第10話

​第10話:偽装彼氏、意地を見せる


 


 


​「嘘かどうか、今から証明してやろうか?」


 


​俺が睨みつけると、他校の先輩は「へえ、威勢だけはいいんだね」と、俺を完全に格下と見なした嘲笑を浮かべた。


 


そして、俺の警告を無視するように、再び琴音の手首を強引に引っ張ろうとした。


 


​――その瞬間、俺の身体が動いていた。


 


​俺は、琴音へと伸びた先輩の右手を、力任せにバチンと激しく振り払った。


 


肉と肉がぶつかる鈍い音が響き、先輩の身体がわずかに揺らぐ。周囲を遠巻きに囲んでいた生徒たちから、ひときわ大きな、息を呑むような静寂が広がった。


 


 


​「痛っ……キミ、何するんだよ」


 


「それはこっちのセリフだ。嫌がってる奴を力ずくで連れて行こうなんて、ただの誘拐一歩手前だろうが」


 


​俺は背中に琴音を庇ったまま、一歩も引かずに先輩の前に立ちはだかった。


 


背中越しに、琴音が俺の制服の裾をぎゅっと、引きちぎらんばかりの強さで握りしめているのが伝わってくる。彼女の小さな震えが、俺の身体を通じて心臓にダイレクトに響いていた。


 


​「急に現れて彼氏面しないでくれるかな。だいたい、琴音ちゃんが君みたいな地味な男を選ぶわけがないだろう。ねえ、琴音ちゃん? こんな奴、放っておいて僕と行こう?」


 


​先輩は俺を無視して、俺の肩越しに琴音へ向かって甘い声をかけた。


 


その、琴音を自分の所有物か何かのように扱う傲慢な態度と口調が、俺の胸の奥にある逆鱗を、これ以上ないほど強烈に逆撫でした。


 


 


​作戦? 既成事実?


 


 


そんな生温かい言葉は、もう俺の頭の中から完全に消し飛んでいた。


 


 


今、目の前にいる男が、琴音の嫌がる顔を無視して、彼女の肌に触れた。


 


 


週末、あれほど俺を頼ってくれて、観覧車の中で俺の言葉に顔を真っ赤にして泣きそうになっていた、世界で一番愛おしい女の子を、理不尽に怯えさせている。


 


 


――絶対に、許さない。


 


 


他の男が、琴音に触れるのも、名前を呼ぶのも、近づくのも、その全てが猛烈に腹立たしかった。


 


​「おい、お前」


 


俺の口から出た声は、自分でも驚くほど低く、怒りに満ちて地を這っていた。


 


​「さっきから聞いてりゃ、地味だの何だの、好き勝手言ってんじゃねえよ。こいつが誰を選ぶかはこいつの自由だ。そして、琴音が選んだのはお前じゃなくて、俺なんだよ」


 


「何だと……?」


 


​「お前がどれだけしつこく連絡してきても、こいつが一度でも嬉しそうな顔をしたか? 迷惑だって言われてるのが理解できないなら、今すぐ病院にでも行って耳と頭を診てもらえ。これ以上、俺の女に気安く触るな。名前を呼ぶな。視界に入るな」


 


​一気に捲し立てた言葉は、もはや『恋人のフリ』という設定を遥かに超越していた。


 


胸の奥から湧き上がる、どす黒いほどの嫉妬と、狂おしいほどの独占欲。


 


他校の男に琴音を見せたくない。琴音の可愛いところも、弱いところも、全部俺だけのものにしたい。


 


そんな、これまで必死に「幼馴染だから」と言い訳をして心の奥底に鍵をかけて閉じ込めていた醜い本音が、完全に決壊して溢れ出ていた。


 


​「駆……っ」


 


背後から、琴音の微かな、震える声が聞こえた。


 


今の俺の言葉が、あまりにも本気すぎて引かれてしまっただろうか。そんな不安が一瞬頭をよぎったが、今は目の前の敵を排除することの方が先決だった。


 


​「……キミ、自分が何言ってるか分かってるの?」


 


先輩の顔から、完全に余裕が消え失せていた。不機嫌そうに眉をひそめ、俺を威圧するように一歩踏み出してくる。


 


​「僕を誰だと思ってるんだ。他校の人間とはいえ、僕が本気になれば――」


 


「本気になれば何だよ。警察でも呼ぶか? 周りの奴ら全員、お前が琴音を強引に連れて行こうとしてたの見てんだよ。これ以上恥をさらしたくなければ、さっさと自分の学校に帰れ」


 


​俺がさらに一歩踏み込み、先輩の目を真っ直ぐに睨みつけると、男はチッと小さく舌打ちをした。


 


周囲の生徒たちの視線も、完全に「不審な侵入者を見つめる目」へと変わっている。これ以上ここで騒ぎを起こせば、自分の立場が悪くなることくらい、頭のいいイケメン先輩なら容易に理解できたはずだ。


 


​「……フン、興ざめだね。琴音ちゃん、今日は帰るけど、また連絡するから」


 


「二度とすんな。次来たら、マジでお前の学校の職員室に怒鳴り込みに行くからな」


 


​俺が最後の威嚇を放つと、先輩は悔しそうに顔を歪め、背を向けて足早に校門から去っていった。


 


​――勝った。


 


男の背中が見えなくなるのを見届けて、俺は張り詰めていた身体の糸が切れたように、大きく息を吐き出した。


 


​パチ、パチ、パチ……。


 


周囲にいたクラスメイトや野次馬の生徒たちから、パラパラと、そして次第に大きな拍手と歓声が湧き起こる。


 


「長谷川、マジでやったな!」「水瀬さんの彼氏、超格好いいじゃん!」という声が耳に届くが、今の俺の頭には、そんな周囲の称賛など全く入ってこなかった。


 


​ゆっくりと、後ろを振り返る。


 


そこには、制服の裾を握った手の力を緩め、呆然と俺を見つめる琴音の姿があった。


 


​その瞳は、恐怖から解放された安堵ではなく、全く別の、熱い感情で激しく揺れ動いていた。頬は、夕暮れ前だというのに、あの観覧車の時よりも深く、鮮やかな紅葉のように赤く染まっている。


 


​「……琴音」


 


「あ、えっと、駆……さっきの……」


 


​琴音は何かを言おうとして、けれど自分の胸元を両手で強く押さえ、言葉を詰まらせてしまった。


 


 


 


――『他校の部外者が、俺の女に勝手に触ってんじゃねえよ』


 


――『琴音が選んだのは、お前じゃなくて、俺なんだよ』


 


 


​さっき俺が勢いで口走ってしまった、本気の嫉妬と独占欲。


 


その言葉の残響が、二人の間の『偽装』という最後の壁を、完全に粉々に打ち砕いてしまったことに、俺たちは気づいていた。


 


 


​周囲の騒がしい声を背に、俺たちは言葉を交わすこともできず、ただお互いの熱い視線をぶつけ合うことしかできなかった。


 


嘘から始まった関係は、今、誰も止めることのできない本物の恋へと、完全に姿を変えようとしていた。






(つづく)



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