第5話 心のナイフと誤解
「あ〜、まさか二階にあるとは……びっくり仰天だな……って、ボケても突っ込んでくれない……この感覚、久々だな……」
誰にも聞かれないとわかっていても、口が勝手に動いてしまう。 そうやって空気に話す癖が、シロウにはあった。
夕暮れの光が、階段の窓から差し込んでいる。空は橙と群青の境目で滲み合い、なんとなく、やるせない気分をかき立ててくる。
と、そのとき――
「……そういえば、俺と同年代がいるのか……」
ふと、その言葉を思い出した瞬間、シロウの足取りが重くなった。 胸の奥に冷たい感触が広がり、胃の奥がじわじわと締めつけられる。
「はあ……また……いじめられるのかな……」
足が止まる。
「……なんか……だんだん行きたくなくなってきたし……吐き気も、やばくなってきた……」
その瞬間、記憶の蓋が――開いた。
「おらっ、なぁシロウよ。……なんでチクったんだよ?」
制服の胸ぐらを掴まれ、壁に軽く押し付けられた少年。 冷笑交じりの声とともに、足元がぐらつく。
「やーい、やーい、ちくり魔! ちくり魔!」
数人の女子の声が遠巻きに響く。誰かがスマホを構え、シャッター音が空気を裂いた。
「お前のせいで、単位が落ちかけたじゃんかよ!」
「なあ? シロウ? わかってるよな? お前がどれだけ足掻いても、俺たち“強者”には勝てねえってことをよ」
笑いながら、誰かがシロウの長い前髪を捲った。
「ハハ! ざまみろ。お前がいつまでもイキったことを謝らないから、こんなボロボロになるんだよ。なあ、シロウ……いや、“焼きキズの化け物”さんよ」
右目のあたり――青く焼けたような傷跡が、あらわになる。 それを見て、何人かがわざとらしく顔を歪めた。
(な……なんで? どうして……僕は正しいことをしただけなのに……)
(ただ君たちの間違いを指摘しただけじゃないか……なんで……何で……)
(何でこんなことになるんだよ……何で弱者が強者の……強者の間違いを指摘しちゃダメなんだ……)
思考がぐるぐると回り出し、過去と今が渾然一体になる。
(どうして……どうして……どうして……もう嫌だ……)
苦しみが、怒りに変わる。
(そうだ……謝るんだ……謝れば……許される……ゆされ――)
否。
何かが、心の中で音を立てて、ブチッと切れた。
(何を……言ってるんだ俺は!)
(こいつらは俺に喧嘩を売ってきたんだ……だったら俺の好きなようにしてもいいよね?)
(もう容赦しない……こいつらが悪いんだ。だから俺が鉄拳制裁して、わからせてやればいい)
(“弱者の意地”ってやつをな……)
拳を握る。感情の鎖が千切れ、脳裏に浮かぶ言葉がひとつ。
(切り刻むんだ……心のナイフで)
それは――怒りであり、正義であり、復讐でもあった。
「オ゛エッ……」
口を押さえ、シロウは階段の壁にもたれかかった。 喉の奥が焼けるように熱く、息が荒い。
「はぁ……はぁ……」
目を閉じても、あのときの声が耳に残る。
逃げ出したい。でも逃げる場所なんて、どこにもない。
拳を強く握った。
(眼を閉じても、あの声が耳に残る。逃げたい気持ちは消えない。でも、逃げるだけじゃ傷は癒えないのも知っている。)
前髪が、風に揺れ、その下から覗いたのは、蒼く冷たい光を宿す右目――そして、火傷のような痕跡。それは、彼が背負う過去と、まだ語られていない真実の一端だった。
「その時が来たら……また切り刻んでやるさ。心のナイフを……」拳をゆるめシロウは心に誓った。
「はあ、はあ……」
ゆっくりと階段を登っていくと、シロウは目の前のドアを見上げて呟いた。
「ここだな……」
古めかしい木製のドア。ノブに手をかけると、鍵はかかっていない。少し躊躇してから、静かに扉を開く。
「失礼しまーす……」
