第三話 記憶の音

 ——気づけば、隆志はいつも隣にいた。


 家も近所で、子どもの頃はしょっちゅう遊んでいた。


 ランドセルを家に置くと、自転車を飛ばして河川敷へ向かう。

 私が歌って、隆志がギターを鳴らして、美羽がスマホを構えて笑っている。


「もう一回やろうよ!」


 手には、安いおもちゃみたいなマイク。

 目の前には、ギターを抱えた隆志。


「ちゃんと歌えよ?」

「歌ってるし!」


 隆志のギターは、まだぎこちなくて。

 コードもちゃんと押さえられてなかったと思う。


 それでも——

 私に合わせて、音を鳴らしてくれていた。


「ちょっと待って、今の録れてない!」


 スマホを構えて騒いでいるのは、美羽。


「ちゃんと撮ってよー!」

「無理無理!たかちー動きすぎなんだもん!」


 何度も撮り直して、

 意味もなく笑って、

 最後には三人で転げ回る。


 ——あの頃の音は、まだ形なんてなかった。


 ただ、楽しかった。

 それだけで、十分だった。



♫♫♫



「なあ」


 いつの日か、ふと隆志が言った。


「俺たち、大きくなったらさ、バンドやろうぜ」


 一瞬だけ、時間が止まる。


「いいねそれ!」


 真っ先に反応したのは、美羽だった。


「めっちゃ楽しそうじゃん!」

「だろ?」


 隆志はドヤ顔で笑ったあと、ギターを大袈裟に掻き鳴らした。


「決まりだな」


 ギターは隆志。

 歌は私。


「で、美羽は撮影係」

「ちょっと!ウチだけ担当楽器ないじゃん!」


 美羽は隆志のギターを奪い、無邪気によくわからない和音を鳴らした。

 その音に釣られて、私は気づけば歌っていた。


「俺たちなら、誰にも負けない音を出せる気がするんだ」


 何の疑いもなく、

 その約束がずっと続くものだと思っていた。


 ——それが、

 どれだけ脆いものかも知らずに。



♫♫♫


 中学に入って、少しした頃。


「え!?何これ、ヤバっ!!」


 美羽が興奮した声でスマホを突き出してきた。


 画面に映っていたのは、動画サイト。


 再生ボタンの上に表示された名前。


 ——りさこわも。


 初めて聞く名前。


 何気なく再生を押した、その瞬間。


 ——空気が、変わった。


 優しく囁くような声なのに、芯がある。

 静かなのに、逃げ場がない。


 耳じゃなくて、

 もっと奥——直接どこかを掴まれるみたいだった。


「……すごい」

「……なんだよこれ」

「……でしょ?」


 そのまま次の動画。

 また次。


 どの歌も、派手じゃないのに強くて。

 知らないはずなのに、ずっと前から知っていたような音だった。


「こういうのが、本物なんだと思う」


 ぽつりと、隆志が言う。


 その横顔を見て、

 胸の奥が少しだけざわついた。


「……私も、こういう歌、歌いたい」


 自然と、口から出ていた。


 突然現れたその存在は、

 私たちにとって——共通の憧れになった。


 けれど。


 同じ音を追いかけているはずなのに、

 少しずつ、向いている方向がズレていった。


 私は、歌い方を研究し始めた。

 少しでも彼女に近づきたくて、呼吸法や表現を片っ端から調べた。


 隆志は、ギターと作曲にのめり込んだ。


「いつか、あいつのオケ作る」


 本気で、そう言うようになっていた。


 美羽だけが変わらず、

 その間を繋ぐように笑っていた。


 でも——

 三人で集まる回数は、少しずつ減っていった。



♫♫♫


 そんな中、突然発表があった。


 りさこわもが、動画サイト主催の歌番組に参加する——。


 その知らせは、一気に広がった。


「やば……マジかよ」

「これ、リアルタイムで観るしかなくない?」


 久しぶりに、三人で隆志の家に集まった。


 配信が始まる数分前。

 画面には、番組のロゴとカウントダウン。


 三人で並んで座っているのに、

 前みたいに騒ぐことはなかった。


 ただ、画面の数字を見つめていた。


 ——3。

 ——2。

 ——1。


 暗転。


 軽快なジングルとともに、配信が始まる。


 司会者の軽妙なやり取りに、美羽が吹き出す。


「あははは!こいつらマジウケる!」


 つられて、私たちも笑った。


 その笑いは——

 どこか少しだけ懐かしかった。


 どの歌い手もレベルが高かった。


 でも、

 どこかで全員が“次”を待っていた。


「それでは、本日のラストエントリーになります」


 司会の声が、少しだけ熱を帯びる。


