2026年5月22日 18:30 編集済
遠き花香の夢にへの応援コメント
この作品に対して、私なりの命題を導き出しました。夏目漱石の『夢十夜』へのオマージュということなので少しだけ硬めに書きます。読み終えてしばらく、言葉にならない何かが残りました。うまく言えないまま時間が経ち、どこかに書き留めておきたくなる作品です。物語は、喪失を受け入れる話として読むこともできます。夢・記憶・追悼・自己統合そういった言葉を当てることもできる。私には、それだとどうしても少し薄い気がしました。もう少し深いところで、この作品は別のことを語っている気がしました。語り手は、理解してから進むわけではないなぜその丘へ行かなければならないのか。何を忘れているのか。夢の中で出会った若い男と老いた男は何者なのか。「彼女」とは誰なのか。そして、木の側へ向かう「資格」とはいったい何によって得られるものなのか。本文は、これを最後まで説明しません。でも私が驚いたのは、説明がないまま、何かが先に動いている。たとえば、紫陽花の場面語り手は夏の花を見ながら、まだ見えていない木の裏側の椿を知らないまま書く「春が宿っているように感じれた」「然るに」という逆接とともに、夏の花なのに春を感じる。論理としては成立しないが、それでも感じている。あとになって、木の裏側に椿と墓石があることが分かり「間違ってはいなかったとも。木の側には春があった」と知る。春感覚は、証明より先にあった。説明できないまま、正しかった。これが、私にはこの作品の核心に見えました。私が忘れられない場面があります。語り手は途中で「これ以上に迫る必要も無し」と判断して、引き返そうとするが、次の行動で「半ば強引に体躯を進めていた。義務感のような何かに突き動かされて」に変わる。理由より先に、身体が動いた。この「義務感のような何か」は、ついに言葉で定義されません。それは、定義されなかったから弱いのではなく、定義できる言葉よりも先に、もっと深いところで働いていたから、言葉が追いつかなかったのだと思います。五感を失う場面は、読んでいて苦しく感じました。足裏の感覚がない目を開くと光がない空気の波がない匂いもない味もないそして「呼吸の仕方忘れてしまっている」自分という存在の表面が全部剥がれていくような感覚がありました。本文の順番だけを追えば、世界が色づきはじめる描写は「生きたいんだ」という叫びより前に置かれています。だから「叫んだから回復した」と単純には言えないと思います。それでも私には、この場面で大事なのは因果の説明ではなく、五感が崩れていく底で、それでも「生きたいんだ」という言葉が奥から出てくることに見えました。表面が全部なくなった後に、その下に何かが残っていた。これもまた、説明の形を取らずに先に働いているものなのだと思います。鏡の場面も、静かに重い夢の中の若い男は言った「資格も権利もまだ持ち得ない」老いた男は「その資格は貴方にある」と言いながら、それでも「辿り着きそうにはない」と言っていた。そして覚醒後の語り手が鏡で見るのは「あの二人よりも更に、ただ老けた顔」条件は最後まで定義されませんでした。何をすれば資格を得られるのかは分からないまま。でも、その顔は、若い男と老いた男の二段階をとっくに越えていた。資格は証明されなかったけれど、時間の中にもう先に蓄積されていた。彼女が誰なのか資格とは何なのか若い男たちは本当に語り手自身なのか本文はこれを定義しません。でも、私にはそれが欠落に見えなくなっています。言葉による定義が後から来るか、あるいは来ないか、どちらかだとしても、感覚・衝動・意志・時間は、定義より先にもう動いていた。だから私は、彼女・資格・若い男たちのことを、ただの説明不足として読めなくなりました。私がこの作品から導き出した命題です。喪失の場所へ向かうために必要なものは、論理的な理解や証明や条件の充足としては、最後まで与えられない。それは、春感覚として先に届き、義務感として理由より先に身体を動かし、「生きたいんだ」という叫びとして五感の崩壊の奥底から出現し、何十年も生き延びた顔として鏡の中に先に蓄積されている。感じること、動いてしまうこと、奥から声が出ること、時間が顔に残ること形はそれぞれ違うけれど、どれも言葉や説明より先に届いている。言葉になる前に、働いている。そして、時間の堆積の果てのある朝、それがついに一歩になる。「あの丘に向かおう。あんな夢を見た丘に。」この最後の一文が、読み終えてからもずっと、静かに重く残っています。理解したから向かうのではない証明されたから向かうのではない説明できない奥底の力が先に動き出していて、ようやくその朝が来た、という一歩に見えました。
作者からの返信
私の物語を読んで、こんな言葉まで残していただいて、本当に嬉しく思っています。ありがとうございます。実のところ、本来はすべてをもっと明確にして書くつもりだったんです。表現、情景、感覚、命題を。でも書き終わった後に、これを言ってしまうのはどうなのかと。彼しか知り得ないはずの、若しくは彼すらも知っていないかもしれない資格を私なんかが、作者というちっぽけな存在が明らかにしてしまうのは、不粋の極みだと思ったんです。私は作者なので、此処にある「意味」について誰よりもわかってはいます。ですがあなたの言った通り、明瞭に書くことはしたくなかった。論理や証明の先にある何かを信じたかったのかもしれませんね。その結果、わかりにくい、何が言いたい、そう思われたとしても。改めて私の物語が、あなたの心に残る何かになってくれたこと、誇らしく感じています。ありがとうございました。
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遠き花香の夢にへの応援コメント