ギィィィ……と音を立てて開くドアの向こうには、誰の姿もなかった。
「……あれ、誰もいない」
そう思って足を踏み入れた瞬間――
「チェストォ!!」
「ぐわっ!?」
何かが突然上から飛びかかってきて、シロウの体が床に投げ出された。背中に何か重みがある。反射的に振り返ると、金髪だが白色混じりでバサバサの髪、茶色の目、魔女のような帽子をかぶり、ホウキを握った少女が馬乗りになっていた。彼女は〈篭目マリ〉
年は自分と同じくらいだろうか――その少女がドヤ顔で名乗る。
「やった!成功だ!」
「えっと、あんた誰?ていうか、コスプレ?」
「違うわ!あと私は篭目マリだ!」
「……あの〜、どいてもらってもよろしいですか?」
「嫌だね!」
(よし……足は動く。超高速で――)
「プレス脱出 超高速付与!」
マリの体をすり抜け、横たわった状態から跳ねるように脱出。立ち上がったシロウに、マリは驚いたように言う。
「うわっ……なんだそのスピード!?すげぇ……でも全然支配できてないな、そのなりじゃ」
シロウは一つ深呼吸して心を整えた。
「はぁ……だから……何なんだ……全く……すーう……ふう〜……落ち着いた……」
心の中で、冷静に装備を確認する。
(上着の中にスタングレネード一個、ペティナイフ、微量の麻酔剤、テーザー銃。……ああ、エアガンは壊れて弾がねぇ……)
「来ないならこっちから行かせてもらうぜっ!」
マリがホウキを振ると、そこから風が巻き起こった。
「うわっ……あっぶね……!」
シロウは身をひねって風を避け、隣の部屋へ滑り込むように逃げた。息を切らせ、スタングレネードを構える。
「はぁ、はぁ……ここなら大丈夫か?」
とスタングレネードを投げるが、油断していた背後から――
「おりゃっ!」
赤い何かが頬をかすめ、グレネードは見当違いの方向へと狙いがずれてしまった。
「何だ……?」
その方向へ視線を向けると、黒い髪の毛先が赤く染まり、目は赤に近い黒、目の下にクマがある少年が立っていた。 彼は〈陰村シズエ〉シロウがテーザー銃で反撃し弾が肩に当たるが……
「ナイス!陰村!」
マリが叫び、続けてホウキを振る。
「風弾!」
ホウキの穂から放たれた風の砲弾がシロウを直撃し、壁へ叩きつける。
「っ……!」
そこへさらに一人――
「フンっ!」
拳が飛び、シロウはさらに吹き飛ばされた。
現れたのは、黄色の髪を後ろで縛り、オレンジの瞳をした少年。頭には犬の耳、腰にはフサフサの尻尾が揺れている。
〈犬乃ナギト〉。明らかに、亞人の特徴を持っていた。
「シズエ、大丈夫か?」
「……ああ、なんとか……」
「シズ! 大丈夫?」
今度は、青い髪で前髪が薄い水色の少女が駆け寄ってきた。透き通るような空色の瞳。そして額からは小さな龍の角のようなものが覗いている。
彼女の名は〈龍宮アヤコ〉。
「……あの人は、誰?」
アヤコが不安げに尋ねると、マリが少し困ったように言う。
「しらねぇ。あいつが扉から入ってきたけど、武器持ってた、ここに襲撃に来たんじゃないかと」
シロウがゆっくりと体を起こし、息を吐いた。
「ふぅ〜……」
「なっ⁉︎ ナギトのパンチ喰らって立ててるとか、どんな化け物だよ!クッソ……」
シズエが驚きをあらわにする。
「ちょっと待ってよシズ!一旦話し合ってみようよ。もしかしたら、襲撃しに来たんじゃないかもしれないからさ……」
アヤコの声に、少しだけ空気が変わる。
だがシロウの心中は、違っていた。
(……あの人は、話し合いで解決しようとしてる……もしかしたら、話せばきっと……)
(いや……何甘ったれたこと言ってんだ……今まで話し合って解決したことがあったか?)
(否! いつも罵倒されたじゃないか!何だよ、ここまできて……今更、対話で解決できるか!)