「——“りさこわも”さんです」


「きた……!」


 コメントが一気に流れる。


 黒い背景。


 そこにあるのは、

 ひとつのマイクと、淡いスポットライトだけ。


 本人の姿は——見えない。


「……顔、出さないんだ」


 美羽が小さく呟く。


 けれど。


 それすら、どうでもよくなった。


 息を吸う音が、

 マイク越しに微かに聞こえた瞬間——


 空気が変わった。


 ——そして。


 音が、鳴る。


 たった一音。

 それだけで、わかった。


 ——違う。


 背筋が、ぞくりと震える。


 耳で聴いているはずなのに、

 もっと奥——逃げ場のない場所を、直接掴まれる。


 優しい。

 なのに抗えない。


 囁くような声が、

 そのまま心の内側に入り込んでくる。


 息遣い。

 揺れ。

 わずかなかすれ。


 その全部が、

 “意図して置かれている”みたいに正確だった。


「……なに、これ」


 誰の声かも、わからなかった。


 コメント欄も静かになっていた。


 ただ——歌だけが流れている。


 ——サビ。


 一気に、世界が開ける。


 さっきまでの“近さ”が、

 そのまま“広がり”に変わる。


 伸びる声。

 押し付けないのに、逃がしてくれない。


 強いのに、優しいまま。


 その矛盾が、

 成立してしまっている。


 気づけば——


 涙が、頬を伝っていた。


 曲が終わっても、

 余韻は消えなかった。


「……あれ、どうやって作ってんだ」


 隆志が、ぽつりと呟く。


 答えなんて、

 誰も持っていなかった。



 けれど——


 三ヶ月後。


 りさこわもは突然、活動を引退した。


 理由は不明。

 チャンネルも、SNSも、すべて消えた。


 まるで——

 あの“音”ごと、

 最初から存在しなかったかのように。



♫♫♫


 春。


 私たちは同じ高校に進学した。


 久しぶりに三人で集まった、その日。


「……ねぇ。バンド名、どうする?」


 私はずっと胸にしまっていた言葉を口にした。


 子どもの頃の約束。

 私たちでバンドをやる。


 その言葉に、

 隆志の表情がわずかに止まる。


「……そんなこと、言ったっけ」


 胸が、小さく痛んだ。


 気まずさを誤魔化すように、

 美羽がスマホを構える。


「せっかくだし、久しぶりに撮ろうよ!」


 私が歌い、

 隆志がギターを鳴らす。


 いつものはずだった。


 でも——


 どこか、噛み合わない。


「……ちょっとストップ」


 隆志が音を止める。


「悪くないけど……なんか違う」

「……違うって?」

「もっと、こう……力抜いた方がいい」


 一瞬の沈黙。


「りさこわもなら——もっと余白使うと思う」


 ——その言葉で、

 何かが切れた。


「……何それ?」


「私の歌じゃダメってこと?」

「ダメだなんて言ってないだろ」

「じゃあどういう意味?」


 言葉が止まらなかった。


「ああいうのが、“正解”なんじゃないのか」


 その一言が、

 深く刺さる。


「……正解?」


 気づけば、

 初めて言葉をぶつけ合っていた。


「前の隆志は、そんな風に押し付けること——絶対言わなかった」


 壁のポスターが、

 音もなく剥がれ落ちる。


 グラスの氷が、

 カランと乾いた音を立てた。


「……隆志、変わっちゃったよね」


 その日。


 結局、まともに一曲も撮れなかった。



♫♫♫


 ——ステージでは、四組目のバンドが豪快に音を鳴らしている。


 歓声に包まれる会場。


 その中で、

 香織だけが、浮かない顔をしていた。


「——かおたん!」


 美羽の声で、我に返る。


「どうしたの? ずっと上の空」


「……ごめん。ちょっと考え事」


 隣では、雪穂が静かに見ていた。


「……勝つんでしょ」


 雪穂が、そっと香織の手を取る。


「——アタシらで。一緒に」


 その言葉に、

 胸の奥が少しだけ熱くなる。


 美羽が無理やり顔を割り込ませて笑わせる。


 くだらない。

 でも、救われる。


 ——何があっても。


 この場所には、みんながいる。


 だからこそ、勝つ。


 あいつが“あいつでいられる相手”は。


 あの子じゃない。


 私だと——


 証明するために。

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