エピローグ

またあの場所で、もう一度

「ゆなーー!! 寂しい! 帰りたくない!!」


「あとでまた会うでしょ」


 周りの目なんて気にせず大げさに泣く風花の頭をそっと撫でる。急に飛びついてきたから、胸元の赤いコサージュが外れてしまいそうになった。


「でも……寂しい!」


 桜が咲くにはまだ早い時期。もうここに来ることはないんだと思うと、急に名残り惜しくなってきた。


 元生徒会長としての最後のスピーチはそれなりにうまくいったと思う。照明に照らされた舞台から見えた保護者席には、号泣しているお父さんと志保さんらしき姿も見えたし、やれるだけのことはやれたんだろう。


「わたしだって寂しいよ。まだ卒業するとか全然思えてないし」


 来週にはまた碧と二人で校門をくぐって、風花と昼休みを過ごす。たまには凛たちと遊んで帰る。そんな日々がすぐに戻ってくるように思えてしまう。


「十年ずっと一緒にいたのに、高校卒業したらそこで終わりとか思われるのはムカつく。風花はもう遊んでくれないの?」


「好き! 結婚して!」


 涙でぐちゃぐちゃになった顔を擦りつけてくる風花をなだめながら、三年間お世話になった校舎に目を向ける。


 いろいろなことがあった高校生活だった。


 碧(あお)に恋をして、ずっと遠くから彼女を見つめていた一年生。彼女と家族になって、想いが通じ合った二年生。この先も一緒に生きていくことを誓った三年生。


 中学の卒業式なんて何も思うことなく終わった気がしたけど、今はそうじゃない。大人のふりをして、自分自身を遠くから俯瞰しているだけの人生だったはずなのに、この三年で月島侑那(つきしまゆな)という人間はずいぶんと変わることができたらしい。


 何もかも碧と風花のおかげ。二人がいなければ、今ごろわたしはどうしていたんだろう。


「ゴールデンウィークには泊まりに来るんでしょ? すぐ会えるじゃん」


 そう言って頭をぽんぽん叩いてあげる。黒髪姿の風花は見慣れないけど、こっちのほうが大人っぽく見えていいと思う。ギャルなのも彼女らしくて好きだけど。


「わかってるよ。なんか寂しくって」


 顔を上げた風花が、入学した頃よりも大人びた笑顔を浮かべて続ける。


「でも、寂しく思えるのっていいことだと思うんだ。それだけ楽しかったってことなんだから。侑那とはいっぱい遊んだよね」


 風花の落ち着いた声に涙腺が緩んでいくような気がした。


「今の侑那、すっごくいい顔してる」


「そう……かな?」


 今のわたしは、風花の目にはどんなふうに映っているんだろう。


「だって、中学の時はずっとつまんなさそうにしてたから。小学校もね」


 何度も肩を並べてお弁当を食べたベンチをそっと撫でながら、風花は遠くを見つめる。


「碧には勝てないや。悔しいけど、やっぱりそう思う」


「……そんなことないよ」


 風花が背中を押してくれたあの日を思い出す。あの日見た風花の顔は一生忘れないと思う。一生忘れてはいけないと思う。


「でもいいんだ。碧は結構いい写真くれるから」


「え?」


 口元をニヤつかせた風花がスマホをこちらに向けてくる。その画面には、お腹を見せながらソファで眠りこけているわたしの姿が映っていた。


「と、盗撮じゃん!」


 いつ撮った?っていうか、どうして風花がこんな写真を……。


「わたしと碧は侑那同盟だから。この先もいろいろ楽しみにしてるよー」


「……勘弁してよ」


 風に吹かれるスカートを押さえながらため息をつく。


 碧と風花が仲良くしていることは知っている。よくメッセージのやり取りはしているみたいだし、二人で遊びに行ってたりもする。わたしとしては嬉しいことなんだけど。


「碧のこと奪ったら風花でも怒るからね」


 ジトッとした視線を向けて、お腹を抱えて笑っている風花の顔を覗き込む。


「わたしに取られないように、碧にもっと好きって言わなきゃだねー」


 抱きついて頬を寄せてくる風花の暑苦しさに照れてしまうけど、居心地は悪くない。卒業式でもわたしたちはいつも通り。でも、それがわたしたちらしくていいと思う。


「そろそろ時間じゃない? あんまり待たせたらだめだよ」


 しばらくの間くだらない昔話ではしゃいでいた風花が、スマホに目を向けて真剣な声色でつぶやく。


「そうだね。もう行くよ。また夜に打ち上げで」


 そう言って風花に背中を向けようとしたその時、ふと伝えたいことが頭に浮かび、もう一度彼女に向き合った。


「親友の証、付けててくれてありがと」


 自分の耳元についたボルドーのヘアピンに指を添えて笑いかける。風花とのデートごっこで買ったお揃いのヘアピン。恋人として一緒にいることはできなかったけど、碧だって持ってない親友の証。


「それ……反則」


 さっきまで浮かべていた、彼女らしい大げさな泣き顔ではない。音もなく静かに瞳から雫をこぼしながら、風花は誰よりも明るい笑顔を浮かべた。


「大学でも買うから! もっと高くて碧が嫉妬するようなやつ!!」


 綺麗な歯を隠そうともせず、風花は咲くような笑顔を浮かべた。


 きっと彼女は今も苦しんでいる。けれど、わたしと一緒にいることを選んでくれた唯一の幼馴染で親友。彼女が隣にいてくれて本当によかった。


 風花に背を向けて、あちこちで笑い声や泣き声が飛び交う中庭を抜け、呼び出された場所にゆっくりと向かう。人気の少ない校舎の隅で想いを告げる姿や、思い出の集合写真を撮る姿。たくさんの姿を横目に階段を上っていく。