(別に……別にいいよね? こいつらは俺に攻撃してきたんだから……)
テーザー銃を捨て、懐からペティナイフを取り出す。
それを構えたシロウの目は、かつてないほど冷たく、殺気に満ち溢れていた。
「だから……きっと」
アヤコの優しい声が、静かに空気を揺らした。
その時だった。
「アヤコ、後ろだッ!」
ナギトの声が響く。彼女のすぐ背後――そこには、残像がブレるように揺れながら迫る影があった。
それは、ナイフを構えたシロウだった。
(……油断してる。今ならやれる)
衝動のままに突き進もうとするシロウの脳裏に、アヤコの言葉と表情がよぎる。
(……この人は、俺と話そうとしてくれてた……でも、こいつらは俺を攻撃した……やってもいい……)
混乱と怒りの中で、理性と感情がぶつかり合う。
――でも。
(……もし、一滴も血を流さずに済む方法があるなら……俺は、そっちに賭けたい)
「うあああああっ!」
その瞬間、シロウは叫ぶようにして、自らの右腕にナイフを突き立てた。
鈍く重たい音。右腕には確かな痛みと、血が滲んでいた。
(……なんで、右腕に刺したんだ?)
とシズエがシロウの腕を見つめ、まだ抑えきれない衝動に、左腕が勝手に動こうとする。
「くっ……止まれよ……!」
自分自身の右手で、震える左腕を掴み、強引に押さえ込む。軋む骨の音に、シロウの息が荒くなる。
「下がるんだ、アヤ!!」
シズエが前に出てアヤコを庇いながら、鋭く睨む。
その時、シロウの口から、かすかな声が漏れた。
「……は、しを……」
「ん? 今、何て……?」
場の空気が一瞬だけ静まりかえる。
「……話を、聞いてくれませんか……!」
シロウの叫びに、全員が驚いたように目を見開く――だが。
「やぁっ!」
「はあっ!」
二人の少女が、勢いよくシロウへと飛びかかった。
――銀髪の短髪に桜の髪飾り小柄な体、灰色の瞳の少女だが彼女には狼のような耳と尻尾があった。刀を手にしたその子の名は、〈狼城カホ〉。
もう一人は、白く美しい長髪に九本の狐のような尻尾を持つ少女。両手に二本の刀を構えるその姿は、神秘的でありながらも鋭い気配を放っていた。彼女の名は、〈白狐メイ〉。
「みんな、大丈夫!?」
メイが皆の様子を確認する。
「帰ってきたら部屋めちゃくちゃで……犯人はこいつですか?」
とカホが冷静に問いかける。
「違う! メイちゃん、カホちゃん! この人は敵じゃないの! 誤解なんだって!」
アヤコが慌てて声を上げる。
すると、背後から別の声が響いた。
「そのとおり。ソイツは敵じゃないよ」
振り返ると、朱色の髪に真っ直ぐな瞳をした少年――〈日暮レント〉と、不真面目そうな笑顔を浮かべた〈赤白クロイ〉が立っていた。
「俺たちと同じ“視者(シシャ)”だよ。ここを襲撃しにきたんじゃない」
「は? どういうこと……?」
シズエが疑問をぶつけたその時――
「ふふっ、それは僕から説明しようかな〜」
緩い口調で、フードを被った青年が現れた。黒髪に、翠の瞳。
「オーナー!?」
と、誰かが声を上げた。
場の空気が一気に変わる――だが、その時。
シロウは、再び怒りに呑まれかけていた。
(なんで……なんで、話し合おうとしたのに……結局、攻撃された……痛い、痛い!)
痛みと混乱の中で、心が暗く染まっていく。
(もう、我慢の限界だ……容赦しない……切り刻め……心のナイフで……)
その瞬間。
「っと、その前に〜!」
軽い声とともに、オーナーがバケツを取り出した。
「えいっ!」
中身をシロウにぶっかける――
「うわあああああっ!!」
シロウは顔を抑え、床に転がり、ゴロゴロと苦しそうにのたうち回る。
(な、なんだこれ……しょっぱい……? まさか、塩水!?)
