第19話 まさかのノープランでした。
宰相アベルは、次に控え席へ視線を向けた。
「では、生徒会役員として当時の状況を知る方々にも確認いたしましょう」
王太子のご学友たち。
かつて生徒会役員としてユリウスを補佐していた者たちが、順に呼ばれる。
最初に立ったのは、エドガー・ラヴァン伯爵令息だった。
元生徒会副会長。真面目そうな顔立ちの青年だが、今は明らかに緊張している。
続いて、セドリック・モントレー子爵令息。
元生徒会会計で、普段なら軽口を叩きそうな顔をしているが、この場ではさすがに大人しい。
「あなた方は、生徒会役員として、ミシュリーヌ殿と日頃から接していましたね」
「はい」
エドガーが答える。
「ミシュリーヌ嬢は副書記として、議事録や書類整理を手伝っていました」
「その中で、レティシア嬢による嫌がらせを目撃したことはありますか」
エドガーは言葉に詰まった。
「……直接、そのような場面は見ていません」
会議室の空気が少しだけ冷える。セドリックが慌てたように口を開いた。
「ですが、レティシア嬢がミシュリーヌ嬢に厳しく接していたのは事実です。ミシュリーヌ嬢は、レティシア嬢を見ると表情を曇らせることがありました」
「それを、ミシュリーヌ殿ご本人に確認しましたか」
宰相の問いは容赦がない。
「いえ、ですが……」
「ミシュリーヌ殿が、レティシア嬢から被害を受けたとあなた方に訴えたことは」
「……ありません」
「学園に届け出ましたか」
「それも、ありません」
セドリックの声が小さくなる。
〈証言ふわっふわ〉
〈ソースは雰囲気〉
〈ご学友、逃げ道なし〉
〈生徒会、機能不全〉
証拠と呼ぶにはガバガバすぎる。というか、ここまで中身のない証言も珍しい。
まさか、揃いも揃ってノープランだったのか。生徒会とは()。
エドガーは青ざめながら、それでも続けた。
「ただ、殿下がミシュリーヌ嬢を大変案じておられたのは事実です。我々も彼女が気の毒で……」
「気の毒に見えた」
宰相が静かに言い換えた。
「はい」
「それは、あなた方の印象ですね」
〈だからひろゆきかとw〉
〈なんかそういうデータあるんすか?〉
だから個人名を出すなと言っている。どうなっても知らんぞ。
エドガーは俯く。
「……はい」
記録係の筆が走る音が、やけに大きく聞こえた。
宰相アベルは、学園長ガストンへ向き直る。
「学園長。ミシュリーヌ殿から、レティシア嬢による嫌がらせの正式な届け出はありましたか」
ガストンは苦い顔で答えた。
「ございません」
「学園側が確認した、レティシア嬢による明確な加害行為はありますか」
「……ございません」
学園長の声には、わずかな苦みが混じっていた。
無理もない。本当に重大な嫌がらせがあったのなら、把握できなかった学園側の責任も問われる。しかし記録上、被害の届け出はない。確認された加害行為もない。
つまり、正式な記録には、レティシアの罪を示すものが何もないのだ。
〈被害届なし〉
〈学園長、胃痛〉
〈原告側、どんどん薄くなる〉
〈また髪の話してる……〉
ユリウスの顔色がさらに悪くなる。それでも彼は、何かを思い出したように顔を上げた。
「そうだ。ミシュリーヌの教本が破られたことがある」
会議室がわずかにざわついた。
「その前日、レティシアは彼女を注意していた。無関係とは思えない」
一見、状況証拠のように聞こえる。
宰相はすぐに問い返した。
「その教本は現存していますか」
「学園に保管されているはずだ」
「誰が破られたと確認しましたか」
「それは……生徒会室で」
「レティシア嬢が関与したという証言はありますか」
ユリウスは黙った。代わりに学園長へ視線が向けられる。
ガストンは控えていた文官から資料を受け取り、目を通した。
「教本の破損については、確かに記録がございます」
会議室の空気が、わずかに張り詰める。
