2章⑥
誰もいない廊下は、カラオケ店特有の少し冷えた空気と、芳香剤の匂いが混じっている。
ドリンクバーに向かって並んで歩いていると、陽菜が当然のように私の隣にぴたりと身体を寄せてきた。
「ねぇねぇ? さっきの曲さぁ~。誰の曲?」
「……聞いてたの? 人の胸揉んでたのに」
「聞いてるよ~。まぁ、色っぽい声が混ざって、よく分かんなかったけど」
思わず、ポンッと陽菜の頭に軽くチョップする。
「そんな怒んないでよ~。これくらいたまにあるじゃん~」
「まぁ、ふざけてやることはあるけど、見世物になるのは違うじゃん」
ドリンクバーの機械の前で、私はメロンソーダのボタンを投げやりに押す。
陽菜はアイスティーを選びながら、ふと思いついたようにぽつりと呟く。
「それって、見世物じゃなければ、アタシに揉まれても良いってこと?」
ガタッ! と、思わず膝をカウンターにぶつける。
……何言い出すの、この子。
「そ、そうだね。別に陽菜なら……。あっ! 変な意味じゃなくね‼信用的な……‼」
「わ、分かってるよ~‼」
ドリンクバーの機械が、ジュースとアイスティーを注ぐ音が、妙にはっきり聞こえる。
コップの縁まで溜まったメロンソーダを睨みつけ、私は溢れる寸前でボタンを離した。
……陽菜の顔、見れない。
陽菜も同じなのか、こっちを見ないまま、
「ほら、行こ。みんな待ってる」
と歩き出す。
私は冷えたコップを手に、その後ろを追った。
沈黙に耐えきれなくて、適当な話題を無理やり引っ張り出す。
「……そう言えばさ、さっき歌った曲。あれ、最近気に入ってるVtuberがカバーしてんだ」
「あ、あぁ! 凪って、ああいうの見るんだったね! どんなVなの?」
「……個人勢なんだけど、歌がすごく上手くて。あと、曲の理解力が高くて、エモく感じる」
「そうなんだ! アタシも見てみようかな~」
「人気出てきたし、いいかもね。今、コラボカフェやってるくらいだし」
「スゴッ! 個人でそれって、ヤバッ!」
「でしょ? あ~でも。陽菜が好きそうな、明るい曲は少ないかも」
「でも、凪の好きなもの、知ってみたいし」
――その一言に、コップを落としそうになる。
……期待、させないでよ。
コップを落としそうになったことにも気づかず、陽菜は続ける。
「じゃあさ、今度の土曜、一緒に出かけようよ!」
「……ん?」
「そのコラボカフェ、行ってみたい!」
「……陽菜には、退屈だと思うよ。ファン向けだし」
「いいの! アタシ、凪が好きなものならなんでも興味あるもん。ね、行こうよぉ」
陽菜がまた、ぐいっと顔を近づけてくる。
彼女の大きな瞳に、私の困惑した顔が映っている。
「……二人で、ってこと?」
心臓の音がうるさくて、悟られないように声を低く抑えた。
「えっ、あー……。凛たちも誘えば、もっと楽しいじゃん! 皆で行こうよ!」
陽菜は一瞬だけ視線を泳がせたが、すぐに満面の笑みでそう言った。
……皆で、か。それなら、いいけど
グループでの遊びなら、変な期待をせずに済む……はずだ。
「……分かった。凛たちが良いなら、行くよ」
「やったぁ! じゃあ、アタシが皆に、あとで連絡して伝えておくから! 」
陽菜は満足そうに笑うと、当然のように私の腕に自分の腕を絡めてきた。
私は小さく溜息をつくと、重いドアを開けて、二人で並んで個室へ戻った。
――すると。
凛、恵梨香、葉菜の三人が、シャツのボタンを大きく開けて、正座して待っていた。
「……何してんの?」
戸惑う私に、凛が代表して答える。
「なに、先ほどはヤリすぎたと思ってね。そのお詫びということで……」
凛は、ぞくっとするような目でこっちを見て、
「ボクたちの胸も、揉んでもらおうかと」
と、自分の胸を持ち上げながら、バカなことを言ってくる。
……あぁ、反省したフリね。
「怒ってない」って言わせたいんでしょ。
「……よろこんで。みんな気持ちよくしてあげる」
全員が、驚いたように、ピクッと体を震わす。
どうせ、断ると思ってたんでしょ。
葉菜がおずおずと手を挙げる。
「……な、凪、本気なん? ウチら、ちょっとからかっただけやで?」
「なに、お詫びって言ったのはそっちじゃん。嘘だったの?」
「い、いや~」
私の雰囲気で察したのか、、恵梨香がため息まじりに言う。
「葉菜、諦めろ。この女は、やると言ったらやる女だ」
そう。やられっぱなしは趣味じゃない。
だから当然、一番の標的は――
隣で腕を組んでる、金髪美女。
「陽菜もするから」
「うへぇ! ?」
せいぜい、気持ち良くしてあげよう。
……私が変な気持ちにならない程度に。
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