皮膚がヒリヒリと焼けるような感覚。反応する体が、自分でも理解できなかった。
(……何で? 塩水が……なんで、こんなに……)
疑問と苦痛の中で、彼の意識は少しずつ遠のいていった。
やがて、静かな眠りに落ちるように――シロウは、その場に倒れ伏した。
部屋には、彼の浅い呼吸と、仲間たちのざわめきだけが残っていた。
「……覚えている。その、一秒一秒を……」
低く、機械のように冷たい声が、白い無機質な空間に響いた。壁も天井も床も、まるで感情のないキャンバスのように真っ白だった。
その中心に、小さな影が一つ――幼いシロウが、ぽつんと立っていた。
(……覚えている。この感覚を……)
シロウは、自分の手を見つめる。そこには鮮やかな赤。まるで夢の中のように、どこか現実味のない“血”の色がこびりついていた。
「……覚えている。その光景を……」
再び、誰かの声が響いた。あるいは、それはシロウ自身の内なる声だったのかもしれない。
視界の先に、白衣をまとった人々が倒れ伏す光景が現れる。真っ白だった壁に、今はうっすらと赤い色が広がっていく。
(……覚えている。この道を……)
血の跡が点々と続くその先へ、シロウは足を踏み出した。
目の前には、一つの重厚な扉が立ちはだかっている。
両手で押し開けると――
中は乱雑で、まるで何かが破壊された後のような空間が広がっていた。
「……でも、忘れろ。その記憶は、お前を壊す……」
どこか遠くから、ざらついた声が響いた。
しかし、それに続くもう一つの声が重なる。
「でも、許すな……あの者たちを……絶対に……」
まるで怒りと悲しみが交錯したような声だった。次第に視界が歪み、過去の情景が鮮やかに浮かび上がる。
シロウの右目――出来立ての火傷の痕があるその瞳には、どこか人間離れした冷たい光が宿っていた。
「……ん?」
シロウは、ふと目を開けた。
見上げたのは、見慣れたアパートの天井。しばらく視線を彷徨わせてから、ようやく息をついた。
「……夢、か。……ずいぶん長かったな」
乾いた呟きを漏らしながら、彼はベッドから体を起こした。制服に着替え、トースターで焼いたパンを咥えながら、玄関の扉を開ける。
しかし――
「……は?」
そこにあったのは、自分の部屋の廊下ではなかった。
目の前には、まるでどこかの施設のような無機質な壁が広がっていた。
「……よっと」
思わず身を引き、頬をぺちりと軽く叩いてみる。
「痛っ……ってことは……現実か」
半ば呆然としながらも、外に目をやる。窓から差し込む朝の光は、確かに“現実の朝”を照らしていた。
「ここは……どこだ……?」
戸惑いと共に周囲を見回すその時だった。
「やあ、起きたみたいだね」
ふいに、部屋の隅から誰かの声がした。
見ると、深くフードを被った青年が立っていた。柔らかい物腰で、どこか掴みどころのない雰囲気を纏っている。
「僕から話すよ」
と青年が言うとシロウは目を細めて問いかける。
「……あんた、誰だ?」
青年はゆったりと笑みを浮かべて答えた。
「僕は光井セイ。交夜団の団長であり、霊媒師で、まぁ、何でも屋ってところかな」
「交夜団……?」
その言葉に、シロウの記憶が微かにざわめいた。
(……交夜団……確か、前にも……会ってる……?)
「記憶が混ざってて、はっきりとはしないけど……確かあの時、あんたもいたな」
曖昧ながらも、確かな記憶の断片が、胸の奥でざらりとした感触を残している。
「覚えてくれてありがとう。いろいろと話したいことがある。……少し、時間をもらえるかな?」
光井セイの言葉と共に、部屋の空気がふと変わった。まるで、この一室だけが現実から切り離されたような――重たく静かな空間。
シロウは、わずかに視線を伏せるがやがて彼は、静かに顔を上げた。
「……わかった。」
シロウが一言告げるとセイは、ふっと満足げに微笑んだ。
「いいよ。じゃあ――始めようか、シロウくん」
Errors 鳥魚 @TORISAKANA
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