第3話 七つの試練と、旅のはじまり
魔法省の本省は、地上にあった! カルは思わず建物を見上げた。窓があり、光が入っている。空気もよどんでいない。建物に入った瞬間、これまでの地下続きの鬱憤が少し晴れた。
窓口で魔力証明書を出すと、担当の文官が受け取って確認し、しばらく待つように言ってから奥に消えた。しばらくして戻ってくると、文官はカルにこう言った。
「英雄資格証明書の発行には、英雄資格審査委員会の承認が必要です」
「また別の組織か」
「はい。ただ」
文官は少し声を落として続けた。
「委員会から、カル様に直接お伝えしたいことがあると」
通された部屋は、これまでの窓口とは違っていた。長いテーブルがあり、その向こうに五人の老人が座っている。全員が白髪で、全員が難しい顔をしていた。カルがテーブルに歩み寄ると、真ん中の老人が口を開いた。
「カル・オルランド勇者殿。着席を」
カルが座ると、老人は間を置かずに言った。
「引退の意向は承知している。しかし、勇者の称号返納は前例がない。委員会として、そのまま認めるわけにはいかないのだ」
「では、どうすれば認めてもらえるのか」
老人たちは顔を見合わせてから頷き合い、一番右の老人が書類を広げた。
「建国の律法、第一条に戻る。勇者の資格は、七つの試練を経て与えられる」
「知っている。俺が通った」
「返納もまた、同様とする。七つの試練を再び経ることで、委員会は返納を認める」
部屋が静まり返る。
「もう一度、試練を受けろということか」
「そうだ」
真ん中の老人が言った。
「ただし、同じ試練ではない。かつて魔王討伐のために歩いた道を再び歩き、その道中に新たな七つの試練が課される。すべてをクリアすれば、資格の返納を認める」
カルはしばらく考えてから聞いた。
「断ることはできるか」
「できる」
老人は、むしろそれを望んでいるかのように即答した。
「ただしその場合、引退届は永久に受理されない」
永久に受理されない、と聞いたカルは少しうつむき、少し長い沈黙の後に言った。
「……いつ出発すればいい」
「三日後だ。なお、同行者を一名まで認める」
その夜、カルはヴァルに会いに行った。
ヴァルは王城近くの安アパートに住んでいた。木造の古い建物で、階段を一段登るたびにミシミシときしむ音がした。三階の一番奥の扉をノックすると、少し間があってから、部屋着姿で、手に本を持ったヴァルが出てきた。
「夜分に失礼する」
「構いません。どうぞ」
カルを見ても特に驚いた風でもなく、ヴァルは扉を大きく開けた。
部屋は狭く、ベッドと机と本棚、それから小さな台所があるだけだった。本棚には分厚い本がびっしり並んでいて、魔法の本かと思ったら料理本と歴史書と、あとは家計簿だった。椅子が一脚しかなく、カルが座り、ヴァルはベッドの端に腰を下ろした。
「聞いてもらいたい話がある」
そうカルは言って、委員会での話をした。七つの試練、討伐のルートを再び歩くこと、同行者を一名まで認められていること。ヴァルは黙って聞いていた。そして最後に、
「同行者として来てほしい」
とヴァルの目を見てカルは言った。
「嫌なら断っていい」
ヴァルはしばらく黙っていた。窓の外で風が吹き、カーテンが揺れる。
「試練の内容は知っているのですか」
「知らない。道中に課されると言っていた」
「では、わたしが役に立てるかどうかわかりません」
「わかっている。それでも来てほしい」
ヴァルはまた黙った。が、今度は短かった。
「……三日後、ですね」
「ああ」
「わかりました」
立ち上がりながらヴァルは言った。
「有給休暇の申請をしておきます」
次の日、カルは旅支度を始めた。剣に鎧に背嚢、十年前にも使った、カルの旅の三種の神器だ。勇者の剣に、スカイドラゴンの硬くて軽い鱗で作った鎧。王城での式典以外で身に着けることになるとは思ってもいなかった。
勇者の剣と人々に呼ばれてはいるが、実は普通の剣だ。だが、あれだけの激しい戦いを経て、刃こぼれ一つないのだから、この剣を打った鍛冶屋は相当に腕がいい。その人こそ英雄にふさわしいのではないかとカルは今でも思っている。
スカイドラゴンの鎧は、魔王ヴァルディウスの城に入る前、最後に戦った難敵だ。空からものすごい勢いで襲い掛かってきたドラゴンを何度もかわしながら、仲間の魔法で動きを鈍らせたところで、カルが背中に飛び乗って、仕留めたのだ。その鱗は軽く、そして固く、その場で自分たちの鎧に貼り付けた……そんなことを思い出しながらカルは準備を進めた。
そして三日後の出発の朝、王都レヴァリアの南門には人だかりができていた。何事かとカルが門に近づくと、声が上がった。
「勇者様だ!」
「本物だ、やっぱり!」
「新しい魔王が出たって本当か!?」
噂が先に走っていたらしかった。三日間でレヴァリア中に広まったのか、南門の前に百人はいるかという人垣ができていて、全員がカルを見ていた。新しい魔王、という言葉が耳に残った。そんな話はしていない、どこでそんな噂が生まれたのか……
「勇者様、行ってらっしゃいませ!」
「王国をお守りください!」
「また帰ってきてくださいよ!」
声が重なり、波のように押し寄せてくる。子供たちが「勇者様!」と叫んで手を振り、老婆が目に手を当て、屋台の店主が「これで力をつけてください」とパンを渡してくれた。
これは引退の旅だ、と言えたら楽だった。新しい魔王はいない、試練を終えたら畑をやる、そのために出発するのだ、と。だが言えなかった。言ったところで、この人たちが信じるかどうかもわからない。
いつの間にかヴァルが隣に来て、小声で言った。
「行きましょう」
「ああ」
カルが前を向くと、人垣が左右に割れていく。歓声が一層高くなり、その中を、二人で歩いた。南門をくぐると、街道が南へ伸びていた。背後では歓声がまだ続いていたが、カルは振り返らなかった。
「新しい魔王の噂、どこから出たんだ」
「わかりません」
ヴァルは答えた。
「ただ、勇者が旅に出るとなれば、人は理由を作りたがるものだと思います。引退のためより、魔王討伐のほうが、わかりやすい理由ですので」
「そうか」
「あなたが何も言わなかったのは、正解だと思います」
街道沿いには麦畑が続いており、風が吹くと穂が揺れた。空は高く、雲が西から東へゆっくり流れている。カルもヴァルも黙って歩いた。二人の間に会話はなかったが、沈黙は悪くなかった。
「最初の試練がどこで出るかわからないな」
「出たら対処します」
ヴァルは言った。
「わたしが作った試練なら、答えを知っているので」
「お前が作ったのか」
「半分くらいは」
ヴァルは少し間を置いた。
「残り半分は、わたしにもわかりません。当時の部下が作ったものもありますので」
「その部下たちは今どこにいる」
「どこかで家賃を払って生きています」
また家賃か、カルは少し、口の端が上がった。
街道の先に、森が見えてきた。こんもりと暗い、深い森だ。十年前に通った記憶がある。あの森を抜けた先に、最初の村があった。そしてその向こうに――竜の出る山があるはずだ。
第一の試練は「力の試練」だと言っていた委員会の老人の言葉を思い出し、カルは剣の柄に触れた。体が、少し前に傾き、足が先に動いていた。いつでもそうだ。気づいたら動いている。でも、それが嫌いではなかった。
二人は歩き続けた。歓声は、もうとっくに聞こえなくなっていた。
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