この作品に対して、私なりの命題を導き出しました。
夏目漱石の『夢十夜』へのオマージュということなので少しだけ硬めに書きます。
読み終えてしばらく、言葉にならない何かが残りました。
うまく言えないまま時間が経ち、どこかに書き留めておきたくなる作品です。
物語は、喪失を受け入れる話として読むこともできます。
夢・記憶・追悼・自己統合
そういった言葉を当てることもできる。
私には、それだとどうしても少し薄い気がしました。
もう少し深いところで、この作品は別のことを語っている気がしました。
語り手は、理解してから進むわけではない
なぜその丘へ行かなければならないのか。何を忘れているのか。
夢の中で出会った若い男と老いた男は何者なのか。「彼女」とは誰なのか。
そして、木の側へ向かう「資格」とはいったい何によって得られるものなのか。
本文は、これを最後まで説明しません。
でも私が驚いたのは、説明がないまま、何かが先に動いている。
たとえば、紫陽花の場面
語り手は夏の花を見ながら、まだ見えていない木の裏側の椿を知らないまま書く
「春が宿っているように感じれた」
「然るに」という逆接とともに、夏の花なのに春を感じる。
論理としては成立しないが、それでも感じている。
あとになって、木の裏側に椿と墓石があることが分かり
「間違ってはいなかったとも。木の側には春があった」と知る。
春感覚は、証明より先にあった。
説明できないまま、正しかった。
これが、私にはこの作品の核心に見えました。
私が忘れられない場面があります。
語り手は途中で「これ以上に迫る必要も無し」と判断して、引き返そうとするが、次の行動で「半ば強引に体躯を進めていた。義務感のような何かに突き動かされて」に変わる。
理由より先に、身体が動いた。
この「義務感のような何か」は、ついに言葉で定義されません。
それは、定義されなかったから弱いのではなく、定義できる言葉よりも先に、もっと深いところで働いていたから、言葉が追いつかなかったのだと思います。
五感を失う場面は、読んでいて苦しく感じました。
足裏の感覚がない
目を開くと光がない
空気の波がない
匂いもない
味もない
そして「呼吸の仕方忘れてしまっている」
自分という存在の表面が全部剥がれていくような感覚がありました。
本文の順番だけを追えば、世界が色づきはじめる描写は「生きたいんだ」という叫びより前に置かれています。
だから「叫んだから回復した」と単純には言えないと思います。
それでも私には、この場面で大事なのは因果の説明ではなく、五感が崩れていく底で、それでも「生きたいんだ」という言葉が奥から出てくることに見えました。
表面が全部なくなった後に、その下に何かが残っていた。
これもまた、説明の形を取らずに先に働いているものなのだと思います。
鏡の場面も、静かに重い
夢の中の若い男は言った「資格も権利もまだ持ち得ない」
老いた男は「その資格は貴方にある」と言いながら、それでも「辿り着きそうにはない」と言っていた。
そして覚醒後の語り手が鏡で見るのは「あの二人よりも更に、ただ老けた顔」
条件は最後まで定義されませんでした。
何をすれば資格を得られるのかは分からないまま。
でも、その顔は、若い男と老いた男の二段階をとっくに越えていた。
資格は証明されなかったけれど、時間の中にもう先に蓄積されていた。
彼女が誰なのか
資格とは何なのか
若い男たちは本当に語り手自身なのか
本文はこれを定義しません。
でも、私にはそれが欠落に見えなくなっています。
言葉による定義が後から来るか、あるいは来ないか、どちらかだとしても、感覚・衝動・意志・時間は、定義より先にもう動いていた。
だから私は、彼女・資格・若い男たちのことを、ただの説明不足として読めなくなりました。
私がこの作品から導き出した命題です。
喪失の場所へ向かうために必要なものは、論理的な理解や証明や条件の充足としては、最後まで与えられない。それは、春感覚として先に届き、義務感として理由より先に身体を動かし、「生きたいんだ」という叫びとして五感の崩壊の奥底から出現し、何十年も生き延びた顔として鏡の中に先に蓄積されている。
感じること、動いてしまうこと、奥から声が出ること、時間が顔に残ること
形はそれぞれ違うけれど、どれも言葉や説明より先に届いている。
言葉になる前に、働いている。
そして、時間の堆積の果てのある朝、それがついに一歩になる。
「あの丘に向かおう。あんな夢を見た丘に。」
この最後の一文が、読み終えてからもずっと、静かに重く残っています。
理解したから向かうのではない
証明されたから向かうのではない
説明できない奥底の力が先に動き出していて、ようやくその朝が来た、という一歩に見えました。
作者からの返信
私の物語を読んで、こんな言葉まで残していただいて、本当に嬉しく思っています。ありがとうございます。
実のところ、本来はすべてをもっと明確にして書くつもりだったんです。表現、情景、感覚、命題を。でも書き終わった後に、これを言ってしまうのはどうなのかと。
彼しか知り得ないはずの、若しくは彼すらも知っていないかもしれない資格を私なんかが、作者というちっぽけな存在が明らかにしてしまうのは、不粋の極みだと思ったんです。
私は作者なので、此処にある「意味」について誰よりもわかってはいます。ですがあなたの言った通り、明瞭に書くことはしたくなかった。論理や証明の先にある何かを信じたかったのかもしれませんね。その結果、わかりにくい、何が言いたい、そう思われたとしても。
改めて私の物語が、あなたの心に残る何かになってくれたこと、誇らしく感じています。ありがとうございました。