第15話:神の使徒と怪人たち



キィィィン、と耳鳴りのような不快音が脳に響いている。

 いや、違う。これは耳鳴りじゃない。もっと直接的だ。


『■■■■、■■■■■■■■、■■■■■』

『■■■、■■■■■■■』


(……うるっさいわね、この子守歌)


私は朦朧(もうろう)とする意識の中、その不快なノイズに眉をひそめた。

 何語かも分からない、意味不明な囁き。


これが旧支配者の狂気?

 なるほど、確かにSAN値が削れそうだ。


(でもなぁ……)


私は、前世の営業フロアで浴び続けた、部長の理不尽な叱責と、終わらない内線電話のコール音を思い出す。


(……連日徹夜のデスマーチに比べれば、まぁ、耐えられるわ)


理不尽さで言えば部長のほうが上だ。あっちは少なくともコミュニケーションを取ろうという意志があっただけマシかもしれないが。


私がそんな社畜的な耐久テストの比較をしていると、目の前から、熱に浮かされたような声が聞こえた。


「ああ……ああ……! ついに……ついに……!」


目を開けると、そこには恍惚(こうこつ)とした表情で、頬を紅潮させ、両手を胸の前で組むマリエルの姿があった。

 さっきまでの無表情な美少女はどこへやら。

 その瞳は潤み、狂信的な熱にぎらついている。


「マリエル……?」


「! ロザリア様!」


私が声をかけると、マリエルは弾かれたように顔を上げた。

 そして、私の目を真っ直ぐに見つめ、信じられないものを見るかのように目を見開き……次の瞬間、彼女は歓喜の叫びを上げた。


「お、おおおお……! お声が! 意識が……! 正気を保っていらっしゃる!」


マリエルは私に駆け寄ると、その場に膝をつき、まるで聖遺物に触れるかのように、そっと私の手に触れた。

 彼女の指先が、私の手の甲――今は緑色の、硬い皮膚(おそらく外骨格)で覆われた部分――を、うっとりと撫でる。


(うわ、鳥肌立った。いろんな意味で)


「素晴らしい! なんて強靭な精神! なんて完璧な器! このマリエル、生涯をかけてお探ししておりました! 私の……いいえ、『我らが神の使徒』よ!」


「……は?」


使徒? 器?

 何言ってんの、この子。


というか、私の手、本当に緑色だ。カマキリとかバッタみたいな色。

 ……え、私、本当に虫になっちゃったの?


私が自分の体の変化と、目の前の狂信者(確定)にドン引きしていると、マリエルはすっくと立ち上がった。

 その顔は、慈愛に満ちた聖母のような笑み――いや、獲物を見つけた捕食者のような、歪んだ喜びに満ちていた。


「さあ、お嬢様。いえ、新たなる『使徒』ロザリア様。

 あなたの誕生を、先達たちも祝福しておりますわ」


マリエルが夜の森に向かって、ぱん、と手を叩く。

 すると、森の奥から、ぞろぞろと何かが這い出てくる音がした。


ガサガサ、ズルズル、ゴポゴポ……。


「……なによ、あれ」


現れたのは、「人」だったものたちだ。


ある者は、カニのように横歩きをし、

 ある者は、ナメクジのように地面を這い、

 またある者は、半身が魚のように爛(ただ)れていた。


共通しているのは、全員、目が濁りきっていること。

 焦点の合わない瞳で、うめき声を上げながら、彼らは私を――儀式を終えた「新しい仲間(生贄)」を、認識したようだった。


「彼らは、ロザリア様より先に『儀式』を受け、神の恩寵(おんちょう)に触れた者たち。……しかし、ご覧の通り、その魂は神の囁きに耐えきれず、壊れてしまいました」


マリエルは、まるで出来の悪い子供たちを紹介するかのように、哀れむような口調で言う。


「でも、ご安心を。ロザリア様は違う」


彼女は私に向き直り、満面の笑みを浮かべた。


「さあ、神の力を証明なさいませ!

 彼らは、ロザリア様という『完璧な使徒』の手によって浄化され、敗れることで、ようやく真に神の御許(みもと)へ還れるのですから!」


「……は?」


(いや、なんで私がそんなことしなきゃいけないの!?)


私が全力のツッコミを(心の中で)叫んだ瞬間。


「グギャアアアアアアッ!」


一体の怪人――顔が醜いカマキリのようになった男が、私に向かって猛然と突進してきた。


「ひっ!?」


(無理無理無理! 元OLに怪人退治とか!)


反射的に目を閉じて、腕で顔を庇う。


ドンッ!!!


鈍い、肉が潰れるような音が響いた。


(……あれ?)


痛くない。

 恐る恐る目を開けると、カマキリ怪人は、私のはるか数メートル先で、くの字に折れ曲がって倒れていた。


そして、私の右足は――膝から下が、ありえない角度にまで振り上げられていた。


(……もしかして、私、今、蹴った?)


自分の脚力に、私自身が一番ドン引きしていた。


「素晴らしい……! なんという脚力! まさに神の御業(みわざ)!」


マリエルの歓声だけが、静かな森に響き渡った。

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