」
「はい」
感動が一瞬で現実に戻された。
「えーと……。どこで?」
女は首を傾げた。
「どこで、とは」
「いや、どこで売るんですか、これ」
「それは……」
女は反物を見た。
俺も反物を見た。
二人で黙った。
そう。
ここで重大な問題が発生した。
反物を渡されたところで、売り方が分からない。
俺は市民農園でトマトを作る、普通の三十歳会社員である。
反物の相場など知らない。
着物業界に知り合いもいない。
買取店に持って行けばいいのか。
着物屋は買い取りをやっているのか。
質屋か。
骨董屋か。
それともメルカリか。
「メルカリ……ですかね」
「めるかり」
「個人売買アプリです」
「そこで売れるのですか」
「たぶん」
「では、お願いします」
「ただし値引き交渉されます」
「値引き?」
「たとえば五万円で出したら、『三千円になりませんか?』とか来ます」
「なぜ?」
「俺にも分かりません」
「なぜ、私が身を削って織ったものを三千円に?」
「だから俺に聞かないでください。『妻の誕生日に送りたいので、五百円にしてください』なんてのもあります。応じないと悪い評価されたり」
「なんて理不尽な。人間は怖いですね」
「今さらですか」
俺はスマホを出して検索した。
『反物 売る どこ』
『反物 買取 相場』
『未仕立て 着物 高く売る方法』
『反物 メルカリ 発送方法』
『鶴の羽根 織物 査定』
最後の検索だけ明らかにおかしい。
だが、もう俺の人生はだいぶおかしい。
女も隣で画面を覗き込んでいた。
「反物のままだと、買う人が限られるみたいですね」
「そうなのですか」
「着物に仕立てた方が高く売れる場合もある、と」
「着物」
「反物を切って縫うやつです」
「できますか?」
「俺ですか? 当然できません」
「私もできません」
「恩返しの工程、織るところまでしか実装されてないんですか」
「昔は、それで十分だったのです」
「現代は出口戦略が大事なんですよ」
「出口戦略」
「織る前に考えてください」
女は少しだけむっとした顔をした。
「あなたが助ける前に、売り方まで指定してくれればよかったのです」
「怪我した鶴に『将来的に反物を返してくれる場合、換金可能な形でお願いします』って言えるわけないでしょう」
「では、仕立てましょう」
「誰が」
「私たちで」
「私たちで?」
女は真剣な顔で頷いた。
「着物にした方が高く売れるのでしょう」
「いや、そういう情報もあるってだけで」
「ならば、着物にしましょう」
「待ってください。俺は裁縫なんてボタン付けくらいしかできません」
「私は織れます」
「俺は縫えるとは言ってないです」
「今から覚えましょう」
「現代への適応力が変な方向に高い」
女は俺のスマホを見つめた。
「検索してください」
「何を」
「着物、作り方、初心者」
俺は頭を抱えた。
泊める、泊めないの論争は、出て行く、出て行かないの論争になった。
出て行く、出て行かないの論争は、恩返しを受け取る、受け取らないの論争になった。
そして今。
仕立てる、仕立てないの論争へと発展している。
「完成したら出て行くんですよね」
「もちろんです」
「本当ですね」
「はい」
「着物が完成したら」
「はい」
「売れたら」
「はい」
「値引き交渉が来たら?」
「戦います」
「戦うんだ」
「恩返しですから」
女は胸を張った。
そこでふと気づいた。
女の手足は、妙につるつるだった。
腕も、脚も、エステに通ったレベルでつるっつるだ。
鶴だけに。
なんて、言うてる場合か。
「何か言いましたか」
「あ、いえ。」
俺はスマホの検索窓に文字を打ち込んだ。
『着物 作り方 初心者』
隣で、鶴女が真剣に画面を覗き込む。
鶴の恩返し。
美しい話だとは思う。
助けた相手が恩を返そうとしてくれる。
それ自体は、ありがたい。
ありがたいのだが。
人の家に押しかけ、空き部屋に立てこもり、反物を織り、これを売れと言い、売り方が分からないとなれば一緒に着物作りを検索し始める。
現代日本における恩返しとして、これは果たして正しいのか。
俺は検索結果の一番上をタップしながら、深く息を吐いた。
鶴の恩返し。
いかがなものかと思う。
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