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  • 第1話への応援コメント

    文芸部へのご参加、ありがとうございます。
    冒頭のバス停でのやり取りから漂う、主人公の「自分だけが違う場所にいる」かのような疎外感と、どこか冷たい空気感。そこから静かな公園へと舞台が移り、小さな女の子との出会いによって、物語の温度がじわりと変わっていくグラデーションがとても綺麗だと感じました。

    ■ 全体を読んでの感想
    前半の「私の言葉はいつも、少しだけ違う場所に届いてしまう」という独白に潜む諦念が、女の子との指先を介した対話によって優しく解きほぐされていくプロセスが素晴らしいです。
    母親が戻ってきた際の、声と手話の「ありがとう」が重なる瞬間。そしてラストの「届かなかったのは、言葉じゃない。きっと――届く場所のほうだった」という気づき。自分が壊れているわけではなく、ただ少し遠かっただけなのだという静かな自己肯定の結びに、救われるような温かい余韻が目の前に優しく広がりました。

    ■ お題「省略法」の活用について
    本作では、テーマである「省略法」が、主人公の「属性」や「具体的な背景」をあえて引き算することで、物語の持つ普遍的なメッセージ性と情緒を最大化するために、極めて洗練された形で使われていました。

    ・【主人公が抱える『障害や事情』の直接的な説明の省略】
    主人公がなぜ言葉がうまく伝わらないのか、どのような生活を送っているのかといった医学的・社会的な説明が徹底して「省略」されています。この引き算があるからこそ、読者はそれを単なる特定の障害の話としてではなく、「誰しもが人生のどこかで抱える『伝わらなさ』の孤独」として切実に共有することができ、指先での対話の純粋さがより劇的に際立っていたように思います。

    ・【バス停での男の言葉の『意味』の省略】
    朝のバス停で男がなぜ笑ったのか、なぜ周りもつられて笑ったのかという「答え(すれ違いの理由)」があえて詳しく語られず「省略」されています。この静かな引き算によって、主人公がその場から離れるときの気恥ずかしさや割り切れなさがリアルに伝わり、だからこそ後半の「少しだけ待ってくれる人」の存在の尊さが、より一層引き立つ見事な演出になっていると感じました。

    人によっては、これらの省略によって起こる「ズレ」や「空白」が正されない、解き明かされないところが気になるということもあるのかもしれません。ですが私としては、この主人公の目線として「ズレ」や「空白」があるのが当たり前の世界にいるのかなと、主人公の世界を少し体験できたような、そんな特別な感覚になれました。

    ■ 最後に
    「声は、最初から消えてなんかいなかった」
    省略法という技法を、多くを説明しすぎないことで、人と人が分かり合うために必要な「少しだけ待つ時間」という優しい余白に変えるための、知的な行間として使いこなされた素晴らしい作品をありがとうございました。
    また部室にて、あなたの紡ぐ、五感に静かに染み入る美しい物語に出会えるのを心より楽しみにしております。

    作者からの返信

    ここまで深く読み取っていただけて、本当に嬉しいです。
    「省略」の奥にある感情まで受け取ってくださって、書いてよかったと心から思えました。
    素敵な感想をありがとうございました。

  • 第1話への応援コメント

    この作品に対して、私なりの命題を導き出しました。
    作品に対する批評や論評をするつもりは毛頭ありません。



    この作品は、「言葉が届いた」というだけでは終わらない話だと思いました。

    手話を通じて声が届き、語り手は最後に「私は間違っていなかった」という言葉に辿り着く。
    表面だけを追えば、静かな救済の物語に見えます。
    でも、丁寧に読むほど、解決されていないものの多さが残っています。

    語り手の言葉がなぜ途中で形を変えてしまうのか、その原因は最後まで明かされません。
    バス停で「七時半です」と答えた言葉がなぜ「もう食べたのか?」として受け取られたのか、本文は一度も説明しません。語り手自身も「どこで、どうしてそうなるのかは分からない」と言ったまま、その問いは宙に浮き続けます。

    バス停での笑いも消えていません。
    終盤で語り手ははっきりと書いています。
    「バス停での笑いは、まだどこかに残っている。消えたわけじゃない」

    手話が届いた後でさえ、語り手は母親に「ただ、見かけただけです。少し、立ち止まっただけです」と伝えます。でも女の子は、「立ち止まってくれた人のこと」を母親に話していた。この小さなズレが、私には引っかかります。
    語り手の中で何かが変わった後も、自分の行為を小さく語る言葉の選び方は、変わっていない。

    この作品で何が変わったのか。

    変わったのは、ひとつだけだと思います。

    語り手はずっと、自分のことを「どこか壊れている」と思っている。
    言葉がいつも違う場所に届いてしまうのは、自分の中に何か欠けているものがあるからだという思い。
    失敗が重なるたびに積み上がってきた、長い時間をかけた確信のようなものだったはず。

    でも、手話を通じて一度だけ、途中で何も消えずに声が届いた。

    これは「私は壊れていない」という完全な証明ではありません。一度届いたからといって、これまでの失敗がなかったことにはならないし、これから先も同じようなすれ違いが起きないとは言えない。

    それでも、一度でも届いた以上、「私はどこか壊れている」と言い切ることは、もうできなくなる。言い切るためには、どんな場合でも届かないはずだから。その「どんな場合でも」が、この一度によって崩れてしまった。

    この作品が確かにやっていることは、そこだと思います。

    「自分は壊れている」という長年の思い込みを、強い言葉で否定するのではなく、一度きりの出来事によって、その「絶対さ」だけをそっと崩していく。過去の失敗を説明しない。これからを保証しない。ただ、「絶対にそうだ」とは、もう言えなくなる状態だけを作る。

    終盤の「声は、最初から消えてなんかいなかった。――指先に」という箇所は、届いた声の証明というより、声の在り方がはじめて違って見えた瞬間の記録だと思いました。音として消えていくはずだったものが、手の動きの形で残っている。その発見だけが、「私は壊れている」という長い確信を、絶対的なものではないということを語り手に気づかせる。

    「指先に残る声」とは、正しく伝わった言葉の記念ではなく、
    「私は壊れている」という思い込みが、もはや絶対ではないと知ってしまった、一度きりの出来事のことだと読みました。

    救いは全面的には来ない。原因も解明されない。自分の行為を小さく語る言葉の選び方も、変わらないまま残っている。

    それでも、自分を壊れていると言い続けてきた言葉の確信だけが、元の強さでは立っていられなくなる。

    この作品の強さは、そこにあると思います。

    作者からの返信

    素敵なレビューをありがとうございます!
    言葉が届くことの不確かさや、主人公の心の揺らぎを、ここまで丁寧に読み取っていただけて本当に嬉しいです。
    読者の方にここまで深く作品に寄り添っていただけて、幸せな気持ちでいっぱいです。

    実は、ちょうど新しい物語を公開いたしました。
    もし少しでもお時間がありましたら、そちらも読んでいただけると嬉しいです。

    これからもよろしくお願いいたします!

  • 第1話への応援コメント

    拝読しました
    バス停で言葉がずれて笑われる冒頭が切なくて、主人公の孤独がすっと伝わってきました
    女の子と指先で少しずつ通じ合う場面は、沈黙の中にちゃんと温度があって優しかったです
    最後に「届かなかったのは言葉じゃない」と気づく流れがきれいで、読後に静かな救いが残りました
    ★★★評価を置いていきますね
    執筆、お互いに頑張りましょう!
    よろしければ、こちらの作品にも遊びに来てくださいね