第8話 グリーン育成割引と、魔力トマト

 翌朝。


 《旧・黒竜の奈落》地下二階。


 そこには、昨日まで存在しなかった光景が広がっていた。


「……いや、早すぎない?」


 白鳥零は思わず呟いた。


「エルフを甘く見すぎです」


 そう返したのは、薄緑色のローブ姿のフィオナだった。


 昨日入居したばかりだというのに、彼女はすでに地下水脈周辺へ大量の植物苗を配置していた。


 しかも、ただ植えているわけではない。


 地下空間の魔力流動。


 湿度。


 気流。


 鉱石反応。


 それらを計算したうえで、一本一本の位置を決めている。


 まるで庭師というより、環境設計士だった。


「この辺りは冷気が強すぎます。ここに耐寒性の魔力苔を置いて、気流を柔らかくします」


 フィオナが指先を動かす。


 すると青白い苔が岩壁に広がり、冷気の流れが滑らかに変化した。


「うお……風向き変わった」


「循環効率も上がってますね!」


 リルが魔導測定盤を見ながら興奮する。


「地下二階の空気純度、もう地上高級住宅街超えてる!」


「植物は空気を作りますから」


 フィオナはさらりと言う。


 だが、その効果は凄まじかった。


 地下独特の閉塞感が薄れ、空気に“森”の匂いが混ざり始めている。


 呼吸するだけで頭が冴える感覚すらあった。


「これ、もう天然リゾートじゃん……」


 零は本気で呟いた。


 するとリルがニヤニヤする。


「だから言ったでしょ? この奈落、絶対バケるって!」


「まだ地下二階だけだけどな」


「いやいや、これが全階層に広がったらヤバいって!」


 実際、零もそう思っていた。


 この地下空間は、ただ住めるだけじゃない。


 “快適性”が異常に高い。


 しかもフィオナの植物魔法が加わることで、その価値はさらに跳ね上がる。


 普通の不動産会社なら、こんな能力を持つ人材は絶対に囲い込む。


 だから零は昨夜、あることを考えていた。


「フィオナさん」


「はい?」


「ちょっと相談があるんだけど」


 零は端末を開き、簡易契約書を表示する。


「えっと、現在の家賃なんだけど」


「はい」


「免除にしようと思う」


「……え?」


 フィオナが固まった。


 リルも目を丸くする。


「えっ!? 無料!?」


「いや、正確には交換条件付き」


 零は地下菜園予定区画を表示する。


「この地下環境を本格的に緑化したい」


「……」


「空気改善、景観強化、植物ブランド化。たぶんこの奈落、そこまで行ける」


 零は真っ直ぐフィオナを見る。


「だから、その管理を任せたい」


 フィオナは静かに契約書を見る。


『グリーン育成割引』


 家賃全額免除。


 条件は地下環境整備への協力。


 普通ならありえない契約だった。


「……私に、そんな価値が?」


「ある」


 零は即答した。


「むしろ安いくらい」


 フィオナは少し黙る。


 その横で、リルが勢いよく頷いた。


「あるある! 超ある!」


「リルさん……」


「だって昨日来てから空気レベル激変してるもん!」


 リルは測定盤を突き出した。


「ほら! 地下二階の快適指数、昨日の一・八倍!」


「数字で言うのやめろ」


「でも本当だよ!」


 リルは笑う。


「ここ、“住みたい場所”になってきてる」


 その言葉に、フィオナが少しだけ目を伏せた。


 住みたい場所。


 彼女は長いこと、そんな場所を持てなかった。


 地上都市は刺激が強すぎた。


 空気は汚れ。


 魔力は荒れ。


 騒音は止まらない。


 植物を育てても枯れる。


 だからいつも、“適応できない側”として扱われた。


 だがここは違う。


 この地下空間は、彼女を拒絶しない。


「……受けます」


 フィオナは静かに言った。


「この場所、もっと良くしてみたい」


「契約成立だな」


 零が笑う。


 するとリルが飛び跳ねた。


「よーし! 地下緑化計画スタートだー!」


 ◇


 三日後。


 奈落はさらに変化していた。


 地下二階の通路には発光植物が並び、淡い緑光が壁面を照らしている。


 しかも見た目だけじゃない。


 空気が違った。


 湿度は最適。


 温度は一定。


 呼吸が楽。


 探索者たちの疲労回復速度まで上がっていた。


「これ絶対ホテル業界潰せるだろ……」


 零が本気で呟く。


「まだ入口部分ですよ?」


 フィオナは平然としていた。


「本格運用はこれからです」


「これで序章なの怖いな……」


 その時だった。


 地下菜園区画から、リルの叫び声が響いた。


「レイー!! フィオナー!! なんかヤバいのできたー!!」


 二人は急いで駆けつける。


 するとそこには――。


「……トマト?」


 真っ赤な実が並んでいた。


 ただし普通じゃない。


 うっすら発光している。


 しかも周囲の魔力濃度まで上昇していた。


「え、なにこれ」


「多分……地下水脈と魔力植物が変異融合しました」


 フィオナが困惑気味に言う。


「食べられるのか?」


「たぶん」


「たぶん!?」


 リルはもう齧っていた。


「うっま!?」


「食うの早っ!」


「いやこれ革命級!!」


 リルは目を見開く。


「甘っ!? でも後味スッキリ!? あと身体軽っ!?」


「魔力活性効果がありますね……」


 フィオナも驚いていた。


「こんな高純度、普通の栽培では出ません」


 零はトマトを一つ手に取る。


 鑑定スキルが発動した。


《高純度魔力トマト》

・地下魔力循環による特殊変異個体

・疲労軽減効果(中)

・魔力回復促進

・空気浄化性あり

・高級食材認定可能


「……あ」


「どうした?」


 リルが聞く。


 零は静かに笑った。


「これ、売れる」


「え?」


「しかも高額で」


 奈落はただの賃貸物件じゃない。


 環境そのものがブランド化し始めている。


 空気。


 冷気。


 静寂。


 そして植物。


 その全てが価値になる。


「地下産ブランド……」


 零の頭の中で、新しい事業構想が一気に繋がる。


 高級レストラン。


 富裕層向け食品。


 会員制リゾート。


 地下農園。


 全部いける。


「……この奈落、想像以上かもしれないな」


 するとフィオナが、小さく微笑んだ。


「だから言ったじゃないですか」


「ん?」


「ここ、生きてるって」


 その言葉と同時に。


 地下空間を流れる風が、ふわりと緑の香りを運んだ。


 《旧・黒竜の奈落》。


 誰にも価値を認められなかった地下ダンジョンは今――。


 確かに、“楽園”へ変わり始めていた。

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