「ミシュリーヌ殿が使用されていた、神学基礎の貸与本が破損した件です。ただし、当該教本は古いもので、以前から背表紙に破れがあったと確認されております」
「ミシュリーヌ殿ご本人は、どのように説明されていますか」
「ご自身で開いた際に、背表紙が裂けたと説明されています」
ガストンの声は重かった。
「レティシア嬢の関与を示す記録や証言はございません」
沈黙。
〈なんだよ、本の寿命じゃん〉
〈物証かと思ったら違った〉
〈犯人:経年劣化〉
〈噂の進化速度やばい〉
教本の背表紙が破れた。それがいつの間にか、公爵令嬢による嫌がらせ事件に進化していた。
噂とは、なかなか成長の早い生き物である。決して餌を与えてはいけない。
とはいえ、その噂の変遷には悪意を感じる。誰かが意図的に尾ひれを付けなければ、普通はそうならないだろう。
ユリウスは唇を引き結んだ。
「だが、レティシアがミシュリーヌに冷たかったのは事実だ」
その声には焦りが混じっていた。そこで、初めてジョルジュが口を開いた。
「殿下」
低く、静かな声だった。
けれど、その場の温度が一段下がったように思えた。
「娘がミシュリーヌ殿に何をしたのか。具体的な日時、場所、内容をお示し願いたい」
それだけだった。
余計な言葉はない。だからこそ、逃げ道はなかった。
ユリウスは何かを言おうとしたが、口を開いたまま言葉が出てこない。
〈パパ上きた〉
〈5W1H。報告の基本です〉
〈原告、詰む〉
〈敏腕弁護士パパ〉
レティシアは父の横顔をちらりと見た。表情は穏やかだ。穏やかすぎて、逆に怖い。
ユリウスが答えられないのを見届けてから、レティシアは宰相へ視線を向けた。
「発言をお許しいただけますか」
「許可します」
宰相が頷き、レティシアはユリウスを見た。
「殿下がわたくしを疑われた理由は理解いたしました」
まずは受け止める。それから静かに続けた。
「ですが、今のところ、わたくしがミシュリーヌ様に嫌がらせを行ったという証拠は、ひとつも示されておりません」
誰も口を挟まない。
「印象、噂、そして古い教本の破損。それらを根拠に、公衆の面前で公爵家の娘を罪人として扱われたのでしょうか」
言葉は穏やかだが、その重さは小さくない。
ユリウスは顔を歪めた。何かを言おうとして、また黙る。王妃ジョセフィーヌが目を閉じ、国王オーギュストの眉間には深い皺が刻まれていた。
宰相アベルは、記録係の筆が止まるのを待ってから再び口を開いた。
「現時点で、殿下よりレティシア嬢の関与を直接示す証拠は提示されておりません」
その言葉が、正式な記録として刻まれる。
会議室の空気が、はっきりと変わった。
形式上はレティシアが嫌疑をかけられた側だ。しかし今、ユリウスの主張は足元から崩れ始めていた。
〈形勢逆転〉
〈まさかのノープラン確定〉
〈逆転裁判かよ〉
〈王太子ガバガバすぎw〉
だから裁判ではない定期。正式な協議だ。
……ただ、否定しきれないのが困る。
宰相アベルは、書類を一枚めくった。
「では次に、被害を受けたとされるご本人に確認いたしましょう」
会議室中の視線が神殿側へ向く。聖女候補ミシュリーヌ・ポアレは、小さく息を呑んだ。白と淡い灰色の神官服。フードの内側から覗く小さな顔は、緊張でこわばっている。
レティシアも、静かに彼女を見る。
第一幕では、ミシュリーヌは守られるべき被害者として扱われていた。王太子の言葉の中で、弱く、可憐で、傷つけられた少女にされていたのだ。
けれど今、彼女自身の口から語られる言葉が、この場の流れを大きく変えようとしている。
宰相アベルの声が、静かに響いた。
「聖女候補ミシュリーヌ・ポアレ殿。あなたに確認したいことがございます」
その続きを、部屋中の者たちが固唾を飲んで見守った。
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