 碧と風花で三人で撮った写真も、生徒会メンバーで撮った写真も、一生の宝物になるだろう。あまり得意じゃなかった写真も、知らぬ間にずいぶんと撮られ慣れてしまったらしい。


 四階の一番端の教室。碧に恋をしたあの教室。あれから三年が経つのか。


 扉の前で深呼吸をして、ゆっくりと扉を開いた。


「おまたせ。遅くなっちゃった」


 窓際の席に腰掛けていた姿に声をかける。


 あの頃よりも少し短くなったけど、つい目で追ってしまうその髪は黒く艶を残したまま。はっきりと開かれた形のいい瞼は、わたしのことをずっと見ていてくれる。去年よりも差が開いてしまった脚の長さにはため息すら出てしまう。


 高校の制服に袖を通して、彼女に恋をしてもうすぐ三年。十八歳になっても、わたしの心には憧れと恋心が同居したままでいた。

 

「気にしないで。侑那のことなら何時間でも、何年でも待てるから」


 立ち上がった碧がゆっくりと、中央の一番前の席に脚を運ぶ。


「最初は確かこの席だったかな。侑那は……どこだっけ?」


「ここ。碧の横顔がずっと見えるところ」


 碧の斜め後ろの席に立つ。


「そこで見ててくれたんだ。全然気づかなかった」


「バレないようにこっそり見てたからね」


 そう言いながら教室を見渡す。確か風花の席はあそこだったかな。それで、瑠奈はあそこ。


「そう言えば、なんで急に髪染めたの? 入学してしばらくは黒髪だったよね?」


「あー」


 不思議そうに尋ねてきた碧を前に言葉が途切れる。今までそういうことは話してなかったかもしれない。


「……碧に茶髪のほうが可愛いと思うって言われたから」


 ぼそっと消え入りそうな声がこぼれた。


「え? いつだっけ?」


「知らない。頑張って思い出してみなよ」


 いつもの仕返しのように意地悪っぽく笑う。きっと、あの日のことなんて彼女は覚えていないんだろう。あの頃のわたしは彼女にとってただのクラスメイトでしかなかったんだから。


 目を合わせることすら難しかった憧れの彼女が、今はわたしのために小さく唸りながら頭を悩ませている。そんな姿を見られることが嬉しくて、思わずその胸に額を埋めた。


「ずっと好きだった」


「ずっと……ずっと。碧が気づかなくてもいいって思ってた」


 理由はわからないけど、涙が出てきた。


「……知ってる」


 そっと頭を撫でてくれる碧の手が温かくて気持ちいい。


「ずっと一緒だから。侑那が嫌いになったって言っても、逃がしたりしない」


「碧だったら本当に閉じ込めてきそうで怖いかも」


 碧の胸から顔を離し、ふっと笑いかける。


 大人びているけどどこか幼さが残る不思議な雰囲気は、三年生になっても変わっていない。大学生になったら変わってしまうんだろうか。


「これからはママもお父さんもいないからねー。閉じ込めようと思えば簡単にできちゃうよ」


 一瞬熱を帯びた視線を向けてきた碧をそっと押し返し、彼女に背中を向ける。


 わたしと碧は四月からこの街を離れて一緒に暮らすことになる。同じ大学に通って同じ家に帰る。傍から見たら仲良し過ぎる姉妹に見えるかもしれない。


 でも、碧がこの話を受け入れてくれてよかったと思う。大学でも家でも離れたくないと駄々をこねたわたしに、彼女はひとつも不満をこぼさず首を縦に振ってくれた。


「姉妹ルール……増やそっか」


 碧の熱い視線に顔を引き攣らせながらつぶやく。


 まともに守れた試しがないルール。だけど、わたしたちが姉妹であることを忘れないための証。


「ちゃんと壁に貼って、侑那が約束破る度に読み上げてもらわないとね」


「あの瞬間、すごい気持ちいいから。新しい家でも貼るの忘れないようにしないと」


 背後から聞こえる楽しそうな笑い声に緩む頬を抑えて、大きく息をつく。


「そろそろ帰ろっか。侑那もお腹減ったでしょ?」


 窓の向こうから聞こえていた卒業生たちの声も徐々に少なくなっている。碧の言う通り、もう帰る時間だろう。


「碧、こっち見て」


「ん?」


 少し背伸びをして、無防備な碧の唇にそっと触れた。


 学校でする最初で最後のキス。


「行こっ」


 自分からしておきながら顔を見られるのが恥ずかしくて、碧よりも先に教室を出ていく。


 わたしたちはいつまでこの関係を続けられるんだろう。いつかは今の関係ですら満足できなくなる日が来ると思う。それがいつなのかなんてわからないけど。


 でも、いろんなことを乗り越えてきたわたしたちなら。こんなに弱くて脆いわたしのことを信じてくれた碧となら、きっとなんとかなるんだと思う。


 生まれ変わるんなら、彼女みたいになりたい。


 前はそんなことを思っていたけど、今は欠片も思っていない。


 生まれ変わるんなら、わたしはわたしのまま。碧は碧のまま。もう一度巡り合って、もう一度一緒に生きていく。


 そうあってほしいと思う。


 片想いしていたクラスメイトが義妹(いもうと)になって、恋人になった。


 わたしたちはこの奇跡を忘れずに、この先も手をつないだまま生きていくんだろう。

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